世界episode11~比較要素がいっぱい!(HSP小学校編・その①)

 

  ※前回は

 ・HSP幼少期編の最終話

 世界観episode10~保育園の卒園(HSP幼少期編)

 

 

 今日からはHSP小学校編のお話をします。

 

 

 小学校に入ると

 姉と同じ枠組みに入るので、

 テストや行事が姉と重なります。

 

 具体的には、小学校には、

 

 夏休み・冬休みの後には書道の表彰や、

 夏休みの後は

 ポスターや読書感想文の表彰、

 校内写生大会の表彰、

 学習発表会や音楽発表会の

 ピアノ伴奏者の選出、

 学期ごとの学級委員の選出、

 成績表、しかも

 成績表の中の謎な人物評価、

 

 これだけあります。

 

 

 しかも、この学校行事に加え、

 習い事の

 書道の教室での昇段試験、

 ピアノ教室でのピアノの発表会が

 加わります。

 

 

 成績表やテストの点数、

 何賞で賞状をもらったか、

 学級委員等に選出されたか、

 ピアノの発表会では

 どの曲を弾くか、

 

 優劣が

 明確に示されます。 

 

 そうすると、自ずと

 姉と比較される機会が増え、

 自分でも比較して

 落ち込み自己嫌悪の機会が

 増えていきました。

 

 詳しくお話しすると、

 

 夏休み等の長期休み明けの朝礼では

 諸々受賞者の入賞者以上の

 発表があります。

 

 姉も小学校にいた

 私が1年生・2年生の時は、

 

 毎回私の名前が呼ばれますように...,

 金賞、呼ばれなかった、銀賞、銅賞...

 どうしよう、名前が呼ばれなかった。

 入賞になってなかったらどうしよう....。

 

 ●年生が発表され始めた。

 姉の名前が呼ばれませんように...

 

 と必死で念じていました。

 

 姉が卒業した小学校3年生以降も、

 それは変わりませんでした。

 

 むしろ、成長して知恵がついた分、

 姉の優秀さを知り、

 自分が姉より劣っていることを

 自覚するようになりました。

 

 

 姉はピアノも上手でした。

 学習発表会や音楽発表会では、

 基本いつもピアノないしは

 オルガンの伴奏をしていました。

 

 

 当時、音楽発表会では、

 クラス単位ではなく、学年単位での

 演奏がありました。

 

 各組の伴奏者のトップが

 伴奏者に選ばれます。

 

 それにも姉は選ばれていました。

 

 

 当時はやっかいなことに、

 ピアノの演奏は、

 「私やりたい!」の

 自薦は許されない雰囲気の中、

 

 だれかが

 「●●ちゃん、ピアノやってて上手だよ~」

 という他薦方式で決められていました。

 

 つまり、伴奏ができるかどうかは、

 ピアノの技量のみならず、

 人気者投票の要素もあったので、

 

 全体演奏の伴奏者に選ばれることは、

 当時の女子小学生にとって、 

 ものすごい誉れでした。

 

 

 こつこつたゆまず、

 ストイックに練習を積み上げていく姉。

 

 姉は「努力の天才」。

 

 姉のことをそう評する高校の先生がいました。

 

 まさにぴったりです。

 

 姉は「努力」という才能の持ち主でした。

 

 姉はできることは当然それを磨き、

 できなければできるように努力する人です。

 しかもできるようになれば

 さらにそれを徹底的に磨き上げる人です。

 

 

 一方、私は小学校高学年までは、

 基本、勉強もピアノも

 やり始めたら頑張るけれど

 自発的にするのは苦手。

 

 しかも、自尊心だけは妙に高いので、

 できない自分を受け入れられなくて、

 努力することがとても苦手でした。

 

 テストや学期末や、何か表彰があるたびに

 比べられるのです。

 

 可愛がってくれた大好きな伯母も

 学歴重視型だったので、

 姉と比べられる時ばかりは

 ちょっと嫌でした。

 

 父も優秀な姉の話を聞くときは

 それは露骨に嬉しそうでした。 

 

 父方の祖母を始めとする親戚は

 もっと露骨に姉の方を持ち上げていました。

 

 みんな、

 私がどんな思いをしているか、

 全く気がついていなかったのです。

 

 勉強ができないことについて、

 何も言わない母や母方の祖母は大好きでした。

 ただ、

 母が私と姉を勉強について比べないのは、

 ありがたかく救いでしたが、

 子どもなりに

 含みがあるようで、

 ずっと後ろめたかったです。

 

 感受性がするどく、

 観察能力の高い

 HSS型HSPの子どもにとっては、

 優劣を示される環境は、

 自己嫌悪と自己否定により、

 自己肯定感を下げて行くので

 厳しくつらい環境でした。

 

 

 今にして思えば、

 子ども時代の私が、

 勉強やピアノの練習が大嫌いで、

 不熱心だったのは、

 

 努力した挙げ句。

 できなかったら、

 やればできる、やらないからできない

 という言い訳を使えなくなるのが

 怖かったからだと思います。

 

 必死で

 姉より能力が劣っているという

 現実から逃げて、

 自分を守っていたのだと思います。

  

 

 こんな風に

 姉と比較される機会にさらされ、

 落ち込み、自分は駄目な子だ...

 という思いを強めていくようになりました。


 

 明日は、

 テストの点が悪かったときの伯母さんとの

 思い出をお話しします。

 

  

 

 

 

 

 

 

 に続きます。