体験セッションの感想らしきもの その3 | タイプ9のブログ

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雑談とかとか。

今日は、どうしようかと思いながら、結局続編に落ち着きました(苦笑)


そして今日のご飯は、というか支度してお茶入れる前ぐらいに化粧or髪の毛のセットをする訳ですが、それよりも先に食事に手が伸びました(笑)

休日だからこそ、たまにはそんな日があっても良いと思います。


ここから前回の続編が入りますが、その内容が「一見、前回とは真逆な事」だったりもします。


前回私は、「専門家のイエスマンになる事も難しくない」としましたが、一方ではカウンセリング等の経過を辿って変わってきた事というのも自分の中ではあります。

なぜならそれは(主に前回の主張を)言い換えたら、

「私は今までの半生で一貫して反抗期とか、イヤイヤ期を知らないで生きていた」

という証でもあるのです。※反抗したいのに、出来なかったという意味合いで。


カウンセリング等の経過を通じて、わざわざそういった(反抗期等の)部分を刺激している訳ですから、そこで「別の専門家のイエスマンに(すんなり)なる」という事は、私としては今までのカウンセリングやお世話になったカウンセラー等の効果を否定するも同然という事にも成り得ます。


逆説的にそう考えると、「ただの私の意地やプライド」という事だけでなく、「自分自身の半生に対する思い」だとか「恩師を立てたい気持ち」というものが密接に関わっているような気がします。


以上の事を踏まえつつ、最後のまとめ。



上記の話が第三者にどう映っていようと、他人にどうであろうとも、「私にはどんな意味故の言動や行動なのか、自分自身で理解できている事」が自分自身には一番大事な事です。


世の中には、自分自身の言動や行動の真意が分からないまま他人にマウントを取るような人達がゴマンといますから。


そして、うちの両親も含めて、「毒親と呼ばれる人達の最大の共通点」というものは、誰にでも分かりやすい一言で表現するならば

「令和という時代を生きていない。2022年に頭が切り替わっていない」

という事で間違いなさそうです。


さて、昨日の病院の電話の件は解決しましたが、今度は来週の通院に関する打ち合わせで、母と話す必要があります。(ただの通院だけなので、現地待ち合わせで良いかとか、入院手続きがあるならば、必要な証明書や印鑑の確認とか)

さすがに、病院側もともすれば認知症(初期症状)の疑いがかかっている母に、一人で入院手続きなんてさせないという所なんでしょうね?少なくとも話の流れや経過を見る限りでは。



という事で、昨日の電話の最終結果は「来週の(母の通院には)私も一緒に来て下さい」という事で、ノーメイクで買い物やコジャレた店には行きたくないから、今から化粧しますわ。