「あのさあお母さん、お父さんだいぶ前に脳梗塞で倒れて使い物にならなくなって、会社クビになってしまったらしいよ…」


次男の友達は、その会社でバイトしてるお兄さんに聞いてたけど、

「あえて俺には言わなかったって…」昨日聞かされた…


そういう次男はお父さんの事は、何一つ記憶に無い

まだ2歳の時の別れだった


私は26年前、住んでいたマンションから子供を3人連れ近くの公団に出てしまったのだ


私と離婚後3年して再婚をした元夫は、私達が住んでいたマンションを人に貸し元夫の実家で、妻の連れ子2人と生活を始めた


可哀想な事を思い出す…

私の娘は、学校で一つ年上の子と部活で仲良くなり

新しい友達が出来たと喜んでいた


ある時、「名字を聞いたらお父さんの新しい子供だった」と…

それから娘はその子の話は一切しなくなってしまった


その中学に娘が入学する前に、資金を持って元夫が家に来たことがあった

再婚して、実家に同居してるにもかかわらず、「俺、ここに一緒に住んでもいいか…」って床に伏してしまった事があった

私は、

「再婚して実家に住み2人の連れ子もいるのに、とんでもない!」と聞き入れる事はなかった


その後娘の事で、ニ度家へ来たきり、もう20年合っていない


まだ早すぎる脳梗塞

50代


まだまだ彼が遊びたい盛りの若い時に私達は結婚をした

子供が産まれても友達と飲み歩き、お洒落をして友達と都内へ遊びに行ったり、会社の社長には右腕のように使われ、接待の飲みも多かった

家にいるなんて事は殆ど無かった


お酒を飲んで事故を起こしたり、喧嘩してお店壊したり


飲むと酒乱になるので、私にもしつこい


上手くいかない事が沢山あった

心乱れる事が沢山あった


それは、親の介入、自分の未熟さ

子育ての中で、色々繰り広げられる事が私の精神をおかしくした


子供がそれぞれ20歳になるまで、彼の会社から養育費が振り込まれていた


思えば、私達が知り合った時も彼の会社の社長は一緒だった 

マンションも社長が半分負担をしてくれた


今は息子さんが社長になってるんだと、会社を調べて知りました

小さな株式会社だったのに、今では本社は銀座だと知りました


飲んで暴れて、遊んで酷い人だったけど、会社には凄く貢献していた

仕事が大好きで社長が大好きだった

朝まで飲んでいて寝てなくても仕事は絶対に休まない人だった

そんな生活がずっと続いていたんだろうか…

お酒と休めない労働

歩んできた道へのストレス

過去のわだかまり

過去の悔やみ


次男が成人式の日、父に合ってみたくて、私に内緒で家に行った事があった

するとおばあちゃんが出て来て、

「今は居ないけど、もうここへは来ないで欲しい

あなたのお父さんの気持ちが乱れるから」

と言われた


私は、「その通りだから、もうお父さんの家へは二度と行かない方が良いよお父さんがおかしくなるから

おかしくなるのは、あなたに思いがあるからだよ」

と伝えた


私はずっと顔も見たくなかったけど、家族という気持ちもなかったけど、

実はずっと家族だったのかも知れない

家族が病に倒れてしまったのだという思いが込み上げ、涙が流れるのだ


元夫と仲良く遊んでいた時の事も思いだされます…


若い時に結婚をした彼が可哀想でなりません


子供達が20歳になるまで頑張ってくれてありがとうという気持が込み上げてきます…


奥様と家族と穏やかに凄し、回復していってくれることを祈って止みません…


人生を振り返ると、今なら分かることが何故その時はわからなかったのか、


喜びも悲しみも沢山あった過去


上手くいかなかった

喧嘩ばかりしていた

この子達の父親であることは間違いないけど、あちらの家族の事を思うと立ち入る事も出来ない

あちらも私達を拒否するしかないと思う


お互いの人生の為に立ち入れない事って…


それぞれが今の生活を守る事しか出来ない


虚しく切なく、強く


喜びよりも楽しみよりも、悲しみと苦労とストレスが強いよね〜

実は、人生って…