あれから一年 | 10001回目は来る-虫垂杯細胞カルチノイド、転移性卵巣がん、腹膜播種と共に生きる日々の記録-

10001回目は来る-虫垂杯細胞カルチノイド、転移性卵巣がん、腹膜播種と共に生きる日々の記録-

31歳で結婚。33歳からの不妊治療
足掛け7年、15回以上の人工授精、4回の体外受精。
諦め切れずにいた39歳の冬に発覚した卵巣がん。
なんと、転移性で、原発不明がんでした。
病理診断より虫垂杯細胞カルチノイドがほぼ確定。プラス腹膜播種ありです。現在42歳です。

あれから一年。

去年の1月末に、
卵巣を摘出した病院の主治医から

この病院で出来ることはない
あとは緩和ケアです。
うちは急性期病院だから緩和ケアはできないので緩和ケアができる病院を紹介します。

と言われました。

卵巣に腫瘍が見つかり、摘出したは良いけど、
病理検査により卵巣原発ではなく、消化器原発の癌であることがほぼ確定。
でもCT上、また胃カメラや大腸カメラもしたけど、原発はどこかはわからない、
卵巣癌であると想定し、病理診断が確定する前にTC療法で抗がん剤治療を一回してみたけど、全く効き目はない。

ということで、この病院で出来ることはない、という判断になったみたいです。
でも、その病院は消化器科もあるので、そちらに回して欲しいと伝えたけど

それはできない

の一点張り(なんで?)

そして、私の癌の原発はわからないだろう、
治療法もない

と言い切ったガーン

でも、そのあと、国立がんセンターのセカンドオピニオンを受け、まだできる治療はある、できれば腫瘍内科のある病院に転院を勧めます

ということで光が見え、

県外である福岡県の九州がんセンターに一縷の望みをかけて、1年前の昨日にあたる3/6に転院しました。

そこで腫瘍内科のベテランドクターの診察を受けたとき

大丈夫、できる治療はありますよ。
ここに来て正解です。

と言っていただけて
心からほっとしました。

実際にそのあと、FOLFOX療法とアバスチンを開始し、マーカー値はグンと下がりました。
まぁ、耐性がついてまた上がってますが、
治療法はない、あとは緩和ケアしかないと言い張った前の主治医の判断は間違ってたということになりますね。

何も手を尽くさずに
簡単にそういうことを言ってはいけないよなーと今は思えます。

あのときはドクターがそう言うんからもう私には何も治療法はないんだわ、と絶望し、周囲がセカオピを勧めても、そんなのムダだわと半ばヤケになってました。

あのとき、ちゃんと行動して良かったな、と今、心からそう思います。

原発不明がんから、虫垂杯細胞カルチノイドという診断もしていただけて、治療法も見つけていただいた。

九州がんセンターから紹介を受け、現在は居住地のある県内の病院に転院しましたが、今の主治医も話しやすく、本当に満足しています。
今の主治医は時折、九州がんセンターの先生方に私の症例について相談をしてくださっているようです。ありがたいことです。

去年の3/6、思い切って行動したことで、
今があるんだ
と思います。

マーカー値は再び上がり始め、これからどうなるか、正直不安ですし、考えだすととにかく不安で泣けてきます。

でも、とにかく、今を生きることを大事にしていきたいと思います照れ

ネガティブな私だからこそ
空元気でも良い、前向きさを持たなきゃいけないと思ってます。

今日のいいこと3つ
1詳しくはまだ書けないけど、夏のスケジュールが1つ決まった。楽しみーハート
2美味しい蒸しパンをいただいた。美味しかった合格
3やっとクリーニング店に行った。ずっと行かなきゃと思っていけてなかったから良かった。

今日も午後、眠気が強かったです。
まだまだ白血球数が少ないかな。
めざせ、免疫力アップ上矢印