お昼過ぎにホールに連れてきてもらった
姉に着いていってもらって
私は、戸締まりをして家に戻ってから
ホールに行った

ここからが、時間が早いんだよね
始まる1時間前には、会場にみんなで上がる
お帳場にたってくださる町内の人にご挨拶
来てくれた親戚、町内の人にもご挨拶
雨が降り始めたから、人が少ないかなぁと思った
娘の彼氏も来てくれた
旦那さんの親友も来てくれた

親族の席は、いっぱいだったけど知人席は空席だらけだった
雨だったからね 年寄ばっかりだからね
って思ってたけど
親しくしてくれたおばちゃん達が来てくれて、ぼろぼろ泣いてしまった

式は滞りなく進むはずだった
導師様が、だめだった
声がでない かすれた声だった
説法も、自分の声が出ないことの言い訳祭
おいおい これでうちのお父ちゃん迷わず行けます?お浄土ってくらいのだったよ


それから、お通夜の挨拶をして参列してくださった方をお見送りするために
姉夫婦と並んだ

幼なじみが旦那さんの腕をつかんで
ふうちゃんのこと頼みますよって
そりゃ力強く話すから
友達ってありがたいなぁって思うとまた泣けた

そしてみんなで、ご飯を食べたよ
やかましい親戚は、雨だからすぐに帰っていった
いえーい お父ちゃんパワー


賑やかに楽しい時間をまたみんなで過ごした
ここにいつもならお父ちゃんが、どすーんっているはずなのになぁ
おかしいなぁって不思議だった


今夜の線香番は、義兄とうちの旦那さんと息子がすることになった
あれ?甥っ子は?と思ったけど
まあ いいさ

先に家に戻ったら、お姉ちゃんからSOS
お兄ちゃんが、ダウンだから二人でしてもらえる?って
その方が好都合の我が家

苦手なんだなぁ
義兄
というよりも、大嫌いなんだけどね


そんなこんなで、私と娘は家に戻り爆睡してたら
避難勧告メールが鳴って、もうびびったびびった
ずっとサイレン鳴ってるし
明日の本葬どうなるのかなぁ?と不安だった

でも翌朝は、暑いくらいの快晴になるんだよね


ここでお父ちゃんパワーを書き留めておきます

病院から戻るとき、快晴になった
お通夜の時 苦手な親戚がすぐに帰った
本葬の時 前夜大変だったのに、快晴になった
しかも遅れるって言ってたおじちゃんといとこ きちんと間に合った
でもお通夜とは別の苦手な親戚は終わりの頃に着いた
お通夜と本葬の親戚は仲たがいをしてて、ごっちんすると面倒だなと思ってたのに
かちあわなかった

父ちゃんすげぇー



本葬も導師様はだめでした
お供の人の方が、格上でしたね


棺に花を入れるとき
もう痛くないね
お母ちゃんと会えるね
また親子になろうね
ありがとうねって
色々話した

お姉ちゃんは、ぐだぐだだった
若い頃は大喧嘩をしてた二人
殴りあいに、姉の噛みつき攻撃
だから病気になるまで、これといって関わりあうことはなかった
年に1回 花火大会の日に、会うくらいなもんだった

脳梗塞をして、そこで少しずつ かな
入院したときにお見舞いにくるようになって
私達が病院と買い物に連れていってたんだけど、忙しくて休みがままならなくて
お手上げになってきて
お姉ちゃん達に頼むようになった
それまでは、全部丸投げだったんだよね

だからこの3ヵ月 お父ちゃんと一緒にいたのって
すごいことだったんだよね
下手したら、一番長く一緒にいたんじゃないかな?

