先月息子が

「死と生」について思ったことを

よく質問してくる時期があった。

 

 

 

 

 

 

 

「死んだら、どうなるの?」

 

 

 

「死んだら、消えるの?」

 

 

 

「なんで、お母さんとお父さんは(自分より)早く生まれたの?」

 

 

 

「3人とも、100さいまで生きる?1000さいまで、生きる!どうやったら1000さいになる?」

 

 

 

「この世界は、ずっと続くの?」

 

 

 

「死んだらいやだーーずっと生きてーーーー」

 

 

 

「人ってどうやってできたんかなぁ。街ってどうやって始まったのかなぁ」

 

 

 

「どうしてお父さんとお母さんって大人になるの早いの?」

 

 

 

「どうして人ってずっとは生きられないの?」

 

 

image

コトバ記録ノートより抜粋

 

 

 

 

息子の問いをきっかけに会話が広がったり、

お互いに感情が動いたり、

 

とても尊い時間だった。

 

 

 

 

「どうして人ってずっとは生きられないの?」

と言ったあとに、

「土に埋めたりしたらさ、思い出がさ・・・」

「お別れするのいやだーー・・」

と泣き始めた時もあった。

 

 

 

 

 

今年の桜

 

 

 

4月になって、

そういう問いをすることがなくなったなーと思ってこの記事を書いていたら、

昨日久しぶりに、

 

 

 

 

「死んだらまた生まれる?

また大人の体から出る?出ない?」

 

 

 

「人間てさ、最後死ぬことはない?

死んでもまた生まれて、ずーと生きる?」

 

 

 

「お父さんとお母さんが死んで赤ちゃんになってさ、

れんくんまだ子どもなのにさ、どうやってお世話するの?」

 

 

 

 

etcおやすみ

 

 

 

 

あと、

 

 

「もっと大人になったら、何になる?れんくんは建築現場になりたい!」

「お母さんは?」

 

と聞かれたので答えたり。

 

 

 

 

 

 

 

 

問いがあるおかげで、

 

立ち止まったり

考えたり深まったり。

 

 

 

 



この顔⋯にやり

 

 

 



昨日は、寝る直前に目をこすりながら、

 

「崖から落ちる夢をよく見る」

という話もしてくれて。

 

 

 

 

 

「落ちたら、お母さんが受け止めてくれる。」

 

「崖の下に鉄のおうちがあって、3人で住んでるよ」

「登るときはトランポリンで行く」etc

 

「あ、今(お母さんが)受け止めた。またおうち帰った。

また落ちた、あ、また受け止めた」

 

 

 

半分めをつぶりながら実況するので、

今も見てるの?と聞くと、

 

 

 

「うん、見てるよ」

「落ちないと帰れないんよ、すべり台でも帰れるよ」

 

 

 

 

思い付きでスマホのボイスレコーダーでこっそり録音していたので(ゲラゲラ

今日そのやりとりを聴いてみると、

とっっっても温かい気持ちになったおやすみ

 

(普段はこんな風に録音できることはほぼない)

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとした何気ないやりとりが面白いし、

ちょっとしたひとことの中に、

それ以上の何かが、思いが、

詰まってるなぁと思うこともある。

 

 

 

 

 

 

「何でなんだろう」

と立ち止まって考えるきっかけを、

多々もらえてる。

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで盛りだくさんな日常。

 

 

 

 

息子がカレンダーを見ながら、

「もう5月かぁ~~」となぜかしみじみしているのも可愛い。ゲラゲラゲラゲラ

 

 

 

 

 

▶続くスター