世界観episode73~刺激的な上司との出会い(HSP社会人後編③)
前回は
新しく異動した部署で
初めて趣味が合い、
そして仕事でも
良き仲間だった
同僚と一緒に働き、
仕事にやりがいを見出したことを
お話ししました。
世界観episode72~相性の良い同僚とやりがいと苦手な環境(HSP社会人後編②)
今回は、
新しく異動して来た
刺激的な上司について
お話しします。
新しく異動してきた上司は
とても刺激的な方でした。
この方の下で
私は4年間働きました。
この4年間は、
私の公務員人生の中で、
最も厳しくきついと同時に、
最も充実した
楽しく刺激的な日々でした。
その方についてお話しします。
その方は
大変な読書家で、
知識も豊富で話題も豊富。
会話はユーモアとウィットに富み、
ときには戦略的に
自ら道化を演じて
笑いをとられていました。
そして、
仕事への意欲や熱い思いを
ひょうひょう・冷静な上部の下に、
秘めた方でした。
ですが、
場合によっては、
冷徹な面や冷酷な面も使い分ける
緩急自在で、
「圧」も使い分ける方でした。
このため、
人によっては、
過去には、
圧が怖いということも
あったようです。
ただ普段は、
文化から歴史・テクノロジー
政治・経済なんでもござれな、
読書家の教養人そのものでした。
読書量に裏打ちされた
知識量はすさまじいものでした。
この知識と
洞察力により
物事の本質やその先を見通す力を
備えていました。
その方から聞く、
これから先の
未来の姿は
わくわくと暗さを
感じるものでした。
今からしても
当たっている物が多く
今でも思い出すと
凄さを感じます。
絵や文明論・社会論を
私が遠慮無く話せ、
教えを受けられる人というのは、
この方が初めてでした。
仕事については、
超絶厳しいという評判に
違わない方でした。
もっとも、
昔を知る方からは
ずいぶん
丸くなったとのことでしたが。
その方の異動を聞いたとき、
元部下の方や色々な方から、
難しくて厳しいよ、
と聞いていたので、
私の仕事は直接
その方と関わることが多かったので、
どきどきしていました。
その方は一口に言うと、
頭の回転が抜群によく、
「一を言えば十を知る」ですまず、
「十を知った上で
するどい十一番目の質問をし、
下手をすると教えた者より
よく理解する」
という方だったのです。
このため
仕事が非常によくでき、
合理的な方で、
基本仕事ができない者や
いい加減な仕事をしようとする者、
意欲のない者に対しては
この上なく厳しい方でした。
仕事上
「今までやってきたから」という理屈は、
その方には通じず、
ちゃんと根拠と合理的な説明を
求められました。
口ごもると
調べるように冷ややかに
言われたのを
思い出します。
前例を当たり前と疑わず、
正しいかどうか
確認や検証しないのは、
職務怠慢だし、
怖いことだというのが
その方の持論でした。
もちろん、
その方は答えを知っています。
知った上で、
私達の理解力と仕事への姿勢を
問うているのです。
よく、
「さっきは
答えられなかったので、
リベンジさせてください!」
と説明に行ったものです。
そんなとき、
嬉しそうな顔をされたのを
今でも懐かしく思い出します。
その方には厳しさを語る
エピソードがありました。
どこの確認を受けるよりも
一番怖いから、
彼に提出するときが
一番緊張する。
彼のチェックが通っていたら、
どこに出しても安心
と言われていました。
幸い、
私はその方と
思考パターンの
相性が良かったので、
書類のベクトル自体を
ダメ出しされることは
あまり有りませんでした。
それでも、
彼が求める水準を
クリアしていない書類を提出すると、
何度も容赦なく
訂正・やり直しを
私も命じられました。
時にはあまりの厳しさに
胃が痛くなることも
ありました。
ですが、
その方を恨んだり、
憎んだり嫌ったりすることは
ありませんでした。
