右手にできた"あかぎれ"

久しぶりに"あかぎれ"ができた。
右手の中指、その第一関節のシワの端っこが、ちょっとだけ切れている。

「紙で切ったのかな?」と思ったのだが、よく見てみると、それはまぎれもない"あかぎれ"だった。少ししか切れていないのに、ひどく痛い。

紙でスパッと切れたのなら治りも早そうなものだが、小さい傷ながら干からびた鏡餅のようにひび割れている。手指消毒をしようものならヒィッと声が上がるほどだ。

あかぎれと「かあさんの歌」

そんなあかぎれを眺めていると、思わず「かあさんの歌」が口をついて出てきた。

"か〜さんのあかぎれ痛い〜♪"

おぉ〜なんと悲しいメロディなんだろう。
隣で車のハンドルを握る主人も
「この歌を聴くと悲しくなるんだ」
と言った。

この「かあさんの歌」の"あかぎれ"の部分は、たしか三番の歌詞。思い出しながら一番を歌ってみた。

"か〜さんが夜なべをして てぶく〜ろ編んでくれた〜"

その歌詞からも、苦労して夜な夜な手袋を編んでいる母の姿が浮かび上がる。
その手にはあかぎれ。
切なすぎる。
今の時代とは、あまりにもかけ離れているシチュエーション。

一体、この歌は誰が作ったのだろう。

「かあさんの歌」を作ったのは誰?

調べてみると…
作詞・作曲は、窪田聡という人物。

Wikipediaには「かあさんの歌」についての興味深い内容が記されていた。

窪田氏は、昭和29年に開成高校を卒業後、早稲田大学に合格するも進学せず文学を志して家出。その後、埼玉県でうたごえ運動の中心として活動していたとのこと。この「かあさんの歌」は、昭和31年2月、窪田氏20歳の時に『うたごえ新聞』で発表されたもので、窪田氏の兄を通して居場所を知った母から届けられた小包の思い出や、戦時中に疎開していた土地の情景を歌詞にしたものだという。

なるほど。

どんな事情があったのかはわからないが、家を出て行ってしまった息子。その母親の心配は計り知れないものだったに違いない。必死に息子の居所を探していた母親の様子が伺い知れる。

1人で寂しい思いをしていないだろうか。
ひもじい思いをしていないだろうか。
寒くはないだろうか。

顔も見ることもできず、声を聞くこともできない我が息子。進学しないという本人の意思を尊重してあげれば家出などしなかったのではないか。

ーーそんな思いを編み針に込めながら、一日でも早く届けたいという一心で手袋を編む母親ーー。
(あくまでも私の勝手な想像)

母親から届いた小包には、夜なべをしながら編んだ手袋と、ひょっとすると手紙なども一緒にしたためられていたのかもしれない。
あかぎれだらけの手で手袋を編むのは、さぞかし痛かっただろうに。

そんな母親の気持ちを思い、窪田氏は、この「かあさんの歌」を作ったのではないだろうか。

「かちかち山」との共通点

「かあさんの歌」の三番にある、
『か〜さんのあかぎれ痛い』に続く歌詞は、
『なまみ〜そ(生味噌)す〜りこむ〜』だ。

この箇所を聞いて、私はあることを思い出した。

日本の民話「かちかち山」だ。

この「かちかち山」では、悪さをしたタヌキがウサギに成敗され背中を大やけどをする。そして、やけどによく効く薬だとウサギから渡されたのが唐辛子入りの味噌。それを塗ったタヌキはさらに痛みに苦しむことになるー。

「かあさんの歌」→あかぎれに生味噌を擦り込む
「かちかち山」→やけどに(唐辛子入り)味噌を塗る

調べていくうちに
「昔、味噌は万能薬だった」
という記事にたどり着いた。

その記事によると…
江戸時代に書かれた食のバイブル『本朝食鑑』の味噌の項目には、血のめぐりを良くする、百薬の毒を排出する、気をおだやかにする、消化を助ける、食欲を引き出す、痛み・腫れ・かゆみを鎮める、傷を治す、腹痛や頭痛を抑える、産後の脳貧血予防、髭髪を黒くする、皮膚を潤すなど、まるで万能薬のように記されているとのこと。

〈注意〉現在は、やけどやあかぎれなどに味噌は塗らずに病院へ!

ただのあかぎれから
「かあさんの歌」→「かちかち山」→「味噌」にまで話が飛躍してしまった。。。
なんと奥深い"あかぎれ"。

JILLSTUARTへと続く

私は、このほんのちっぽけな右手中指のあかぎれに、L'OCCITANEのシアバターをしっかり擦り込んだあとに、さらにJILLSTUARTのハンドクリームを丁寧に塗った。洋梨のフルーティな香りが鼻をくすぐる。

あ。

JILLSTUARTを調べてみたら、私と同い年だった。

"あかぎれ"が、ついにJILLSTUARTにまで辿り着いてしまった!