世界観episode95~無意識に自分も相手も縛る「当たり前」に潜む「べき」思考

 

  

  

  前回は、

  HSS型HSPの

  相手に負担をかけたら申し訳ない、

  頼んでも断られたら

  嫌だからという

  複雑な気持ちから頼むことが苦手なこと、

  そして、

  断ってくれたら気が楽・・・

  との願い通り

  相手から断られる現実を

  引き寄せていたことなどについて

  得た気づきについてお話ししました。

    

 

   世界観episode94~頼むことの苦手意識と引き寄せの法則の衝撃

  

   

 

  今回も引き続き、

  高齢の母の関係で気づいた

  HSS型HSPの私が

  縛られている「礼節」と

  感受性の鋭さからくる

  無意識の「期待」からくる

  「べき」の呪縛と

  「期待する自分に気づいた時の自分責め」

  について気づいたことを

  お話しします。

  

  子供は一般的に

  大人の同士が交わす言葉を聞いて

  社会性を身につけていくと

  思います。

 

  特に今のように携帯電話が

  普及していなかった

  昭和・平成初期に育った世代は

  大体電話が居間にあるため

  知らず知らずに

  大人の世界・大人の感覚・世間体

  そんなものを聞き知って

  言ったように思います。

 

  そんな中で、

  HSS型HSPは感受性が鋭いため

  幼少期から周りの大人の言葉、

  特に非難や批判について

  敏感に反応して育ってきたと

  思うのです。

 

  具体的に言うと、

  自分に対して向けられた

  言葉以外に、

  なんとなく大人同士で交わされる

  ちょっとした不満や愚痴、

  世間話的な言葉に対してです。

  

  具体的に言うと、

  「もう、あの人は。。。

  常識がない…」

  「○○するなんて非常識な…」

  「私ならしないのに、

   よくやる。。。」

  「あんなことやって恥ずかしくないのか…」

  「よく平気でいられるな…」

  「よくあんな言葉を言えるものだ、

  ひどい。」

  「ものをもらったらお礼を言うものだ」

  「あの人はお礼も言わない」

 

  みたいな会話です。

 

  大人がなんとなく交わしがちな

  そんな言葉を聞いて

  普通の人は「ふーん」で終わるか

  「これをするとマズいらしい」

  と思う程度だと思います。

 

  ところが、

  HSS型HSPは

  言葉への感度が鋭く

  交わされる会話の声音、

  人の表情から

  普通の人が受け取るよりも

  「これをすると

  ボロッカスに言われるのか・・・」 

  「非常識って言われるのか。。。」

  と感じたり、

  「良くないんだ、

  気をつけよう」

  強くそう思うようになるのだと思います。

 

  社会人になると

  もう少し直接耳にする機会も

  増えますし、

  社内政治や親戚付き合い・近所付き合い

  のために

  仲間内の陰口や世間話にも

  注意を払うようになります。

  (もちろん表向きは笑顔で。

   心の中は戦々恐々として)

  

  繊細気質のため

  言った相手の意図するより

  深く傷ついたり気にしたりします。

 

  そして、

  感受性が鋭いので、

  相手の気持ちを汲み取ることが

  得意であるため、

  相手がどう言ってほしいのか  

  手に取るように分かります。

 

  HSS型HSPは、

  酷薄で冷たさも持っていますが、

  基本は優しく思いやりがあり、

  共感力が強い気質のため、

  相手の期待を察知すると

  大体相手の望む言葉を

  かけてあげる場合が多いように

  思います。

 

  (この期待に添いすぎることは

  相手に依存を引き起こし、

  大体我慢の限界まで我慢するため

  それに疲れ切ると一気に

  白黒思考が発動して、

  人間関係リセット、

  人間関係の破壊を行う傾向があります)

  

  特に辛い時は

  「そんな時にそんな言葉を

   言うものではない」

  「慰めの言葉や励ましの言葉をかけるものだ」

  そう思いがちです。

 

  そして、

  小学校に至るまでの道徳教育含め、

  周囲の大人から

  「相手の身になって考えなさい」

  「思いやりを持ちなさい」

  「人には優しくしなさい」

  「人を労りなさい」

  そんなことをしっかり吹き込まれます。

 

  感受性の鋭さから

  深く物事を観察・分析し

  無意味な常識や慣習を嫌い、

  「常識の当たり前に疑いの目」を

  向けることの多いHSS型HSPですが、

  「道徳的」意識が強いため、

  この手の話は素直な気持ちで

  従います。

 

  「そうか。大切なことだ。

  相手の身になって考えること、

  恥ずかしくないよう、 

  (後ろ指刺されないよう)

  そういう振る舞いは大切。

  だって”常識”だから

  ”社会のルール”だから守らなきゃ」

  

  大切に思うこと自体は

  問題ないし、

  むしろ大切な場合もあると思います。

 

  問題はこれを

  「守らなきゃ」と思い、

  がっちり従うあまり

  それを従わない人をつい白眼視

  「うわ…常識がないな、

  なんで○○しないのかな、

  相手のみになればわかるのに

  ○○するのが常識だよね

  ”○○すべきなのに”」と

  無意識に思ってしまうのです。

 

