表題の通り、27日土曜日に友人が亡くなりました。

享年、37歳。

今月誕生日を迎えたばかりでした。


もとから精神的に強い方ではなく、

色々と考えすぎちゃってから回りしてしまうトコロがあったのも事実でした。


私と彼女が知り合ったのは、沖縄好きが集まるサークルが最初の出会い

だったと思います。

サークルとは言っても、パソコンの集まりというのか、、

ま、説明すると長いので、「サークル」と、言わせていただきます。

今から、15年位前になるかなぁ。

彼女は香川の人だったのですが、オフ会を言われる集まりの時には、

深夜バス等に乗って東京によく来ていました。

ソノ後、私のダンナが主催するサークルにも共に入り、

交流を深めていきました。


このサークルを通して知り合ったメンバーには、

私が家族に呼ばれている名前で呼ばれていました。

(サークルで知り合った以外の友人にはこの呼び名では

一切呼ばれてません。)

なので、サークルのメンバーには、自分の素の部分を出していたと思うし、

特に彼女には、そういう部分をたくさん見せていたと思います。

一度、別のサークルの集まりに大阪に行った時、

元から関西(特に大阪人)の人が苦手だった私に、

その関西人の方に言われた言葉がとっても傷ついたことがあったんですが、

彼女は、

「あればヒドいよね。大丈夫?私が代わりに怒ってやる」

って励ましてくれました。

私は精神的にあまり強くなかった彼女を助けるって決めていましたが、

この時に、私が助けられてるなぁと思ったことを思い出しました。


私がダンナと結婚したように、

彼女もサークルで知り合った人と結婚しました。


結婚して落ち着くかなぁと思っていたのですが、

彼と結婚して、力が抜けたのか症状もちょっとづつ出てきていたようです。


心配しつつも、ダンナ様が近くにいるから大丈夫だろうと

安心しきっていました。


今年の年賀状、今年は遊びに行きたいなと書いてあったので、

東京での再会を楽しみにしていました。


そして、3月11日、東日本大震災の日。


一番最初に連絡をしてくれたのは、彼女でした。

今、彼女は神戸に住んでいるのですが、

一生懸命つながりにくいケイタイに何回も何回も連絡してくれたみたいで、

メールも送ってくれました。

彼女を話をしたのは、この日が最後になってしまいました。


その時には元気だった彼女。


その後6月くらいから、変調をきたしていたようです。


で、今年にカギって、暑中見舞いを誰にも書いていませんでした。

毎年必ず、梅雨明けと同時に暑中見舞いを欠かさず送っていた私。

今年はいいデザインがなくて、どうしようかなって思っているうちに

送らずじまいになってしまいました。


彼女は必ず返事をくれていました。


今年、送っていたら、もしかしたら「死」を防ぐことが出来たのではないか。


3月に声を聞き、すっかり安心しきっていました。


こんな結果になってしまったのは私のせいです。


悔やんでも悔やみきれません。


今日、日帰りで神戸に行って来ました。

神戸は1度行った事がありますが、

彼女の家の周辺は初めて行きました。

斎場は自宅の近くだそうで、

海と山に囲まれたとてもいい場所でした。


彼女に会いました。

とても安らかでした。


こんなにすぐに駆けつけられるなら、

どうして会いに行ってあげなかったのか。


でも、彼女の顔を見て、


「ようやくゆっくり出来るんだね」


と、言葉が出ました。


生きている私達は後悔の念をこれからも思って生きていくでしょう。


でも、彼女は少しでも安住の地に行かれるといいなと思います。


ゆっくり休んでください。


大好きな私の親友へ。