人との出会いは一度限りの大切なものと心得て、もてなす。
そんな日本人らしい気づかいを追求し広めたのが、わび茶の完成者であり、茶聖と称された千利休である。
千利休は茶を点てるだけでなく、茶碗から茶道具、茶室の構造など全てにおいて徹底的にわびを追求した。
茶室においては皆平等。
主人と客がお互いを尊敬しあい、おごらない気持ちで接する和敬静寂を大切にしていた。
織田信長に仕え、豊臣秀吉の側近ともなった千利休。
当時の茶会は宴会で、高価な茶碗を使っての派手な演出がなされていた。闘茶という利き茶まで行われていた。戦国武将の名物茶わんは、一国一城に値すると言われていた。
そんな表面的な華やかさを否定し、茶において質実な美を追求したのが千利休である。
釜一つあれば茶の湯は成るもの。高価な数多くの道具は必要ない。目に見える道具よりも、心づかいなど目に見えないものが大切。一期一会の気持ちでおもてなしをするという考えを貫いたのが千利休。
もともと豊臣秀吉と千利休は、茶に対する精神が違ったのだろう。
千利休は二畳ほどの小さな茶室、待庵を建てた。間口が小さいのでかがまなければ入れない。従ってものを持ち込むことはできない。そこには、茶室では身分は関係なく皆平等との千利休の茶に対する精神が表れていた。
黒の茶わんを好み、枯れ葉を掃き終えた庭にわざと枯れ葉を数枚落とす。朝顔を一輪のみ茶室に飾るなど、おもてなしの心を演出。質実な美を大切にしていた。
一方豊臣秀吉は天下統一の祝勝として、権力を誇示するために史上最大の茶会、800席が設けられた北野大茶湯を開催。
そして金の茶室の建設など、千利休の質実な美とは逆のことを好んでいた。
そんな茶に対する精神の違いからか、千利休は豊臣秀吉に切腹を命じられることになる。
千利休は、切腹を命じに来た豊臣秀吉の使いにすら茶を点ててもてなしてから、切腹したという。
死の間際、しかも切腹前ですら自己の茶の精神を貫き、一期一会を大切にしたのだ。
お茶については何も知識がない私にも、千利休のおもてなしの心、質実な美については理解できるものがあり、共感できるものがある。
千利休の心には、当時の身分社会、武将のワンマン社会に対する反感があったのかもしれない。
千利休は、そんな自分の哲学を茶を通して懸命に追求し、表現していたのかもしれない。
千利休が死を前にしてさえ貫いた一期一会の精神は、今の時代にもなお大切にされている。
千利休の茶を通しての一期一会、わびの精神には、美や人との関わり、社会に対する考えなど深い深いものが、千利休の哲学が表されていたのだろう。
本日2月28日は、1591年(天正19年)に千利休が切腹により命を失った日なのである。
茶を点てる腕前が素晴らしいと称賛されるには、技術的なことだけでなく、おもてなしの心が何よりも大切。
それはお茶だけでなく、様々な場面において必要なことなのだろう。
人間関係で悩んだ時、相手がどうのこうのと思考をめぐらす前に、この千利休の哲学を実践してみるのが先なのかもしれない。

