▼本日限定!ブログスタンプ
8月15 日 終戦の日。
1945(昭和20)年8月14日、ポツダム宣言を日本が受諾し、翌日の8月15日正午、昭和天皇のラジオ放送により終戦が告げられた。
現代では終戦の日ではなく戦没者を追悼し平和を祈念する日とされるケースも多い。
1970年リリース。
好みが別れる曲ですね。
Black Sabbath...メタルの帝王ですから。初期のボーカルオジー・オズボーンは、イギリスの音楽業界に尽力したと、エリザベス女王から賞をいただいてます。
War Pigsがリリースされた頃、ベトナムでは南北で攻撃が始まっていた。その後ベトナム戦争となり、ソ連とアメリカの代理戦争となった。
学生のときに、ラオスもベトナム戦争に巻きこまれ、幼いときに日本に亡命?してきたラオス人の先輩がいた。
♪指揮官たちが兵隊の前に集まった
まるで黒ミサの魔女のごとく
破壊をたくらむ邪悪な妄想 死を奪う魔術師
戦場では死体の山が燃えている
戦闘兵器が駆動している限り
人類に死と憎しみをもたらして
洗脳された民衆の心をむしばむ
Ah 神よ!
政治家たちは姿を隠す
彼らは戦争を始めただけ
彼らこそが戦いに出るべきだ
前線におかれるのはいつだって弱い立場の者たち
彼らの横暴もいずれは報いを受ける
楽しみのために戦争を始め
人々をチェスの駒のごとく扱う
裁きがくだる日を待つのみ
ついに闇が世界をおおって世界は動きを止める
彼らの焼けた死体は灰となる
戦争狂いの豚たちは力を失って
神の手がそのときを知らせる
審判の日 神は告げる
戦争狂いの豚たちはひざまづいてはいつくばり
自らが犯した罪のゆるしを乞う
姿を現した悪魔はわけありな笑みで翼を広げる
Ah 神よ!
新約聖書の終わりの方の章をお手本に書いた歌詞と思われる。
戦争を起こした者たちは苦しい思いなどせず、駒のように扱われる弱者がつらい思いをする。
なぜ人々の命を失い、心も身体もおびやかし傷つけ、その恨みをどこで誰にはらせばいいのか?
全ては権力のため?欲のため?
歴史上、戦いによって力を見せつけ力を伸ばし勝ちとるのが当然だったけれど、今は兵力があるからっていばれる、兵力を見せつける時代じゃないと思う。
現在もなお、攻撃によって苦しんでいる人々がいる。
ウクライナにガザ地区に.....
恐れ悲しみ苦しむ人々を目の当たりにして何も感じないの?
そこまでして長いものに巻かれなければならないの?
戦争体験がなく、平和な日本にいる私にはよくわかりませんが、かつては日本も空襲を受け、生きていること事態が奇跡のような戦下で、どうにか皆生き延びようと必死だった...
祖父母、両親、先生等から戦争体験について耳にしていますが、祖父母に両親は他界。
私に戦争体験を話してくれた方々は他界されていき....
戦争体験者が他界されてしまったならば、その体験はもう語りつがれることはないのでしょうか。
複雑な思いにかられます。
空襲警報から防空壕へ。防空壕で一晩過ごし、明朝はまるで世界が変わってしまっていた話など、胸がつまりそうになり、口にできる言葉もない話を多々耳にしました。
終戦後の貧しさ、大変さについても多々耳にしました。
そんな体験をしながらも、生き延びてきただけで奇跡。素晴らしい。
なのに、今なお生き延びるために必死な人々がいる。
働く場があり、ご飯も食べられて、毎日シャワーを浴び、安心して眠る場がある。
自分自身で働いてお金を得ているから、ご飯、シャワー、睡眠ができるって当然っていえば当然だけど。
その当然ができない人々もいる。
攻撃に苦しみ、脅かされ、命を守ることのみに必死な人々がいる。
人間には様々な欲がある。願望がある。
しかし、まずは当然なことができて、当然に生きられる。
そのことに感謝すべきだと思う。
当たり前は当たり前じゃない。
その当然、当たり前に生きられるのは誰のおかげ?
自分自身だけでやっていることではない。
様々なおかげがあるから。
そのおかげを理解できずに欲を、願望を満たそうとすると、War Pigsになってしまうんだと思う。
きちんとおかげを理解せずにうわべだけで理解し、欲を満たそうと生きてしまうから。
そして、戦うのが当然。
闘うではなくて戦うです。
そんな世の中は、人の命を人が奪い、傷つけ合う世の中は当然になってはいけない。
戦争がないのは誰のおかげ?
そんな考えなどでてこない、なくて当然な世の中になってほしい。
罪のない、がんばってる人々を殺さないで!
体だけじゃない!
心も殺さないで!

