世界観episode57~慣れぬ環境への苦労(HSP社会人前編②)

 

 

  前回は

  4月1日の就職第1日に

  あわせて、

  公務員になった志望動機と

  辞令交付の日のできごとについて

  お話ししました。

 

 

   世界観episode56~ 4月1日・志望動機と辞令交付(HSP社会人前編①)

  

 

  今回は、

  働き始めて慣れぬ環境に  

  苦戦したことを

  お話しします。

 

   

  働き始めて  

  戸惑ったことの一つに、

  机の配置がありました。

  

  平成10年当時は、

  職場の机の配置は、

  基本対面式。

  昭和の小学校の給食の

  時間スタイルでした。

  対面式で、

  目の前に同僚の顔が

  見える形式です。

  

  しかも同僚といっても、

  自分より上の方が

  目の前に座ることもあります。

 

  相手の顔が

  常に見えるし、

  相手からも常に見られる状態です。

 

  もちろん、

  みんな仕事に忙しいので、

  いちいち正面の私のことを

  じっと見るほど暇なんてありませんが。

  

  わかっていても

  落ち着かない、

  そんな状態でした。

 

  小学校の給食の時間以来

  こういう形式で

  座ったことがなかったので

  ものすごく戸惑いました。

 

  というのも、

  小学校のときは

  隣の席とくっつけても

  対面ではありませんでした。

  

  中学校以降は、

  隣の席とも

  通路を設ける形式で、

  隣からも覗かれることがない

  環境でした。

 

  大学の図書館は

  対面型でしたが、

  机の真ん中に衝立がありました。

  この衝立により、

  正面の相手のことは視界に入らず、

  お互い自分の世界に没頭して

  勉強ができました。

 

  しかも、

  図書館の中には

  本気で勉強する人用の部屋も

  ありました。

  人気で少し遅く行くと

  いつも塞がっていました。

  集中ができるよう、

  人目を遮断しているのです。

  その席は、

  アメリカのドラマで見る

  会社の風景のように

  個別ブース風に

  三方を囲った席でした。

 

  ひるがえって

  職場の席です。

 

  昭和の小学校で

  給食を食べるときの席なので、

  最初にお話ししたように、

  書類から目を上げると

  常に人の顔が見え、

  時には目が合うというのは

  本当に苦手でした。

  

  幸い、

  よく使う共用的な参考資料を

  机の上に置くようになっていました。

  この書類立てのおかげで

  視界がフルオープンに

  ならずにすみました。

  

  この書類のおかげで

  人の視線から隠れる場所が

  できるので

  ほっとしていました。

 

  もっとも

  これも数年後には

  上司からよく見渡せるように

  ということで

  置かなくなりましたが.....。


  

  もちろん、

  この机の形ですが、

  スペースの問題もあるので

  仕方が無い問題で

  あることは理解しています。

 

  もちろん、

  あの形が合理的な利点があることも

  重々理解しています。

  確かに、

  他の人の電話でのやりとりを

  自分の仕事に集中しながら、

  気を配ること求められていたので

  目の前の相手の

  状態を把握できました。

  

  電話での対応で

  困ったとき・助けが必要な場合には

  正面に座っているため

  顔がよく見え、

  援護射撃等、

  対応がしやすかったのです。
      

  この利点のおかげで

  私も何度も助けられましたし、

  その逆もしかりです。 

 

  電話でなくても、

  仕事上の

  ちょっとした疑問や相談を

  みんなですぐに相談し合える

  利点もありました。

 

  ですが、

  私にとっては、

  どんなに利点があっても、

  やはり

  人からの目線に

  常に去られること変わりはありません。

  

  我慢することはできますが、

  平気になることは

  最後までありませんでした。

 

  というのも、

  私は、

  人に見られると集中力が

  下がるのです。

  じっと見ているかどうかだけが

  問題ではないのです。

 

  そして、

  目の前の人が動く影が

  視界に入ると

  その動きや気配で集中力が

  そがれることもあります。

 

  動きに気を取られる以外にも、

  心理的にも

  変に気を遣ってしまうのです。

 

  そもそも

  正面に座っている相手と

  目が合うと笑わないといけないかな、

  すっと目を反らしたら感じが悪いよね、

  面倒くさ.....。

  それで、

  相手が何か聞いてほしそうだったら

  相づちをうたないといけないかな、

  面倒くさ....。

  それを一々判断すること自体が

  煩わしい。

 

  平たく言うと、

  ものすごく気疲れするのです。

 

  しかも、

  相手の機嫌が悪いときには

  それを感じるだけで疲れます。

  相手の不機嫌さに

  気を遣わないようにと

  神経を使うので、

  さらに気を遣って疲れるのです。

 

  そして、

  相談しやすいということは、

  人の話し声が

  聞こえやすいことにつながります。

 

  人の話し声がたえず

  近くですることに

  非常に疲れるのです。

 

