”恥が文化じゃ困る場合”を振り返って | タイプ9のブログ

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雑談とかとか。

昨日は?一昨日は?どちらかと言えば、511地震説の方に内心ビクビクして、かなり寝付きが悪くなりましたが、まあまあ何とか出勤して無事に仕事が終わり、暇でどうしようか考えた結果、買い物になりました(今日もこの後に原チャでの予定がありますので)
例によって、昨日今日と肉を食べない日なので、夕食代わりの弁当が焼肉弁当とかカツ丼という訳にも行かず、魚フライ二個と竹輪が乗ったのり弁で妥協しました。
今日は、そののり弁の残りとあり合わせを足して犬ご飯です(猫動画で喜んでいるのに、なぜだかご飯は犬)

さて、そんな合間に様々な記事を読んでいて、そういえば私は以前こんなタイトルの記事を書いたなって事で、今一度3年近く前のこちらの内容を振り返りつつ話を進めます。
余談ですが、というよりも今更3年近くも前のこちらの自分の過去の内容を取り上げる経緯の大元になった内容や文献の一部に

引きこもりの治療とアルコール依存症の治療は似ている。

とあった事や

アルコール依存症の治療に当たって家族に約束させる事が「(患者に)恥をかかせてはいけない」という事。

が書いてありました。

さて、これまた1年ぐらい前にこのブログに書いた話の一つであり、初期からの読者様には割とおなじみの話かと思われますが

うちの両親というのはまさ割れ鍋にとじ蓋であり、喧嘩両成敗とかどっちもどっち夫婦という方がしっくり来る仕上がりである。

と言った感じです。

そういった意味合いでは、

両親はそれぞれがそれぞれに恥をかかせあっているし、一概にどちらか一方が悪いとはとても言えない関係である。

と言えます。また、これは私自身にも当てはめて考えたら

引きこもったら引きこもったで、大人しく部屋に居させてくれないのが毒母でありモラ夫の妻という厄介な生き物の生態でもあります。
ましてや時間もそれなりのお金もあれば、そんな家にわざわざ停滞する理由はありませんから、居酒屋が駆け込み寺となりアルコールに依存してしまうというのも自然な道理なのかもしれません?

まさか、この手の話でも恥の話が出るとは少なくとも私には意外でした。
そうやって考えたら

家に家族が落ち着いて居られる、過ごせるという本来なら至極当然の事両親がそれぞれに心掛けていられたならば、そんなにバカの一つ覚えみたいに掃除しろとかスーツ着ろとか騒がなくてよかったんじゃね??

あれ?最後は何だか片付け心理学の話になってましたが、結局そこなんだね?散らかったり埃まみれの部屋よりも、ボロボロに傷付いた自分の心を紛らわす事の方が急務になってしまった事の方が大問題なんだから、そこをキチンと手当てしないとね!?

では、お昼になる前にサッサと出かけますね?