というのも、
その方は
とても面倒見が良い方で、
なおかつ、
私を育てようと
よく目をかけてくれていたのも
分かっていたからです。
その方は、
自分の時間を割いて、
資料を作るときには
こう直した方がいいとか、
考え方はこうであるとか、
説得するためには、
この数字の裏付けがあった方がよいとか
仕事をする上で必要なことを
余すこと無く
私に教えてくれました。
このため、
日々成長する気持がして
とても楽しかったです。
また、
私の扱い方を
よく心得ていた方で、
上手に私を使いこなす方でした。
例えの秀逸な方で、
私の仕事ぶりについて、
「分からないと
魚をそのままどんと出すよね。
関心が薄いと
パスタの大盛りがどんと
お皿に盛り付けられて出てくる。
そこそこの味付けと盛り付けで
物量作戦でくるから、
『お、おう、そうか』と
こちらも言わざるを得ない。
関心があるもの・得意な物については、
凝った会席料理になるよね。
繊細な味付けに
器まで含めた美しい盛り付け。
実に分かりやすいねぇ。」と評されました。
私の仕事をするときのモットーは、
勝手がわからず
最初はイマイチであっても、
リテイクの際には、
期待を超える物を出す、
でした。
これを実行していたのは、
一つは、
私が負けず嫌いであること、
もう一つは
成長に対して
貪欲であること、
最後は
彼の役に立ちたい、
そして彼の期待値を
上回りたいという野望が
があったからです。
また、
業務改善や提案にも
前向きな方だったので、
その方の元、
色々頑張り、
実現できたり、
実現の種をまくことが
できました。
その方の下で過ごした4年間は、
体力的にも、
精神的にもきついことが
たくさんありました。
ですが、
私のことを理解し、
こんかぎり
使いこなしてくれる上司に出会い、
一緒に全力で働けたことは、
生涯の宝物です。
この経験があったからこそ、
私は早く職を辞しましたが、
自分の公務員として
頑張って働けたことに
充足感と誇りを
抱くことができ、
後悔にさいなまれずに済むのです。
ですが、
この経験は、
同時に諸刃の剣でもありました。
今にして思えば、
昼休みを完全にとらず
働くことがほとんど
完全にワーカホリックでした。
HSS型HSPは、
自己肯定感が低く、
自分の存在価値を認めづらく、
存在価値の承認を
仕事など別の物に
求めがちということがあります。
私は、
自分が希望の部署に
いけたり
いけなかったりしました。
もちろん、
それぞれの部署で
悔いなく働きました。
ですが、
もっと自分の力をためしたい
という強い思いが
ずっとありました。
このため、
自分が無能ではないことを
証明して自分を納得させないと、
自分の存在価値がないと
思っていました。
この恐怖から逃れるために
必死で仕事ができることを
自分自身に
証明し続けなければ
ならなかったのです。
それ故に、
自分が尊敬する
有能な上司の期待に応えることで
自分自信に
「私は価値がある。
無価値な人間じゃない。
私はできるのが当たり前。
できないのはあり得ない。
だって、
私はできる子だもん」と
一生懸命鼓舞して
有能さを証明し、
納得させていたのです。
つまり、
上司を含め周囲から
仕事で褒められることで、
自分の優秀さを証明し、
自分の価値を
確認していたのです。
自分の存在価値を仕事に
求めていたのです。
このことは、
結局、
私の自己肯定感は
仕事に依拠し
本来の「存在価値」による
自己肯定感を育って
いなかったのです。
後に、
このことは
仕事がうまくできなくなると、
自己肯定感が
壊滅的なことになることに
つながりました。
明日は、
前回お話しした
気の合った同僚の異動による
係の環境変化から
急性低音障害難聴に
なったこと、
自分自身の人事異動についてを
お話しします。
世界観episode74~ストレスからの耳の不調と人事異動の失望(HSP社会人後編④)
に続きます。