順不同になりますが。

渡し船から見た港山側乗り場。乗船するとすぐに、対岸の乗り場が見えます。

直線距離にして80メートルほどと聞きましたが、確かに、すぐそこに目的地が見えています。

 

こんな風にあっという間に目的地の対岸に到着します。

 

渡し船の船上からの光景。

港山乗り場のすぐ脇。この山は港山城(湊山城)の跡だそうです。

瀬戸内を拠点としていた河野水軍の城跡とのことでしたが、相当に歴史は古いとか。

江戸期も伊予松山家の軍船(公用船)が置かれていたそうですが、伊予松山側から瀬戸内を見張るにはもってこいの場所だったのでしょうね。

 

渡し船から見えた中島汽船さんのフェリー。

渡し船の三津の乗り場から徒歩数分。三津浜港から、中島汽船さんが瀬戸内海の島を結ぶフェリーと高速船が運航。

 

渡し船が港山側から三津に向かって方向転換すると、もう目の前が対岸(目的地)の三津の乗り場。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東海汽船は、まだ横浜ー東京(2024年9月現在)しか乗船したことがなく、肝心の伊豆七島に行ったことがなく・・・。

東京港や横浜港、浦賀水道で見かけているので、乗ってみたいなと思ってはいるのですが。

 

こちらは東京港(竹芝桟橋)で見かけた「友」と「愛」。

 

ゴゴゴ、と低音を響かせながら出港していきました。

 

高速船って、出港後は早い早い。レインボーブリッジは目前です。


こちらは浦賀水道で見かけた東海汽船さんの高速船。早っ!

浮き上がった状態ですっ飛ばしていきますねー。

 

こちらも浦賀水道で見かけた東海汽船さんの高速船。

愛媛県松山市。

こちらの「市道高浜2号線」の一部、三津浜⇔港山が渡し船で結ばれているというので、松山遠征で乗船してきました♪

 

伊予鉄道の「松山市駅」から高浜線(日中は15分に1本の頻度で運行)に乗車し約20分。

松山市街を抜けローカル風情な区間も味わいながら、港山駅で下車。乗車賃は大人1人400円。

三津の渡しの乗り場は三津駅から徒歩15分、港山駅からだと徒歩3分というところ。

古い町並みを散歩しながら楽しむのであれば三津駅からもオススメだと思いました。

 

私は初めての街でもあり、乗り場に近い港山駅で下車。

 

ちなみに?三津の渡しについては、港山駅前に表示は見当たらず。

地元の足として特別な表示は不要なのかもしれませんが、私みたいな旅行者はちょっと困るかも。と思いましたが、港山駅ではなく、三津駅から古い街中を散策しながら。というのが一般的なのかもしれません。

港山駅の出入り口(?)を出て左斜め前方に、海の方に向かう道が伸びています。

徒歩2,3分で乗り場と聞いていたので検討をつけて歩くことにしました。

 

と、2、3分歩くと唐突に三津の渡しの乗り場(港山側)。

イメージ的には、上の写真の真ん中奥あたりが乗り場でした。

数百年前からの、歴史ある渡し船なのだそうです。

 

港山側の乗り場。午前7時から午後7時まで運航されています。

乗船料は無料!

お客さんが乗り場に現れると、対岸にいても迎えにくてくれるようです。

ちなみに、写真奥が対岸の三津浜乗り場。案内によると約80メートル。

 

こちらが三津の渡しの渡し船。遊漁船みたいな感じ。

船長さん(船頭さん?)」と助手の方?(甲板長さん?)の2名乗り組み。

 

12歳未満の方は備え付けのライフジャケット着用です。

 

 

客船「飛鳥Ⅱ」によるる世界一周航海がいよいよラストという話題があり、また、新たにドイツの造船所で「飛鳥Ⅲ」を新造中との話題もあり。

 

飛鳥Ⅱが客船「CRYSTAL HARMONY」として三菱重工業の長崎造船所で新造された当時の絵葉書が資料中にあったので、懐かしく振り返ってみました。

 

客船「飛鳥」より一足先に竣工した当時の主要目。

飛鳥より先に竣工した後、飛鳥Ⅱに船名変更し、横浜を母港としてクルーズ客船として就航。

今よりトン数がちょっと少なく、乗客は今(872人)より少し多い約960人。

 

 

 

かつての客船全盛期な頃の東南アジア、太平洋航路が念頭にあったのかな、と思える航路プラン。

 

 

こちらはCRYSTAL HARMONY時代の絵葉書。

 

 

 

昭和40年代(日本カーフェリー時代)のパンフレットに掲載のフェリー「あおぞら」

ウィキによると1968年就航。総トン数565トンとのこと。

何年か前,海事関係者の方のレポートで,東南アジアで就航中と書いてあるのを読んだ記憶がありますので,就航から50年以上を経た今日も現役で活躍しているのかもしれません。

 

こちらは、日本カーフェリーの古いパンフレットに掲載されていたフェリー「あけぼの」。

ウィキによると、上記の「あおぞら」と同じ1968年就航。総トン数も1トン違いの564トン。

建造から50年以上ですが、現在でもインドネシアで「RENY II」(IMO 7204643)として

現役で航行中だそうです。

 

木更津ターミナルの地図。よく見ると,国鉄の線路名が「房総西線」と。1972年に内房線と名称変更される前の地図ですね。これは。

 

かなり懐かしい航路図。川崎ー市原も運航していた当時のもの。

1974年に廃止されています。

 

かなり懐かし。かつての川崎ターミナル。

木更津ターミナルの写真がどこかにあったはずですが、どこにしまったか???

 

片付け物の中から,木更津→川崎のフェリー乗船券が。

東京湾アクアラインの開業により1997年に航路廃止となったマリンエクスプレスの川崎-木更津航路の乗船券。片道1時間強の船旅が味わえた首都圏航路でした。

春一番が吹いた日に乗船して,大いに揺れたのも今から振り返ると懐かしい思い出。

マリンエクスプレスは宮崎航路もありましたが,2006年に会社自体が消滅してしまいました。

 

日本カーフェリー当時の時刻表(1980年頃)

日本カーフェリー(マリンエキスプレスの旧社名)当時の時刻表。別ページに広島航路(1974年から1982年まで広島-日向を運航)のダイヤが掲載されていたので1980年頃と推定。

1995年は大人片道1030円でしたが,1980年頃は大人片道600円。

 

こちらは運賃200円時代。時期が判然としませんが,1973年の時刻表には運賃300円とあったほか,上記の木更津ターミナルの地図に,房総西線(1972年に内房線に名称変更)とありましたので,1970年前後の料金でしょうか。

 

 

 

当時の鉄道時刻表に掲載の川崎ー木更津航路の時刻表。

左は1973年(昭和48年)。右は1988年(昭和61年)に掲載の内容。

1992年(平成2年)に社名がマリンエキスプレスとなります。

左側は、懐かしい船会社名が並んでいます。

オーシャンフェリー(今はオーシャン東九フェリー)は千葉ー徳島!

日本高速フェリーに日本沿海フェリー!!!

 

 

懐かしのフェリー航路 さんふらわあこばると(関西汽船 小豆島季節便)

 

懐かしの国内フェリー【大阪高知特急フェリー】