もう読者様なぞいないであろう当ブログ。
久しぶりの更新です。

2011年3月11日、東日本大震災が未曾有の甚大な被害を東北地方を中心に日本各所へもたらしました。
日本人なら知らない人はいないと思います。


あれから5年が経過しました。


2016年3月11日、私は被災地石巻市へと足を運びました。
いつの3月11日も多くの方々が石巻を訪れてくれてはいたのですが、今年は5年という事もあってか凄く多くの報道陣や一般の方々が来てくれていた印象です。

14時46分黙祷。
サイレンが鳴らなかったのが本当の災害時ではなくて良かった(笑)
厳かな黙祷の時間、本当に沢山の方がいらっしゃったにも関わらず辺りは一瞬にして静まり、被害者への冥福を祈る気持ちだけが周囲を包んでいきました。
被害者や残された方々にとっては「命日」です、この弔いや敬意を表する静寂こそがこの瞬間に関してはとても大切な時間であると感じさせられました。


石巻市だけではなく、被災地では少しづつではありますが「復興住宅」も出来始め新しい道路や商業施設等も見られるようになってきました。
雇用も回復し、自立再生を後押しする基盤も出来てきていると聞きます。
いや~、5年もたったんですから、当たり前ですよね!
5年ですよ、5年! 復興!復興!



と、思いますか?
思ったそこのあなた。それが「風化」です。




5年 1825日 ご飯は5475回


数字にしてみて、膨大な年月でしょうか?
ご飯のメニューは覚えていないかもしれませんが、ちょっと振り返る事の出来る程度の年月です。

被災地では今復興に向けて沢山の建築関係や土木関係、港湾関係の皆様が頑張ってくれています。
しかしながら、未だに入居可能な復興住宅は潤沢には無く、道路造成も工事用う回路が作られるばかり。
ちょっと沿岸部に行けばがれき撤去後は「計画地」として事実上ほったらかしです。公園作るならそろそろ基礎とか壊した方がいいんじゃね?って思うんですが。

人もしかり。
あなたは失った大切な人を5年で忘れられるのでしょうか?
あなたは失った財を5年で元に戻せるのでしょうか?
あなたは失ったふるさとを思い出さずに前ばっか見て生きられるのでしょうか?

それが出来ずに苦しんでいる人々は沢山います。

大切な人を失った悲しみに苛まれ、いまだに夢に見る人
経済基盤を失って、不慣れな仕事で日銭を稼がざるをえない人
故郷の景観も、生きていた思い出もすっかり無くなってしまった人

震災は人の心に大きな穴を空けてしまった事は抗えない事実なんです。
普段は笑って過ごしている人でも3月11日を迎えるたびに心の穴に苛まれることもあるそうです。

甘えや依存はいけないことですし、自ら奮い立たなければ何も始まりません。
超が付く鈍足でも良いんです。心の穴を新しい楽しい思い出で埋めていって欲しいです。

心の穴が埋まり、地域にまた本当の笑顔が取り戻せた時に復興はなしえます。
復興住宅も、新しいライフラインもその為に存在すると思っています。
どちらが欠けても復興は出来ません。


だからまだ、風化だけはさせないで頂きたい!



また来年も、再来年も、震災から○○年と報道されるでしょう。
被災者ではない方々や、被災から立ち直った方々、その日その時だけでも構いませんので「どうなったんかな?」と被災地の事を思い出してください。

牛歩ですが、確実にちょびっとずつ変わっているはずです。地域の景観も人の笑顔も。
それが東北人の生き様ってなもんです!

どうか、気にして見てやってください。