毎度のことですが、このペースで更新していたら
この旅行記は一体いつ終わるのか……
手短に済ませたい
しかし、旅先でテンション上がったことは伝えたい
というわけで今更の8月23日の話題の続き
義仲寺に行った後は、崇福寺跡に行ったのです
崇福寺……跡
そう、跡です
お寺は残っちゃいません
飛鳥時代、天智天皇が近江大津京を作ったとき
建立され……室町時代くらいまであったといわれているお寺
……の、跡
しかも山寺の跡なので、山道を行きます……
ほーら、こんな草深いところに案内板
そして……
ほーら、ほぼ何もない
でも、毎度書いてますが、千野はこういう「跡」が大好きなんです
ここを、あのヒトやこのヒトが歩いたんでしょ
って、それを感じられるからね
ここは、『万葉集』に「志賀の山寺」って出てくるトコロなのでは
と言われていまして
天武天皇の子である穂積皇子が遣わされた地です
その際に異母妹の但馬皇女の詠んだ歌が『万葉集』に残っているのです
ちなみに穂積くんと但馬ちゃんは恋愛関係にあったのかも
……なんてことがうかがえる歌が『万葉集』にはいくつかありまして
でも、それはどうもイケナイ恋愛だったんじゃないか
……なんてことも『万葉集』からうかがえるわけでして
ということは……穂積くんが崇福寺に遣わされたのも
もしかして恋愛事件による左遷
なんて説もあります
このあたりのことはおいおい語りたいのですが
まぁ、ともかく 崇福寺跡というのは
古代史&『万葉集』ファンの妄想が止まらない地なのでした