塾の盛衰
桐杏学園とは?
衰退の内幕

 

娘:じゃじゃ馬。新小4。早稲アカY44→?

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昔話になります。次のエントリーにも多少関連する話しですので、今回は桐杏学園という塾に関して語りたいと思います。私は丁度、桐杏学園の盛衰を目にしました。そしてその衰退の内情も知っています。

受験業界では、時折塾の再編や盛衰がおこります。まあ当然ですよね、一般企業でもそうですからね。ある塾が大きくなると、そこから分離して新しい塾が出来ることも良くあることだと思います。TAPから分離したSAPIXのように、SAPIXから分離したグノーブルのように。

30年前に首都圏で中学受験した親御さんは、桐杏学園という塾をきいたことがあるのではないでしょうか。私が受験した頃は、四谷大塚、日能研、TAP、桐杏学園などが中学受験塾としてしのぎを削っていました。SAPIXはTAPから分離したばかりの出来たての状態だったかと思います。

私は中学受験当時に、桐杏学園に所属していました。現在のSAIXほどではないものの、この頃は非常に勢いのある塾で、毎年開成中学合格を100名以上出しており、当時は全塾の中でTOPかそれに準ずる合格者数であったと記憶しています。新聞の全国紙に見開きで桐杏学園の全開成合格者の顔写真と実名を掲載していました。今だったら、個人情報保護の観点でありえないことですが、この当時は普通のことでしたね。

いわゆる名物講師が沢山いて、授業は非常に面白かった記憶があります。この記憶力の悪い私が、算・国・理・社の担当講師の名前も顔も未だに覚えているくらいです。夏合宿も行っており、新宿から大型バスで合宿地に移動しての合宿でした。朝起きると早朝テストがあり、その成績上位者が毎日張り出され、夜まで勉強付けの毎日。今考えると良く頑張っていたなと思いますが、周囲がみんなそんな感じで、またエイエイオーのシュプレヒコールもあって、当時は別に苦痛ではなく楽しかった記憶です。当時は丁度今と同じような中学受験ピークの頃で、マスコミも取材に着ていました。大浴場に向かう途中で、私がカメラの前でおちゃらけてジャンプしたシーンが、ニュースで全国ネットで放映されたのも懐かしい思い出です。

御三家などの難関に特化した塾でした。当時の四谷大塚の開成80%偏差値が72くらいで、桐杏学園は68くらいでしたので、そこから考えても現在のSAPIX同様のレベルの塾であったことが伺えます。

しかし、あまりに急に、本当に急速に衰退して行きます。私の代の受験終了後から、名物講師がどんどん辞めだしたのです。既に入塾している高学年の子は動きようがないですから、そのまま在籍します。年子の弟の代までは、100名超えの開成合格者を出していました。しかし、噂は広がるもので、優秀な子が集まらなくなり、急速に衰退し、数年後には見る影もなくなってしまいました

桐杏学園を辞めた先生から聞いた話ですが、崩壊は経営者の世代交代による方針の転換であったようです。親から子に経営が引き継がれ、講師への待遇を悪化させたのです。企業など、なんでもそうですが資産は人材です。それがわかっていない傲慢な若造経営者が、桐杏学園というブランドが優秀な生徒を集めていると勘違いし、講師を大切にせずに反発を招き、内部崩壊して行ったというのが事の真相です。

いま桐杏学園は、小学校受験塾として細々と存在している状態のようです。

TAPは、上位講師陣によるSAPIX創立+上位生徒の引き抜きで、桐杏学園以上にあまりに急速に衰退した経緯だったと思います。上位生徒ごとごっそりいなくなったら、そりゃそうなりますわな、って感じですね。私の大学の友人が、SAIPX設立に際して引き抜かれた第一期生だったそうです。

という事で、桐杏学園の昔話でした。

教訓:傲慢になってはいけません、感謝の心を忘れてはいけません