原田マハさんの「生きるぼくら」




夢中で読んだ。

泣いた。

心臓の鼓動を強く感じた。




読み終わり、

いつも家のリビングから見ている景色が

いつもよりくっきりと、愛おしく見えて、

それを感じたくて思わず窓を開けた。





主人公は引きこもりの24歳、麻生人生。

頼りの母が突然いなくなり、

残されていたのは年賀状の束。

その中に1枚だけ記憶のある名前があった。

「もう一度会えますように。私の命があるうちに」

マーサばあちゃんから?

祖母のいる蓼科(たてしな)へ向かうと、

待っていたのは予想を覆す出来事、

人との出会い、温もり、そして米作り───

そして大きく人生が変わっていく。




あっっっっという間に引き込まれた。



心の琴線に触れた言葉がいくつもあった。





お米の一生は何だか人の一生に似ているのよ。



自然と、命と、自分たちと。

みんなひっくるめて、生きるぼくら。

そんな気分になるんだ。



自然のまんま、そのまんま。

頑張らなくても、みんな一緒に生きてるのよ。



お米の力を信じて、とことん付き合ってあげなさい。

自分の力を信じて、とことん付き合ってあげなさい。





思わず情景が目に浮かぶ美しい四季の流れが、

宝石のように物語の中に詰まっている。



うっとりするような雄大で清らかな自然。

そのままで完璧な季節の巡り。



目の前の自然と溶け合いながら過ごす

おばあちゃんやそこで出会う人たちの言葉。



お米が育っていくように、

人生の心がたくさんの温もりを浴びて

どんどん開き育っていく。





ちょうど一年前に、

「生命力とは?」が設定変更されたのだけど、


そのことをふと思い出した。



生命力とは、

いつもそこにあるもの。

外側の状態に関わらず、そこにあるもの。



その時、

自分の生命力も、

大切な家族の生命力も、


あぁもうあるんだ、

どうあっても大丈夫なんだ、


と思った。


それは強い土台となって、

ずっと私を支えてくれている。




「生きるぼくら」


いつか息子にもプレゼントしよう。




この尊い体を使って、

自然を、食べ物を、

全身で感じて味わいたい。

そんなふうに思った。