昨日の続き
壇ノ浦の戦いの主戦場はこのあたりだとか
写真にも微妙に写っていますが、対岸が近い
(なにしろ地下道の中を15分ぐらい歩けば九州)
ここに源平両陣営の船が対峙したわけですよ
『吾妻鏡』によれば、源氏軍840艘、平家軍400余艘
ここに、そんなに と思うぐらい狭い海峡です
勝敗を決したのは
刻々と変わる潮の流れとも、平家側の相次ぐ離反と情報漏えいとも
あるいは源義経のえげつない……いやいや て、天才的な戦術
のせいとも言われますが
なにはともあれ、ここで最終決戦が行われたわけです
でも、ここに立つと、激しい戦闘というよりは
水底に沈んでいった一門の悲哀がただただ胸に迫ります
そしてこれが、平知盛&源義経像
大河ドラマ『源義経』のときに作られた、まだ新しいものです
天気が悪くて写真写りがヒドイですが、躍動感たっぷりの素晴らしい像ですよ
まずは
平知盛さま
清盛の四男にして最愛の息子、平家の実質的大将です
(重盛亡き後の棟梁であった宗盛が、ちょっとダメなコだったっぽいのです)
ステキなエピソードはほんとに山ほどあるヒトですが
やっぱり、『平家物語』がえがく、敗戦を悟ってのこの名セリフ
「見るべき程のことをば見つ」
(※諸本によって表現は若干違います)
がいちばん「知盛といえば」なハナシでしょう
一門の運命をすべて見届けて散っていった男
たぶんこのセリフのせいでしょうか
後世、平家を題材にした作品は、知盛さんが主役のものが非常に多いです
ちなみに
『平家物語』では、このセリフの後
乳母子の伊賀平内左衛門家長を呼んで、
「日ごろの契約をば違ふまじきか(いつも約束してたこと、違えないよね)」
と言います
その言葉を受けて家長は、知盛に鎧を二領着せて、自分も同じく二領着て
ふたり、手に手を取って入水するのです
……つまり「日ごろの契約」の内容は
「死ぬときは一緒だぜ」
ってことでしょうね
武士の世界では、乳母子とは生きるも死ぬも一緒
『平家物語』には何組かの乳母子の物語がえがかれていますが
私、このふたりのこの場面がいちばん美しいと思います
……ですが
後世の芸能になってくると、このエピソードがなぜか変質し
知盛は、ひとりで碇を背負って入水したことになってしまいます
……鎧を家長に着せてもらうってところがポイント高かったのに、残念
まぁ、でも、それも歴史ですからね
現在でも歌舞伎でよく上演される『義経千本桜』
の「渡海屋」および「大物浦」が有名でしょうか
まずあの演目自体、通称「碇知盛」ですから
ちょっと残念ですが、それだけ人々に愛されてきたモチーフなのね、と思います
……ということで、この像も、碇知盛ですね
それから
源義経くん
逆光になっちゃってシルエットクイズみたいですが、跳んでいます
いわゆる義経の八艘とび
ですね
平家最強の勇将平教経(通称「能登殿」)
さんに追い詰められて
うわうわっ と遠くの味方の船に飛び移ったよ
というところです
能登殿の勢い、凄かったんでしょうね
なにしろ知盛さんに
「もうこれ以上、殺生の罪を犯すもんじゃない」
とたしなめられたものだから
「だったら雑兵じゃなくて大将を狙ってやるぜ」
と義経を探しまわっていたのですよ
で、ものすごい執念で半ば運命的に義経の船に来たわけ
……そんな勢いでこられたら、義経ならずとも逃げます
『平家物語』によると義経は2丈ぐらい飛んだらしいです
……6メートルちょいか
鎧を着ていると思うと、とんでもない跳躍力ですね
あ、そうそう
この写真で分かりますかねえ……この義経、長刀を持っています
これも『平家物語』の描写通り
このとき義経は「長刀を左手の脇にはさんで飛んだ」とあるのですよ
この後は海峡トンネルを通って、門司市がわも観光してきました