長崎沖で、元寇の沈没船発見
というニュースがありましたね
思わず、ぉぉぉぉぉぉっ と叫びました
元寇、は鎌倉時代にあった事件
1274年の文永の役と1281年の弘安の役のコト
今回発見されたのは、弘安の役のときのらしいですね
ロマンを感じます
なにせ元寇は大変な事件
日本は島国ですから、外から襲われた事件は本当に少ないですよねー
それだけに、備えも甘くってタイヘンなことになっちゃうんですよね
ほんと、よく撃退できたものです
ところで
平安時代にも、九州が襲われたことがあるって、ご存知ですか……
時は1019年
中国東北部の女真族が来襲したのです
対馬・壱岐が襲われ、そのまま九州は博多あたりまで襲われたんですって
賊船50隻、3000人という規模だったそうです
……そりゃあ、万単位で襲ってきた元寇とは規模が違いますけどっ
でもでも、大事件ですよね
ちなみにこれ、高校の日本史の教科書に「刀伊の入寇」として載ります
しかーし欄外とかに小さく載っているだけです
なかなかの事件だと思うのですが、そんな扱いでいいのかなぁ
で、その時の日本ですが
大宰府のトップとしてこれを撃退したのが
あの
藤原隆家くんなんですよぉぉぉぉ
……はい、つまり私はこれを主張したかっただけ
隆家くんに日本は救われているんですからねっ
以前にちらっと書きましたが
(9/29日の記事を参照してください)
隆家くんは几帳の横木に目をぶつけて失明寸前になっちゃったのです
それで、自ら志願して大宰府の長官になっていたのです
大宰府は貿易の拠点ですから、優秀な外国のお医者さんもいるわけです
つまり隆家くんは、眼病の治療のために、たまたま大宰府にいたのです
隆家くん、ほんとうに運が悪いのね……
と思いますが、これ、日本にとっては大ラッキーでしたよ
というのは
当時、大宰府のトップは、皇族が名誉職的に就くものでした
もちろん現地には赴任しません
だから、大宰府の実質のトップって、ナンバー2がやるわけで、だいぶ格が落ちるのですよ
お金はたまる仕事ですが、結局は地方官ですから、まぁ中流のヒトたちです
たまーに、とてつもなく身分の高い人たちが大宰府に来ることがありますが
……それは、左遷というか……流罪の時です
菅原道真さんとか
あ、伊周さんもそうですね、花山院襲撃事件のとき
そういうヒトたちは、もちろん実務はしません……、流罪ですから
だから
隆家くんが大宰府にいたのは、異例のことなのです
隆家くんは、ちゃんと仕事をする長官として赴任していたのですから
藤原氏のおぼっちゃまが大宰府の長官だったことなんて、そうそうないんですよ
そんな隆家くんがトップだったから、どうにかこうにかなったんじゃないかなぁ
いつもの中流地方官がトップな状態だったら、うまくいかなかった気がするなぁ
だから、隆家くんは日本を救ってくれたヒトなのですよ