  常識を嫌いながら

  後ろ指を刺されることを嫌い、

  生じっか道徳心が高いものだから

  そうしない人に対して

  無意識に批判的な目で見て

  しまうことがあるように思うのです。

 

  そして、

  「相手に期待していることは

  よくない」と

  世の中で最近よく言われているので

  無意識にそうしている自分に気づ区分けです。

 

  相手は自分のように気づかないことに  

  対して苛立ちや失望を感じ、

  そんな自分を宥めるために

  実はさらに自分を

  傷つけていることが

  HSS型HSPは多いのではないでしょうか。

 

  つまり、

  「できないことを求めても無理

  自分とは違うから」と、

  無意識に自分の優秀さ・優位性を

  見ることで

  一生懸命に

  自分を納得させているように 

  思います。

 

  私がそうでした。

  

  別に人を

  バカにしたいとか、

  見下したいと思っているわけでは  

  ないけれど結果的には

  相手を下に見ていることに

  他ならないのです。   

  

  このため、

  そしてそうする自分に幾分

  嫌さを感じてしまいます。

 

  しかも、

  期待通りに動かない相手に

  期待した自分にも、

  「世の中で大切と言われている

  『期待しないこと』が

  できていなかった」と

  自分の未熟さを責めてしまいます。

 

  この自分の未熟さを責めるのは

  「自分の優位性」を持ち出して

  自分を納得させようと

  することとセットです。

  

 

  相手を下に見て

  自分の優位性を持ち出して

  自分を納得させるのは、

  ほんのり自分の中でも

  本質論とは違うし

  それはしたくないことを

  自覚しているので、

  自分の未熟さを責めるのだと

  思います。

 

  同じことが

  人への共感の言葉や態度にも

  言えると思います。

  

  自分が普通にできてしまうので、

  つい相手にも無意識に同じことを

  求めてしまうのです。

  

  少なくとも私はそれを

  してしまいます。

 

  HSS型HSPは

  常識を嫌いながらも

  常識外れと言われるのを恐れ、

  非道徳的な振る舞いも

  嫌います。

 

  嫌うこと自体は別に良いのですが、

  「そうするものでしょ」と

  大切にしたい、と言う思いから、

  世間の目を恐れるところから

  自発的に心からやりたい場合を除き、

  やりたくない場合に、

  自分自身にも「やるべき」を

  課して「やること」を頑張って

  完遂してさせてしまうのが

  苦しさの元だと思うのです。

 

  これは、

  非常識と思える相手や

  思いやりが欠けると思える相手に

  冷ややかな目を向けてしまうのは、

  今までの「刷り込み」から

  自分もやっているのだから

  「あなたもやるべきでしょ」と

  相手にも求めてしまうことに

  あるのだと

  今回ある方からのお話で気づきました。

 

  姉も同様のことを言われました。

 

  人を大切に思うこと

  ちゃんとしたいと思うことは

  間違ってないけど、

  できていない人を

  「もう、できてない。。。」と

  イライラするのは疲れるし、 

  「相手の自由を尊重していないと言って

  イライラする自分を裁く」のも

  悪くはない自分を

  必要以上に厳しくしているよ

  「やらなきゃ」と思うときは

  やらなくていいんじゃない?

 

  こう言われました。

 

  今までに身についていた

  人に対して”恥ずかしくない”ように

  ”ちゃんとしなきゃ”、

  「すべき」「やらなきゃ」

  に自分自身が囚われていたから

  人に対しても

  「べき」なのだから 

  やっていない人を責めたくなるのは

  当たり前でしょ?

  そんな甘えと奢りが

  自分の中にあったことに

  気付かされました。

 

  そして、「当たり前でしょ?」と

  思うことで、

  人を捌くことの居心地の悪さと

  自分にもしたくないことを

  完遂することを課していたように

  思います。

  

  この点は私以外の

  多くのHSS型HSPの方が

  気づかずに陥っている落とし穴

  であり、

  囚われている呪縛なのだと

  思います。

 

  この点だけは、

  人に対しての思いやりを

  持つことが得意なのに

  自分に対しては

  より良い自己になりたいと思うあまり

  厳しめなHSS型HSPの

  あくなき向上心の弊害だなと

  感じています。

 

  ただ、

  同じようにあくなき

  向上心があるので、

  自分に対しても思いやりを持ち、

  クーパー博士の言う通り

  「ありのままの自分」を

  認めることが大切なのです。

 

  それこそが、

  本当にHSS型HSPが

  自分を許し認め、

  自由になっていく一番の

  手立てなのだと感じています。

 

  今回、

  このことを痛切に学びました。

  学べる機会があって、

  気付かせてもらえて本当に

  良かったと感じています。

  

 

 

 「傷つきやすいのに刺激を求める人たち」

    ~フォレスト出版

   トレイシー・クーパー著

     (カリフォルニア

     統合学研究所の統合学哲学博士。

     HSPのアーロン博士の

     ドキュメンタリー映画にも

     出演、自信もHSS型HSPと公表)

   時田ひさ子監訳

    (HSS型HSP専門心理カウンセラー)

   長沼睦雄監修

    (精神科医)

 

 

 

     

  明日も引き続き 

  ここ最近得た気づきについて

  お伝えしたいと思います。