今朝は、寒さに負けずにトイレに行く事が出来て、体がスッキリしたのですが、それで今度は二度寝が心地良すぎて若干焦る寝起きの時間でした。。
さて今日は、あれこれブログ編集している流れから、ふと出てきた事を一カ所にまとめる回です。
こまめに編集したり、(自分自身が感じてる)肝心な部分をキチンと文章にしないと、なかなかこういうポロッと落ちるような気付きも出てこないですね。。
って事で、本題です。
うちの母というのは、本人が言うには「他所の家にあるような家電が、いつまでもうちにはなかったような、貧しい家庭だった」
そうですが。。
少なくとも今の私からすれば
「決して母は全面的に裕福とは言えなかったかもしれないが、ある側面ではお嬢様だったのでは?」
と思う所もある訳です。
それは具体的には
「買いだめしても困らないほどの、広い持ち家に住んでいた」
「障害者の姉を遠方の病院に通わせるだけの財力が親(祖父)や家にあった」
「今ほど安価で手軽に食料が買えない時代に、いつもとは言わないまでも、母(祖母)が気兼ねなく惣菜を購入していた」
今の60代が生まれたぐらいの時代にそうだったのですから、そりゃある意味お嬢様で間違いありませんよね?
※あくまでも、お嬢様の癖という観点で、母の事を考察しています。
ここから話が変わります。
1、2週間ほど前のツイッターで「(恋愛に置いて)自分が如何様な状態かが大事」みたいな話がありましたが。。
私自身としては、「自分が好きだから」とか「恋人だから」みたいな事にこだわったり、そういう枠にとらわれて物事を考えるのではなくて。。
結局、アダルトチルドレンだとか愛着障害の傾向が強い人が「好きな人だから」「恋人だから」ってなっちゃうと、それは大嫌いな親がやっている「子供 だから(これぐらい)」「家族だから(いいじゃない)」と同じ感覚になってしまいがちです。
そういう事ではなくて
「もしも(好きな人や恋人のした事が)、名前も顔も今知った初対面の相手にされても嫌だと思う事」
「相手が、ただの顔見知りや友人知人であっても、されたらショックorテンション下がる事」
という基準でシンプルに相手を見られたら、
相手の立場や状況、私自身の気持ちにとらわれずに、「(自分自身の中で)何が良くて何が悪いのか?」という答えがおのずと出てくる。
という気がしました。
そういえば昨夜は、コロナの自宅療養中に他人様からいただいた冷凍餃子を開封したのですが、幸楽苑や王将の餃子みたいな雰囲気で小分けされていたので、ちょっとだけホッとしました。
ただ、真っ当に餃子だけ食べたいと思ったら、私は100円ぐらいの生餃子を買う人なので、今後冷凍餃子を買うかは微妙です。
では、時間なので出勤します。