5月19日 セメントの日。
1875(明治8)年5月19日、国産初のポルトランドセメントの製造に成功。
ポルトランドセメントは、建造物、道路と広く一般的に使われるようになり、一大事業として発展していった。
Every Teardrops is a Waterfall
2011年リリース。
♪ボリュームあげてレコードをかける
朝日が昇るまで外の世界とはさよなら
外は街路樹に光が当たって明るいかもしれない
大好きな曲に合わせて心がおどる
一晩中楽しんで 月曜日の朝まで別の人生を送る
ボリュームあげて最高
目の前に天国が広がる
ボリュームあげてレコードをかけて
瓦礫の下から反逆の歌を歌う
次世代が苦しむのなんかみたくない
ピリオドで終わるのなら自分はカンマで止まる
落ち込みくじけても心臓は動き脈打つ
心の中の聖堂で鐘がなる
光が点滅する光が現れて大丈夫だって
壁をよじ登ればサイレンがシンフォニーになる
一粒の涙が滝になる
傷つけられても旗を掲げる
一粒の涙が滝になる
つらいことがあって挫折して涙を流す。
しかしその涙は人生の糧となる。
一粒の涙がやがては滝になる。
外界を遮断して、1人お気に入りの曲で天国気分を味わう。
そうしなければやっていけないから。
ずっと外界と関わっていたならば辟易してしまうから。
懸命に壁を登る、つまり耐えることも中断。
休息は必要。
しかし休息中だって否応なしに問題が頭をめぐって休まらない。
だから自ら、自分自身で自分自身の天国をつくり、その天国に身をおく必要がある。
壁を登っているときには、自分の心がサイレンをならしているSOS..SOS..が、壁を乗り越えたときには、そのサイレンはシンフォニーに変わる。
達成感。喜びに。
つらくても投げ出さなければ、逃げ出さなければそれは人生の糧になる。
どれだけ壁登ったか。
SOS..SOS..ってサイレンならしながら。
でも世の中、他人が手助けできることとできないことがある。
不条理だけど、自分だけを信じて、自分だけを頼りにやりとげなければならないことがある。
壁登っているときに罠をしかけられたり、手足をつかまえられて転落させられそうになったり、違反な道具を使って壁を何事もないようにすいすい登っていく人も見てきた。
登頂できたとしても、すぐに転落してました。
糧になるどころか、人間不信にしかならない。
一粒の涙が滝になる
感極まる、歓喜の涙なのでしょう。
しかし悲しみの涙にしか感じられない。
1人で生きているのではないから、壁を登っているときだって人と関わって生きている。
壁を登りきっても人と関わっている。
自分1人が頑張ったって関わる方々によってはその状況も悪くなり、壁に登れなくなることもある。
登っても意味がない状況になることもある。
登りきってもシンフォニーどころかレクイエムが聞こえることもある。
一粒の涙が滝になる
悲しみの涙が滝になる。
ならば壁なんか登る必要もないし、
壁なんかつくる必要もない。
しかしそう言ってしまったならば、セメントの存在を否定してしまうことになる。
だから、それでも壁を登る。
邪魔されたって突き落とされそうになったって、そこから学ぶことは、人生の糧となることはある。
壁を登り始めてもすぐに無理ってあきらめたり、他の壁を見つけてそちらに登ろうとしたり、投げ出したり逃げ出したりしていたのでは糧は得られない。
投げ出し、逃げ出しているうちにその壁を他の人が登ってしまい、チャンスを全て失うでしょう。
一粒の涙が滝になるどころか、存在する川で漂流することになるでしょう。
世の中っ゙て甘くみてるととんでもないしっぺ返しがくる。
一粒の涙が永遠に流れ続ける
栓がしまらなくなった水道みたいに。
しっぺ返し、気づかぬうちが花。
気づいたときには涙がとまらなくなり、自分の涙で漂流することになるでしょう。




