意見を聞く大切さの前にあるもの | タイプ9のブログ

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雑談とかとか。

今日は今晩の予定がありますが、出来れば今晩の予定なんて忘れてヒトカラ三昧がしたい!気分にも若干なっております。

って言うか、誕生日を迎えたばかりのマスターに、渡す誕プレが思い付かないという事もあり、何なら直談判して決めてもいいと思います(その線なら決めたものがありますので)


さて、今日の本題?(どれが本題か不明)ですが、前々回?少なくとも今週中のこちらでチラッと取り上げたあるコーチングの方々(多分会社や組織運営)のブログの内容で
「様々な専門家の意見を聞く大切さ」
というような事を書いてました。
そしてそれは、私自身もそれに近い事をやっていますし、そうしているからこそその時々で必要な専門家を選ぶ事もしているしそれが可能な訳です。(もちろん、そのコーチングの方の意見にもあるように《暗に取捨選択》するような場面も出てしまいますが)

しかし、少なくとも私自身は最初から、カウンセリング開始時からそんな事が出来た訳ではありません。

確かに、カウンセリング開始時から色々物事を調べるのはやってました。
ただ、一人の専門家に特化してブログを読んだり集まりに行くというのは、カウンセリング2年目の後半ぐらいからでしたし、ようやくカウンセリング3年目で一旦そこを終了しようとしている時に、このブログの開設を皮切りに色んな専門家のブログを覗くようになったというのが正解です。

これは、うちの親を始めとする主に愛着障害や人格障害が疑わしい人達を見ていてものすごく個人的に思う事ですが、少なくとも人の話が聞けない。聞く耳を持てない人達には、まずは(メンタル的な意味合いで)その耳を治してからでないと、間違っても例のコーチングの方の「色んな専門家の話を聞いて選ぶ」手法はおすすめ出来ませんね!
そりゃ、私自身も1年半~2年掛かりでカウンセリングや自助会のコミュニケーションを通して改善してから始めた訳ですからね!!

はぁ、それにしてもこの陽気で感染者が増えるばかりのコロナ。
コロナ禍の影響もあり、苛立った人達。
こんなご時世だからこそ、私は椎名林檎の「罪と罰」にしろ、coccoの「焼け野が原」にしろ、無性にそういったちょっと病んだ感じの歌を聴いたり歌いたくなるでございます。