今朝は、あれこれの支度と2度の洗濯(先日の洗濯機故障しかけた騒動もあり、ギリギリまで持ち越した洗濯物もありました)に追われながらの始まりでしたが、つい2、3日前にYouTubeで視た「Mrs. GREEN APPLEのMVの炎上」の話から、そういえばこのバンドってどんなのだっけ?と思いながら、検索してみたのですが、何だか一昔前のSEKAI NO OWARIと同じような匂いがしますね?(いかにも若者ウケしそうな奇抜さとヘンテコさがって言う意味合いです)
まあ、個人的には最近のそういった音楽としては、IMASEの方が良いのですが。
さて昨日も、浮かんでは消えるあれこれがてんこ盛りだったのですが、いかんせんブログ更新よりも
入院前という個人的な事情もあり、一部の同僚や、友人知人関係への挨拶まわりの方に注力した
というのがかなりあります。
そんな事もあり、入院治療の理由で一旦休止直前の今日は、数日~1週間ぐらい前に箇条書きした内容を、少し編集してアップしたいと思います。
これは、ここ最近のなめたけさんの(こちらでの)コメント内容および個別連絡であった、ワンフレーズに私自身が着想を得た事ですが。
「(昭和or親世代は)誰もが普通であると信じていた」
(というのが、概ねのなめたけさんのコメント内容のワンフレーズです)
という事ですが、私にすれば、
「令和の今は、自分自身が思うであろう普通とか、世間の一部が唱える普通を勝手にアカの他人に当てはめて、執拗にいちゃもんをつけたり、SNSで(リアルとは)別人のように饒舌になる」
という人の方が多い気がします。
「だからこそ、カスハラやモンペが一向に減らない」
のだと、私は推測しているのですが。。
そうですね。
これで一旦休止では、ちょっとと思いますので、昨夕辺りに頭に浮かんでいた事を少し書きます。
(以前、いつか書いた)
「ガッカリする事が目的化するような人生はイヤだ」
というような話ですが。
結局のところ、それが発達障害であれ、人格障害であれ、そのような何らかの脳みそや精神面の疾患(グレーゾーン含む)を抱えた人と暮らしたり、家族だとなれば、
「こちら側が、期待しようがしまいが、ガッカリする事は往々にしてあるし、ましてや不要にガッカリ要素を自ら増やす理由はない」
という結論です。
いや、確かに以前に書いた通り
「これは、ガッカリするような事だったんだ」
っていうファーストインパクト的な事だとか、「自分自身への意思確認の作業」としてのガッカリは必要だと、私も思いますよ?
ただ、こういった(○○障害みたいな)人って、
「ある意味で、他人をガッカリさせる天才」
みたいな所もありますよね?
そういった意味合いで、
「コヤツ等に凹む事はあるけれども、それでまともにガッカリしていたら、私の明日は無いぜ!」
って言う気概も時には必要だと、私はかなり思うのです。
今は、最後の晩餐中(仮)ですが、このブログがアップされる頃は、もうお昼近くなっているかと思います(むしろ慌てて家を飛び出す時間帯)
※予言通りでした笑
何だか、元吹奏楽部としては、つい押してしまいました🤣