ま それくらい一緒にいなかったけど
やっぱり親子なんだよね
大嫌いは、大好きの裏返しなんだね


いっぱいお花を入れてあげたよ
あっちでまだまだ遊ばなきゃいけないだろうから


昨日の雨のせいで、陥没したところがあったので旧道を通って、斎場までいくことに

最期まで楽しませてくれるねぇなんて笑ったよ

本当の最期のお別れをするとき
まだ信じられないわぁって思った
でも冷たいんだよね
変な気分だった
棺が炉に入って行くとき、本当の最期のとき
お姉ちゃんが

無理 無理 逝かんといてって
泣き叫んだ

娘も限界だったから
つられるように、泣き叫び始めたから


落ち着きっ
じいちゃん困らせんの

って一喝した

泣き崩れながらも、ちゃんと見送らせた
そうだね
あの中に入っていくの
他人でも切ないのに、大切な人だったら
どうしようもないよね

でもお父ちゃんを、困らせたらあかんし
お母ちゃんとこ行くんだから、笑って送り出してあげなきゃなぁって


そこからは、またてきぱき動いたよ
時間が早いから、お昼は初七日法要すませてからの会食にしてたから
皆さんにお茶や子供にお菓子を配って
約1時間 お父さんを待ってた


呼び出しがかかって、お父さんを迎えに行った
生きてたときに、自慢してただけあって
骨太 きれいに頭蓋骨が残ってた
まぁー 大腿骨の太いこと
お姉ちゃんと二人で、骨を入れた
太くてしっかりしてて
父ちゃんあっぱれだった

もうお姉ちゃんも娘も泣いてなかった
お姉ちゃんは、骨壺
私は、喉仏を持って車に戻った

葬儀やさんに、そっと耳打ちして少し待ってもらってた

子供とうちの旦那さんに、特別なミッションを与えていたから


ん?それはね
残ったお骨を、分けてもらうという
大変な特別ミッション
骨壺に入るだけ入れてもらったら、あとは処分されることを知ってるから

骨をばらばらにしちゃいけないとか
そういう宗教的なことは、知りません
ってか関係ないと思ってる

いつまでもいてほしいから、わけてもらいました
お母さんのときは、そんな余裕なかったし知らなかったから
納骨のときに落ちた欠片を、甥っ子と二人でわけてこっそり持って帰ってました

おばちゃんのときに、旦那さんが分けてもらえますか?って聞いて
いいですよって言われてもらったから
お父ちゃんのときは、ばっちりでした

小さいとこでいいのに、ほら骨太だから
きれいに残った頭蓋骨をいただきました

まぁ 大きいこと
用意してた容器に入んないから、新しく買ったよ
今はお母ちゃんと一緒にしました
お母ちゃんのは、粉々になってたけどね



今の私は、毎日実家に行って
ご飯を供えて花の水を替えて、花を摘んで
線香の火が消えるまで、ごろごろしてます

まだ実感はない
おるんじゃないかと、探しそうになる
骨壺を見て
あんた ほんまに死んだんじゃねって声をかける娘です

病院に行きたくないって思った日
めんどくせぇーと思った日
わがまま言われてキレた日

もうお父ちゃんのために、時間を使うことはないんだなぁと思うと
物足りないです

いつも買い物に行ってたゆめタウンに、葬式がすんで行きました
かごには、お父ちゃんがよく買ってたものをどんどん入れてやりました


いいもん食べてたなぁとか言いながら


最期はなんにも食べられなかったからね
そのぶん
食べたいって言ってたものを食べようって

カートを押しながら
もう一緒に来れないんだなぁと思ったら
涙が出た
もちろん今も泣いてます

これおいしいよって私がカートに入れたり
あれ取ってこいって言われて、探してきたり

また売場の配置変えてるね
1から覚えんといけんって二人で笑ったり

これ好きじゃろ?って言われる前に持っていったり

もうそんな時間は過ごせないんだね
寂しいけど
きっとのんびりしとる
お母ちゃんと一緒におるだろうから

それでええって笑ってます
うん もう泣いてないよ
カートのときだけね





ここからは、愚痴です










姉には旦那さんがいます
もちろんね

自衛隊です
長期休みがたくさんあります
国を護る仕事で立派だと思います
姑がパーキンソン病で、施設に入るまで大変だったこと知ってます
呆けもあったので、何度も警察呼ばれてます
私たちは、お姉ちゃんが大好きで大切だからなんにも言いませんでした

