HSS型HSPのコーチングでの学び3~私が自己肯定感を上げられなかった本当の理由
前回は、
HSS型HSPの
TikTokで紹介した
物事の本質を見抜くのが
幼少期より得意、
悩みたくないが
悩まないのはダメな気がする、
人間性を絡めて考えたりと
哲学的な思考をすることを
中心にしてお話ししました。
HSS型HSPの日常・本質を見抜く「賢者の目」を持つということ
今日は一昨日コーチングの講義で
自己肯定感の育みについて
お伝えしたいと思います。
実は一昨日余りにも
学んだ内容からの気づきが大きく
ちょっと昨日は
私の繊細さがその消化に
追いつき切れていなかったため、
ブログをお休みしました。
自己肯定感は良い人生を歩むために
とても大切で、
自己肯定感が低い場合は
人生の所有者である自分が
それを上げていくことが
大切だと学びました。
自己肯定感を上げるためには
自分の存在価値を認めることが
必要になります。
コーチングの授業の中で
「何かができているから価値がある」
という条件付きの承認ではなく、
いわゆる
「生きているだけで価値がある」
と思うことが大切で、
「自分で自己肯定感を育てるためには、
『自分の存在価値』を
認めましょう」と言われました。
その取り組みを
日々せっせとしてしているおかげで、
何もできなくても
私が存在していたら確かに
助かる存在がいるので
「私には存在価値がある」
と思えるようになりました。
日々の努力は本当に大切です。
以前の私は自己肯定感がない訳では
ないのですが、
どこか自分を
認め切れないところがありました。
そのために
仕事で成果を上げることで
存在価値を見出していました。
仕事への存在価値の依存です。
そんな私なので
長年自己肯定感を上げる努力は
人一倍は多分やってきました。
自己啓発系の本の購読やら
コンサルの受講やら、
トータルで言うとなかなかの
金額をこのために費やしてきました。
でもなぜか
どうしても
上げ切ることができませんでした。
色々やってみて
少しは自己肯定感が上がるものの
条件が変わると落ちるを
繰り返してきました。
つまり本当には
自己肯定感は上がっておらず
上がったのは一過性で
本質的には上がっていなかった
ということを突きつけられ
落ち込むということを
繰り返していました。
なぜこうまでなのか?
フィリップ・マグロー氏ふうにいうと
私は自己肯定感が低いこと、
自分の存在価値を認められないことで
旨みを得ているそうなのです。
私の著書「ライフストラテジー」が
愛読書だった私は
長くこの問題に悩みました。
フィリップ・マグロー著書
「ライフストラテジー
人生戦略 ―
相手に圧倒的差をつける戦略的人生論」
でも分からないのです。
悲劇のヒロインになって
人から同情をもらっているのか?
ーーーいや、
同情はもらっていないような。。。
父を攻撃する理由にしているのか?
そこまで仲は悪くなかった。。。
晩年には拗れたけれど。。。
長く謎でした。
理由は簡単でした。
「存在価値が私にあっては
都合が悪かった」のです。
まさか、でした。
「存在価値があって困ること」
など思い当たらないので
私もずっと気づかなかったのです。
それに気づいたのは、
全くの偶然でした。
そろそろ処分しないといけない、
なぜか急にそう思って
昔好きだった漫画を片付けて
いた時のことです。
その漫画は
読まなくなって久しいのですが、
なぜか何十年も手放せず、
大切に持っていたものでした。
その漫画の主人公は
才色兼備なのになぜか
親から愛されずしかも疎まれ、
結局愛した人にも去られる、
しかも親を憎みながらも
無意識に親への愛を乞うが
その願いは叶えられることもない
という、
かなりどんよりな人生を
歩んでいるのです。
救いようもないと言えば
救いようもない話なのですが
でもなぜか好きだったのです。
不幸を読んで
その救いようのなさに
ある種の達成感を感じるとも
好きな理由が違うのです。
で、分かったのが、
主人公への凄まじい共感でした。
あれだけ恵まれた主人公が
親に愛されなかったのだから
姉より劣っていた私が
父から愛されなかったのは
仕方がない、
私はどうやら読みながら
そう無意識に自分を
納得させていたのです。
私と父ですが、
小学校の2年生くらいまでは
勉強とか関係なかったので
親子仲は良好でした。
よく父にまとわりつき
父の膝に乗ったりして
甘える子供でした。
そんな父が
私に厳しくなり、
姉の方に甘くなってきたのは
私が勉強ができないことが
発覚してからです。
子供だから当然
親からの愛情は欲しいわけで、
しかもかつて貰っていたのに
貰えなくなったら(減ったら)
衝撃ですよね。
当然愛情は欲しい訳です。
いつしか、
