地頭論を確信している理由
(長文です)


嫌われるのを覚悟で、すべてさらけ出して、私の実体験を交えてお話します。読む方によっては気分を害したり、マウントと感じる話もたくさん出てきますので、少しでも読む事にためらいを感じた方は、先を読まずにお戻りください。
かなりの長文です。覚悟してください。

 

  1. 総論
  2. 小学校低学年
  3. 中学受験期
  4. 開成中学高校
  5. 浪人生
  6. 大学医学部
  7. 塾バイト
  8. 国からの誘い
  9. 弟の事案
  10. まとめ

  1. 総論

 

地頭は確実にあると思います。地頭なんて無い、努力次第、勉強の工夫次第だって仰る方もいます。自分もしくは子供の地頭が良くてとても良い結果がでたことを、[自分もしくは子供の地頭は良くないはずなのに、こんなに出来るようになるなんて、これはやっぱり工夫と努力のおかげだ]と思ってしまっても不思議ではありません。ですが、工夫すれば伸びてゆく、勉強に応じて偏差値が上がってゆく、これってもう地頭が良い事の証左に他ならないのです。普通は努力して学力が付いても、周りも同じように学力が付きますから、偏差値が上がらなくなります。そこで上がってゆくということは、その偏差値帯の子供よりも、地頭が良いという事です。

 

地頭が良い親から地頭が良い子が産まれる確率は高めだとは思いますが、地頭が普通や良くない親から良い子が生まれる事も、地頭が良い親から良くない子が生まれる事も普通にある事です。あくまで遺伝子の組み合わせによる、確率論だと思います。

 

大学受験はまた別で、中学受験に比べて努力の割合が高くなります。しかし、こと中学受験に関しては、地頭要因が支配的だと思います。

 


  2. 小学校低学年

 

徒歩数分の学区内の区立小学校に通っていました。小学校のテストは、授業を聞いているだけで、ほぼ全て満点でした。授業内容も当たり前のことばかりで退屈でした(記憶では6年間で100点では無かったテストは、2,3個です)。周囲の子がそうではないことが、何故だろうと思っていた時期もありました。同級生から質問されて勉強を教えることもあったのですが、普通の公立小学校の内容レベルがどう説明しても分からない子もいたのが初めの違和感でした。

 

 

  3. 中学受験期

 

特段受験勉強をしていなかった事もあり、入塾テストは足きりギリギリの点数でした。子供なりにショックだったのを覚えています。ですが、勉強すればするだけ結果がついてき、周囲を抜かしてゆきました。かなりの快感で、勉強のモチベーションにもなりました。小5の後半になり、特に算数や理科の物理・化学分野が難しくなるにつれ、周囲より相対的に上がってゆきました。この段階に入ってくると、全力で走っていても付いてこられない子達が、脱落して偏差値を下げてゆきます。対して自分は上がってゆきます。同じようにやっているのに、こういった差が出てきます。当時の私は今でいうSAPIXの東京校レベルの校舎にいました(当時の校舎からの開成合格者が20~30名程度)。最終的に私はその中で5~10番目くらいで安定しました。一度だけ塾全体での順位1位を獲得したことがありますが、平均すると全体順位は30位程度でした。睡眠・食事以外のほぼすべての時間を勉強に捧げていましたが、どんなに自分が努力して頑張っても、及びも付かない存在がいることを確信します。これ以上ないくらい、これ以上は無理なくらい勉強していたからこそ、確信したことです。彼らはまさに別格でした。
これらの経験で、自分は勉学ということに於いては、多くの子よりも恵まれた素質を持っていることを自覚すると同時に、及びも付かない神が沢山いることにも気がつきます。さすがに子供ながらに”努力でどうにかできる範囲は限られている。(上も下も)これは能力の差以外の何者でもない”と思うようになります。
ちなみに私の中受時代は、筑駒は抽選で当たらないと受験すらできなかった事や、開成が生れ育った生家から徒歩圏内であった事もあり、選択肢にありませんでした。

 

 

  4. 開成中学高校

 

世間的には私は優れた子供かもしれませんが、開成の中にあっては正直、凡庸以外の何者でもありませんでした。それはもう小学生時に気がついていたので、別にショックでも無かったですし、驚きもしませんでした。開成には神は沢山居ましたよ。

 

 

  5. 浪人生

 

以前のブログ【開成の深海魚シリーズ(完結)】にもあるように、深海魚と化した私は、浪人します。高3の実力テストすべてで0点であった物理は、現役時代の2か月程度の自習と、浪人して予備校の授業を受けていただけで、医学部レベルにおいても明らかな得点源科目となりました。また予備校後期は1/3程度の出席で、勉強時間は1日1~2時間程度でした。まぐれとはいえど、この状態で医学部2校に合格してしまいました。それゆえに人生をなめたままで、のちに天誅が下るまで深海魚が続くことになるのですが(興味のある方は深海魚シリーズをどうぞ)。
大変に舐め切った話で、仮に“地頭なんてなくて努力と工夫次第”だなんてことが真実なら、こんなこと成り立ちませんよ。
医者になりたいと思って本気で頑張っている方、頑張っても届かなかった方には、失礼この上ない話です。今は改心して、日々至極真面目に患者さんのために頑張っていますので、許してください。