お礼が言われたくて、お父ちゃんを病院や買い物に連れていってる訳じゃないから
お父ちゃんも義兄のことは、好きじゃないのわかってたから

でもあれは、いつだったかな?
ゆめタウンでばったり会ったんです

休みなんで、ええじゃろ
みたいな自慢をされたんですよね

あれはかちーんときた
1日しかない休みをうちは、やりくりしてんのに
私がたいてい仕事だったから、夜勤明けの眠い旦那さんに病院や買い物に連れていってもらってたから

それでもしばらくは、なんにも言わなかったんだけど
白内障の手術をして、週一で通院しなきゃいけなくなって
指定される日時に、休みがあわなくなり始めて、お手上げになってようやく行ってくれるようになりました

姉も私も、ほらお嬢様だから (もちろん笑うとこね) 運転免許持ってなくて
どうしようもなくて
ちょうど姑が施設に入ったこともあって
動いてくれたんだけどね

なんにもしてくれないし、声もかけてこない
そんな奴が、お父ちゃんのことを親父と呼ぶ
出航してたから、死に目にあわなかったことをすごく悔やんでて
帰ってきてぼろぼろ泣いたらしい
興味ないけど
一緒にもっと酒が飲みたかったと、泣く

((((;゜Д゜)))

じゃあ もっとお父ちゃんとこ遊びにこいよ
来なかったじゃん

出棺の前に、ビールを飲ませさせたんだけどね
お父ちゃんに
割り箸に脱脂綿を挟んで、それにビールを含ませて口につけるだけなんだけど

わしだけがやる
誰にもやらせんって言いながらやってた

おいおいって冷ややかな目で見てた

担当の人が、うちの旦那さんにもってもちろんやらせてくれたんだけどね


泣いてる姿を見るたびに



お前 お父ちゃんのために
なにした?
泣くほど思い出あるか?
ふざけんなよって思ってる

今ももちろん

親父って呼ぶたびに
あんた父ちゃんの前で、そうやって呼んだことあった?
てかそもそも、会っても会話なかったじゃーんってすごく思ってる

うちのお父ちゃんは、強面で貫禄のある人だったよ
現役は
仕事辞めてからは、まあーるくなった

だから
親父ではなくて、お父さんだった
うちの旦那さんは、父さんって呼んでた


私と姉は
下の名前で呼ぶことが多かったけどね


やっぱりこいつ嫌いってすごく思った

お姉ちゃんに苦労しかさせてないんだもん



今回 諸事情があってとりあえずお葬式のお金はうちが出します
お姉ちゃんからは、少し待っててね
5年後には、折半するからね
と言われました
だけど、お兄ちゃんからは一切なにもないです

お金をどうするのか知らないにしても、聞くでしょ?
どうすんの?ってそしたら普通なら

今回はすまんのって言ってきてもいいのにね

それが一切ない


だからうちの旦那さんと息子と、線香番をするの逃げたのかなぁなんて


くっだらねぇー男だよっ






うちの両親、殴りあいの大喧嘩してました
家出もしてたし、お父ちゃんの愛人のとこにお母ちゃん行ってたし
まぁ すごい人達でしたよ

あっちで仲良くしてたらいいなぁ


長々と書きましたが、こんな感じの怒涛の3日間でした

私は、まだ気が張ってるからだとみんな言うけど
元気です
悲しいけど、しゃあないなぁと思ってるし
することしたし

これからはお姉ちゃんを、支えていかなきゃなぁって思ってる

だって毎晩泣いてるんですってよー

頼れる妹でよかったね
四十九日法要の段取りももうつけました

あっ 墓苑に連絡してなかったーので、今しました
はぁー 泣いてるけど、泣いてばかりじゃね
って感じで、やっております

とりあえず大丈夫です
だってあの二人の娘ですからね