態度を変えた父を嫌うようになり、
恨んだ時期もありました。
私が社会人になり関係が改善した後
父が高齢になり
体が思うように動かなくなってから
関係が再び悪化しました。
このため、
私の気持ちがさらに
拗れたのです。
要は、
「存在する価値がある」のなら
父に愛されるはずだ。
価値がある私が
愛されていないのはおかしい。
だから
「私に価値がない」
だから
父に愛されないのは仕方ない。
今ならわかりますが、
父に愛されなかったのではなく、
私が心配だけど自分では
助けてやる力がない、
自分の非力さを突きつける私を
父は見たくなかっただけなのです。
ですがそんなこと、
子供にわかるはずもありません。
この自分を納得させるための
「私には価値がない」という
確固たる論理には、
自己肯定感を上げるための考えは
極めて不都合なものでした。
だから無意識に
「自分には価値がない」
だから父には愛されない、
「子供を愛せない父は最低。
だから私が父を憎むのももっともだ、
私には父を嫌う権利がある。
お父さんなんて嫌い」
そして、
私のワーカホリックの根底には
ただ存在価値の依存だけではなく
「お父さんより絶対偉くなってやる」
その思いがありました。
私を否定するする父を受け入れると
仕事を頑張る原動力も減り、
そうすると
仕事を頑張れなくなる、
そうすると自分の存在価値を
証明できなくなります。
そういう屈折した
複雑怪奇な思いが
私が自分の存在価値を認められない
根本原因だったのです。
よくHSS型HSPは
自分の本当の気持ちがわからない、
都合の悪い話ほど
無意識に逸らすと
クーパー博士の著書の中でも
触れられていましたが、
まさにそうでした。
コーチングでの学びで、
「今あって当たり前だと
思っているものへの感謝」を
含めて毎日40分ほど
トータルで自己肯定感を
上げる取り組みを
行っています。
やっているうちに
毎日どんどん「当たり前」が
当たり前ではない、
実はとてもありがたいものだと
気づきました。
そして、
私がこの「当たり前への感謝」が
なぜああも苦手だったのかも
わかりました。
それは
当たり前が当たり前でないと
気付くと、
私にとって
ものすごく不都合だったからです。
父から受け取ったものを
「当たり前」だと思わないと
私は父を許せない自分を
正当化できないからです。
これを正当化できなければ
父を許してあげられず
優しくできなかった自分が
いることに直面するからです。
このことに私が
耐えられなかったのです。
亡くなって3年ほどで
吹っ切れたと思ってはいても
私の中にこんな思いが
まだ残っていたようです。
これだけ壮大な根深い思いが
私の中に巣食っているとは
自分でも気づきませんでした。
こうしてブログに
思いを書いて他の方に
知っていただこうと思ったのは
HSS型HSPが自分の気持ちに
いかに気づきにくいかを
知っていただきたかったからです。
私は自己分析の鬼です。
自己肯定感が上がるために
今までも必死で自己分析を
してきました。
どのくらい鬼かというと、
専門の方からも
それだけ自己分析ができているなんて
すごいですね。
自己分析、聞く必要なくないですか?
と言われたこともあるくらいです。
でもわからなかったのです。
私の経験から
HSS型HSPが自己肯定感を
上げるのが苦手なのは、
おそらく私と同じように
自分の本当の気持ちに気づかず
根本的な理由に
目を向けられないからだと
思ったからです。
そして、
自分が根本的なことに
気づいていないかもしれないと
気付くことにより、
気付くことができると
考えたからです。
自己肯定感が上がると
かなり気持ちが楽になります。
同じように自己肯定感を
上げられずに
悩んでいるHSS型HSPの方に
何がしかのヒントを
お伝えできればこの上ない幸いです。
コーチングに出会えて
本当によかったです。
そして、
占星術のよー先生のおかげで
父の星座から父のことを
より理解でき、
父の人生を肯定できるように
なったことも大きいです。
人も自分も許し受け入れることが
心の幸せに
通じるのだとしみじみ思います。
コーチングと占星術で
良きしに出会え、学べて
本当に良かったと思います。
「傷つきやすいのに刺激を求める人たち」
~フォレスト出版
トレイシー・クーパー著
(カリフォルニア
統合学研究所の統合学哲学博士。
HSPのアーロン博士の
ドキュメンタリー映画にも
出演、自信もHSS型HSPと公表)
時田ひさ子監訳
(HSS型HSP専門心理カウンセラー)
長沼睦雄監修
(精神科医)
明日はいつも通り、
HSS型HSPの日常のあるあるを
お伝えしたいと思います。
HSS型HSPの日常・相反する気質が故に自分イジメする愛すべき人々