……で、藤原宮跡のことを
「藤原京」というのは
カンタンに言ってしまえば平城京の前の都です
7世紀の終わり(694年)、持統天皇(女帝です)のときに遷都して
(持統のダンナさんの天武天皇のときから構想はあったとか)
元明天皇(このヒトも女帝ですね)によって710年に平城京に遷都されるまで都でした
そして何より大事なのは、日本で最初の本格的な都だということ
しかも規模でいうと、平城京や平安京よりおっきかったそうです
で、行ってきたのは藤原「宮」跡
藤原「京」という都のなかの、政治の中心街のようなものが藤原「宮」
乱暴にいえば
皇居と永田町と霞が関の機能を一か所に集めて塀で囲った場所です
塀で囲まれて門があったので、その門があった跡が発掘調査で見つかっていて
その一帯が、史跡として保存されているわけです
説明板も立っています
それにしても、のどかです……
また、藤原宮跡といっても、発掘があったいろんな場所が点在しています
だから、全部まわると大変
時間もなかったので、丁寧に見るのは次回に持ち越しです
本気でめぐったら半日仕事だなぁ
こんな感じで、発掘された柱の跡をもとに復元されているところもあります
それから……
奥に写っていますが……藤原宮の北にあるのが耳成山
東にあるのが百人一首の持統天皇の歌でも有名な天香具山
この、のぼーっとしているなだらかな山です
逆光になってしまいましたが、西にあるのは畝傍山
この角度だとキレイな三角ですが
もうちょっと南から見ると、なかなか個性的な形です
なんというか……『星の王子さま』に出てくる像を食べた大蛇の絵の形みたいな
あの、オトナたちには帽子の絵じゃないかって言われるアレですよ
(分かります 『星の王子さま』を読んだコトのある方には伝わりますよね
)
この耳成山・天香具山・畝傍山が、大和三山
実は、かつては藤原京ってそんなおっきい都だと思われていませんでした
この大和三山にちょうど囲まれる形だと考えられていたのです
それが、発掘調査が進むうちに、大和三山の外でも遺構が見つかって
いまでは、大和三山もすっぽりおさまるおっきな都だったのでは
と、考えられているのです
ちなみにこれを、大藤原京説
といいます
あ、そうそう
平城京や平安京、おっと忘れちゃいけない長岡京も
(でも長岡京って「幻の都」と呼ばれた時代もある、ナゾだらけの都なんですよね)
いずれも、宮は、都のいちばん北にありました
歴史の図説とかの都の図では、いちばん上の真ん中あたりが四角く塗られていたと思います
アレのことです
でもでも、藤原京だけ違うんですよ
藤原京は、宮を都の真ん中に置いていたんです
まぁ、ちょっと北寄りで、完全な真ん中ではないのですけれど
なんだか藤原宮跡に立っていたら
古代の真ん中にいる
って気分になりました