夢22)願いを込めて | Towatomoぴあの教室(釧路市)夢を積み重ねよう~

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北海道釧路で、ピアノ教室をやっています!!
生徒の気持ちに寄り添って、ひとつひとつ小さなチャレンジを積み重ねて日々進化しよう......を合言葉に頑張っています。

パリを中心に活躍したスペインの作曲家についてです。


ファリャ

1876年にカルディスで生まれました。

1899年23才の時に
マドリード王立音楽院を2年で卒業し
ピアノの第1等賞も獲得゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚



こんな素敵な学校に通いたいな~

当時のスペインで、
作曲家に認められるには
サルスエラという
国民的な小規模のオペラの場しかなかったみたい



ちなみに、
yukko先生は、
二期会のオペラ「リゴレット」の第一幕で
娼婦のダンサーのチョイ役で
出演してことがあります!!笑っ

1901年25才の時に
フェーリーぺ、ペドレルに師事し、民族音楽を学び、アンダルシアのフラメンコに魅了されたみたいです。



実は、密かに憧れています、、、

そして
1907年31才で、パリに移住。



スペインとパリが、
お隣どうしの国だとは、、、
無知なyukko先生は、
みおちゃんのお陰で、
ちょこっと賢くなりました( ノ^ω^)ノ笑っ

で、話に戻りますが
ファリャの才能を認めたデュカースが、
アルベニスを紹介したり、
そこから、
後に大物作曲家となる
ラヴェル、ドビュッシーと
人脈が広がっていったようです。

でも
1914年38才の時に
第一次世界大戦が勃発して
スペインに帰国。。。



その後
マドリードで、
バレエ音楽「恋は魔術師」を上演したのをきっかけに、
バレエ界の大物ディアギレフと出逢い
「三角帽子」を作曲



ロシアバレエ団の為に作曲された「三角帽子」は、
ロンドンで初演され大成功!!
スペインの民族主義とフランスの印象主義が
バランスよく混在している作品として
今も人気のバレエ音楽みたいです。

みんなに愛されていたファリャですが、、、

1921年45才の時に
両親を亡くし、傷心の妹と一緒に
グラナダに移住したそうです。





こんな素敵なところで
癒されていたのでしょうか~

ですが、、、
1936年60才の時に
スペインで内戦が起こり
友人が銃殺されたのを機に

1939年63才の時に
アルゼンチンに亡命。。。



さすがに、亡命は、
お隣の国じゃなく海を渡ったのね~
と知ったふりをしていますが
今、世界地図で確認しましたっo(*≧∇≦)ノ
またまた、賢くなりました!!笑っ

そして、、、
1946年70才の時に
コルドバで亡くなりました。
その翌年、遺体が、スペインに戻され
国葬をして、カディス大聖堂の礼拝室に埋葬されたみたいです。



参考文献~新音楽辞典、ピティナピアノ事典等

以上
スペインの作曲家ファリャの人生でしたが
旅行気分で気軽に
どうか参考程度に、お読み下さい。

最後まで、お付き合い頂き
ありがとうございました!!