 

 

  6. 大学医学部

 

とある私立御三家の医学部に入学しました。当初このレベルの学校に入ってくる人は、地頭は皆かなり良いのだろうと思っていました。何気ない友達たちとの会話の中で、「小学校のテストは勉強しなくてもほとんど満点だったでしょ?」という話しをしたら、「おいおい、お前はそうだったかもしれないけど、普通はそうじゃねーぞ」と総スカンを食らいました。本当に悪気はなかったのです。薬理学では、理論というか論理的思考力が必要になってくるのですが、授業だけでは理解できない人もいました。私は友達から質問されて教えたりしていましたが、「何であの授業で、ここまで理解できているんだ?」と言われました。もちろん理解できている人が多いのですが、このレベルの学校でも思考力が必要な授業が理解できていない人も少なからずいるのでした。
また、ほとんどの人はそうではないのですが、一部に、病態生理を理解すれば覚えなくてもよい事が理解できずに、丸覚えするしかない人も居ました。
医学部は卒業論文ではなく卒業試験があります(私の大学で私の頃は30教科程度)。私は深海魚から立ち直って以降は、ちゃんと勉強してはいましたがガリ勉ではありませんでした。ある友人は私の2~3倍の時間勉強していましたが、卒業試験では1科目も私に勝つことが出来ませんでした。仲の良い友人でしたが、「あ~あ、やっぱり開成は違うな。」と半分冗談で自虐交じりに言っていました。
と同時に、やはり私では及びも付かないような優秀な同級生もいました

 

 

  7. 塾バイト

 

大学時代に塾のバイトをしていましたが、子ども達の理解力・思考力は、本当に千差万別でした。私は教えるのが好きで、自分で言うのもなんですがかなり教えるのは上手いと思っていますし、周囲からもそういわれていました。リビングで私が子供に教えているのを聞いて、妻もそう言っていました。
塾の生徒たちは、別に怠けているわけでも、真剣に聞いていないわけでもありません。私は分かり易く教えているつもり、しかしどうやったら理解してもらえるんだ??という生徒たちもいました。逆に少し教えただけで、その真意を理解して、どんどん問題が解ける子もいました。

 

 

  8. 国からの誘い

 

中高時代や大学時代にとびぬけて優秀な友人から聞いた話ですが、とびぬけて優秀な人物のもとには、小学生の時点で国からのスカウトが来たそうです。国自体が地頭を認めていて、引き抜きにかかっているという事に他ならないと思います。また、おそらく開成の名簿(当時は全生徒の住所・氏名・電話番号が掲載)を手に入れてかと思いますが、高校3年生の秋頃に自衛隊の隊員の方が私の自宅に「是非、防衛医科大学を受験していただきたい」と頭を下げに来ました。深海魚と化しているとは知らずに・・(笑)。他の開成の友人のもとにも来ていたようです。
 

 

  9. 弟の事案

 

私の弟は、私程度などよりもさらに優秀でした。新小4時の入塾テストでは、「答案用紙に計算を書かないこと」との注意書きを、問題用紙にも書いてはダメと勘違いして、算数をすべて暗算でやるという大チョンボを犯しました。そんな状態で、試験の結果は成績優秀者です。私と同じように中学受験勉強していたにも関わらず、所属塾全体での1位を何度も獲得していました。塾が費用のすべてを負担しての遠征受験のメンバーにも選ばれていました(塾の合格者数稼ぎと宣伝のため)。開成に入ってからも、がり勉程ではなく定期テスト前にはちゃんと勉強をする程度でしたが、いわゆる開成100傑に入っていました。さらに医師程度などよりもよほど難しい、国内最難関の国家資格を、おそらくその他の合格者よりもかなり少ない労力で取得しています。

 

 

  10. まとめ


以上の体験から、私としましては、地頭は存在すると確信しています。と同時に、大学受験は努力がより評価される試験になるとも思っています。医学部時代の印象からは、ある程度の地頭があれば、すごく良くなくても、医学部レベルなら努力で何とか入れる可能性は十分にあると思います。


地頭はないとおっしゃる方は、むしろある意味残酷なことを言っているような気がします。だって努力と工夫次第でどうにかなるって信じて、知育して低学年から塾に入れて、それで高学年で現実を目の当たりにして。親がその現実を受け入れられればまだ良いですよ。受け入れられないと、場合によっては教育虐待に発展したり、親自身や子供がメンタルを病んだり。


なぜ、スポーツや音楽や絵は才能があるか無いかの話が当たり前のようになっているのに、勉強だけがそうではないように言われるのか、不思議でなりません。

当初はここまでのことをブログで書くつもりはなかったのですが、うーたんパパさんに触発されて書いてしまいました。

最後まで読んでいただいた方、有難う御座いました。気分を害された方にはお詫びします、申し訳ありません。