母が危ないかもしれないと言われた日、父は私たちにいつでも電話に出られるようにしてほしいと伝え、数年ぶりにお酒を飲まずにいたそうです。



電話が来ないことを祈っていましたが、1時前に父から電話が来て、私との会話終了後、弟に電話してから私の家に迎えに来ました。



車内での話はよく覚えていませんが、多分、こんなに早く亡くなってしまったのか…とか、お葬式関連の内容だったと思います。



病院にて亡くなった母と対面し、いつも私の前では母のことを「母さん」と呼んでいた父が、母の下の名前を呼び、肩を叩きました。



当然、動かない母。



そのときのハッとした感情は今も覚えています。



片目がやや半目だったからか、よく聞く「眠っているみたい」とは思わなかったです。



そして約1ヶ月間絶飲食だったこともあり、ガリガリに痩せてしまった身体が可哀想でした。



亡くなる直前は苦しかったのだろうか、苦しまずに逝けたのだろうかとの疑問もありました。



その後、葬儀の打ち合わせも父と済ませます。



母の葬儀の打ち合わせですが、私の頭の中では、数年後か数十年後には父の見送りが待っていて、次は私がこういうことをやっていかないといけないとの気持ちが出てきて、不謹慎ですが父に照らし合わせながら考えていました。



当たり前ですが、もう経験したくないと思いました。



そしてそれ以来、普段運転しているときに、“もしかするとこの信号待ちで並んでいる人たちの身内や親しい人が危篤等で今から病院に向かう人がいるのかもしれない”と考えることも出てきました。



また、たまに「元気?」とか「落ち着いた?」とか聞かれるけど、正直あまり良い気分ではないです。



何を指して「元気」なのか、「落ち着いた」のか。



まだ亡くなって数日しか経っていないし、悲しみもまだまだあるし、ふいに涙が出てくるときもあります。



母に話しかけようと思っても遺影を前にすると悲しくて声が出ません。



でも日常生活は送れているし、仕事も始めているから、「元気」で「落ち着いている」とは言えるのかな。



母のことは敢えて考えないようにしていますが、どこかのタイミングで向き合おうと思います。