マロンの急逝に多くのお悔やみの言葉やお花を頂きありがとうございました。
おかげで我が家は一時、花屋でも営めるのではないかと思うくらいたくさんのキレイな花に囲まれました。
わざわざ自宅まで最後のお別れをしにマロンに会いに来て下さった方、私を気にかけて毎日かかさず言葉掛けをして下さった方もおられました。一緒に涙を流して下さった方、マロンを失った悲しさに寄り添って下さった方、そしてマロンに関わって下さった全ての方に感謝の気持ちでいっぱいになると共に、生きている間にどれだけ多くの人に囲まれ愛してもらえていたのかを実感しました。
マロンのおかげでどれだけ私が活動的になれたでしょう?
ほんの少し前まで元気だったマロンが何故?逝ってしまったのだろうと思ったことだと思います。
2019年3月6日 午前7時頃
我が家の大事な可愛い娘であるマロンは9歳11ヶ月で命の幕を下ろすこととなってしまいました。
急性腎不全と診断されてから、わずか7日目の出来事でした。
診断とほぼ同じ時期に、全く食べることができなくなってしまっていました。
水も拒否するようになりました。
食べたくない、というか食べれないの…と困った顔で申し訳なさそうにこちらを上目遣いで見ていました。
最後の日(6日)の前日、面会に行くとお座りして私を出迎えてくれてました。
食べれなくなりだんだん体力もなくなっていて点滴をしていましたが、強制給餌のせいでおなかはぱんぱんになってしまっていました。
うんちは2日前に下痢して以来、出ていませんでした。
意識がぼーっとするのか、ただただこちらを見つめるだけのマロンでした。
私の事を分かってるのかな?と思い、ゲージを開けて「おいで」と言うととゆっくりと歩み寄ってくれました。
「お手」と言うと、力をふりしぼり私の手の上に自分の手を重ねておいてくれました。
自分が過酷な状況にいてもなお、指示を聞こうとしている…そんなマロンが愛おしくてたまりませんでした。
それから、点滴が付いた身体のままのマロンを抱き上げてお膝の上で少しお話しました。
「マロンはホントにいい子だね」
「もう少し頑張ったら一緒にお家に帰れるんだからね」
ぎゅっと抱きしめ、バイバイして帰りました。
また、明日になればもっと元気になってるはず…。
でも、これがマロンとの最後となってしまいました。
当日の朝、突然バタンと倒れてマロンはそのまま逝ってしまいました。
連絡を受けたのは、面会に行く準備をしている最中でしたが、運悪く手元から携帯電話を離して置いていたため、すぐにはとれませんでした。
すでに30分の救命措置をしているが蘇生は難しいだろうとの事でした。
最期はあまり苦しまなかっただろうと言われましたが、たくさんたくさんそれまで痛みや苦しみを我慢して頑張っていたのだと思います。
もしも、別れが分かっていたならば、お家に連れ帰って私の腕の中で逝かせたかった…。
今はもう、苦しみから解放され天国へ行けてよかったね。。
犬は痛みや辛さを限界まで見せないとは言いますが、過去の記憶を振り返ればその時々にマロンからのサインはあったのかも知れません。
飼い主である私がそのサインを見過ごしてしまったことに、未だ後悔の念は拭えません。
あの日から今日で1ヶ月が経ちます。
ふとマロンの事を想うと、まだ気持ちが沈んでしまったり、涙することがあります。
あたりまえの日常だったマロンがそこにいないこと。それをまだ過去の事に出来ないでいます。
マロンが生きていた9年間と11ヶ月。
最後は悲しい別れになってしまったけど、たくさん楽しいことがありました。
当時、はじめて犬を飼う事に反対していた私でしたが、結局一番マロンを溺愛してしまいました。
マロンと共に子供達も成長しました。
アジリティやカドリールという楽しい世界があることも知りました。
また、ブログを通じて日本中にたくさんのお友達も出来ました。
マロンに突き動かされて色んな所にお出かけもしました。
数えきれないほど楽しいことがいっぱい。。
本当に『幸せの種』seeds of happiness
だったなぁ。。とつくづく思います。
『たくさんの幸せをくれてありがとう。
いつまでも、マロンは我が家の娘だよ。』
これから、少しずつだけど涙ではなく笑顔をお空に届けて行けるように私も前を向いて行こうと思います。
マロンが繋いでくれたご縁を大切に、不器用ながら生きて行きたいと思います。
また、皆さんとも笑顔でマロンの事を話せる日が来ますように★
そして、皆さんと愛するわんこ達がこれからも元気で楽しい生活を送れますように★
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1年前の今頃、9歳のお誕生日を迎えたばかりの桜とマロン