  加わらないといけないのか、

  加わらなくて良いのか、

  そのことを

  仕事をしながら考えることも

  疲れるのです。

  無視してばかりだと

  感じが悪い人になってしまうのも

  いけないと思っていたのです。

 

  

  働き始めてすぐは、

  仕事の内容を覚えるのも

  大変でした。

  それに加え、

  環境に順応できずに

  へとへとによくなっていました。

  

 

  職場にいる他の人や、

  配属先は違えど、

  同じような机の配置で働く

  私の同期達に聞いてみたところ、

  私のように

  職場の机の配置について

  苦痛に感じたり、

  疲れることはないようでした。

 

  そして

  両親や姉も

  私のように

  音や人の気配が

  気にならない人たちでした。

 

  しかも、

  母や姉は

  環境に左右されず集中力を

  発揮できる人でした。

  このため

  相談や愚痴っても、

  私のような

  集中力の途切れ方や

  気の使い方は

  理解できなかったようです。

 

  母や姉より

  やや細やかな父にしても、

  私ほど苦痛には

  思わないようでした。

 

 

  疲れ切り、

  苦痛な環境に困る私に、 

  両親や姉は、

  「仕方が無いよ」

  「そのうち慣れるよ」

  と月並みな台詞で

  慰めることしかできないようでした。

 

  もっともこれは

  仕方がないことでした。

  改善の仕方がないからです。

 

  私が慣れるか、

  気にしなくなるか、

  仕事を変わるか以外に

  手がないからです。

 

  だから慰めるのも

  月並みにならざるをえず、

  慰めている方も

  私が慣れる日が来ないことが

  わかっていたので、

  困っていただろうなと思います。
  

 

  同期に話しても、

  私が神経質であるだけという

  反応を示され、

  せっかくの

  知り合いを失うと私は思いました。

 

  それに何より

  『神経質な人」という

  目で見られるのが、

  異常な人と思われるのが

  怖かったし、

  嫌で嫌で仕方がなかったのです。

  

 

  職場の人に相談するのは、

  もっとあり得ませんでした。

 

  言ったところで

  この感覚を

  分かってもらえないことは

  分かっていたし、

  単純に私大を出たばかりで

  甘えているとしか

  思われないこも分かっていました。

  

  私の心象が悪くなり

  冷たい目で見られるのが

  おちだったのです。

  

  職場の環境になじめない

  自分がやはりおかしいのかと

  自問し続けました。

  それでも

  今まで「普通」の環境で

  やってこられたのだから

  おかしくはないはず....

  答えの出ない問いが

  頭の中でぐるぐる巡り続けました。

 

  神経質である自分を

  恥じる気持でいっぱいになりました。

  

  そして、

  慣れることができないこと、

  普通の人ができていることが

  できないことに

  いらだちと自己嫌悪を

  募らせました。   

  

  

  共感してもらえる人が

  周りにいなかったのは、

  本当につらかったです。

 

  このことは、

  ずっと続きました。

 

  もちろん、

  何人かは私が音が苦手で

  困っていることを

  理解してくれてはいました。

 

  ですが、

  同じ目線で困っていることを

  理解する人は

  あまりいなかったように

  思います。

 

 

  やめる際に所属した部署で

  一緒に働いていた

  先代の係長は、

  私が音が苦手で

  困っていたのを理解してくれて

  気にしてくれました。

  このことは

  本当にありがたかったです。

 

 


  HSS型HSPの特性に、

  監視されるのが苦手、

  人に見られるのが苦手、

  人の機嫌に気を遣ったり、

  影響を受けやすいというものが

  あります。

 

  今にして思えば、

  私が職場の机の配置に戸惑い、

  苦手だったのは

  HSS型HSPの特性に

  よるものが多かったと思います。

 

  最近になり、

  HSS型HSPの特性について

  知るようになった私は、

  自分がおかしかったわけではなく、

  そういう性質だったのだと

  知ってホッとしました。

 

  もちろん、

  働き出して

  15年を超した頃から、

  変なプライドは捨て、

  うるさいのが苦手、

  人の話し声が苦手と

  周囲の人に話して、

  理解してもらえるよう努めてきました。

 

  もちろん、

  そういうときには必ず、

  「私、神経が細かいから~」

  と自虐のような枕詞を

  前に付けて、

  自分が傷つかないよう

  予防線を張っていました。

 

  HSS型HSPの繊細さの

  ゆえんです。

 

  ただ、

  私のこういう性質を

  理解して気遣ってくれる人も

  いましたが、

  大多数の人には

  分かりづらいことでした。

 

  この点は

  働く上で最も苦労したことでした。

 

  そして、

  疲労すると

  仕事にミスをしやすくなります。

  ミスしないようにすることにも

  注意力を常に

  めぐらせてきました。

  その分普通の人よりさらに

  疲労しやすかったと思います。

  

 

  HSS型HSPの特質は

  働く環境によっては、

  本当に苦労するのです。

  

  明日は、  

  引き続き、

  慣れぬ環境への

  苦労についてお話しします。

 

 

 

 

 

 

  に続きます。