男の子にしか見えないフミは十二歳。
大陸一の女郎になってみせると露西亜へ・・・
明治四十年。
初めて哈爾濱の駅にフミがついた時、リラの薄紫の小さな花がフミを迎えてくれました。
フミと共に人買いと一緒に哈爾濱にやってきたのは、フミよりひとつ年上のタエ。
親に売られて女郎になるべく、フミと共にはるばる哈爾濱の地へやって来ました。
しかし、フミは誰に売られたわけでもなく・・・
そもそもフミには親もいない。
育ての親である父は辻芸人。母は吉原の大夫だったと聞かされて育ったフミ。
育ての親にも捨てられてひとりぼっち。
フミは人買いの達吉に、どうしても自分も連れていってくれと、おらも売ってくれと、蹴とばしても殴ってもしぶとくしがみついて離れなかったのです。
二人が売られた先は傅家甸(フージャデン)という支那人の街にある「酔芙蓉」(チョイフーロン)
哈爾濱は露西亜人が支那人をこきつかって作った街で、苦力(クーリー)たちは傅家甸に住んでいたのです。
厳しい運命を生き抜いてきた姐さんたちの生き様。
姉妹のように共に成長していく美しいタエ。
初恋の人との出会い。
そして旦那さんになってくれた華族の次男坊。
この広い露西亜の地で、フミは己の夢をかなえるために、精一杯、生きるのです・・・
物語の中で、伊藤博文が暗殺されるその場に、まだ幼いフミとタエは居合わせたのですが、本作はちょうど日露戦争後の渾沌としていた時代のハルビンが舞台。
『世界の果てのこどもたち』を読んだときも、日本からはるか遠くはなれた満州の地で、こどもたちが過酷な人生を生き抜く様に涙しましたが、同じようにこの本もぐいぐい引き込まれまして。
遠い地に夢を抱いて渡った日本人の、その後の過酷な生活や、
大陸の広さ、厳しさといったような要素が、私はどうもツボにはまるようです。
姐さんである牡丹、蘭花の悲しくも潔い生き様に女のたくましさをしみじみと感じ、
お千代のために舞を踊るフミと、口上をのべるタエのシーンにグッときましたが、
ラストが私はけっこう好きかも。
初恋の人と、自分の芸を心から愛し認めてくれる旦那さんと、
どちらを選ぶかは本当につらい決断だったでしょうけれど、
フミの下した決断に私はあっぱれと拍手を送りたい・・・
どんな決断をしても、人は必ず後悔する時が、遅かれ早かれ必ずあると私は思うのです。
どうせ後悔をするならば、
フミにとって一番大事な、芸だけは守るべきだと私も思うから、
フミはどれだけ後悔しても、一番大事な芸があれば、きっと生きていける・・・
これ、携帯小説だったのですね、もともと。
携帯小説というものがどういうものなのか全く知らないのですが・・・
続きもあるようで。
楽しみです!