こんにちは。

 

あべゆかです。

 

東京は雨模様ですが。

今日はラブスタの起業仲間との約束。

 

有名起業家さんにも人気の「かくりゅう」さん。

 

 丹波谷かくりゅう

 

 

素晴らしいお料理と、進む道は違うけれど、見ている方向は同じ素晴らしい仲間との時間。

 

ご縁に感謝。

ありがとうございます✨

 

 

 

るみさんとあゆみん

 

 

さて。

今日の話題は

「見ようとすると見えなくて、手放すと見える」

という話。

とんちみたいですが。

 

ガイドと話したことからシェアしますね。

 

 

私たちは自分のことって、思いのほか見えない。

自分のことはわからないもの。

 

 

何が好きか、とかはまだわかる。

 

どうしたいか、

どう生きたいか。

少し難しいかも。

 

そして、自分はどんな人なのか。

 

これが意外にわからない。

 

人から見たら丸見えなんだけれど、自分は見えていない。

あるいは見せていない。

 

ジョハリの窓みたいに。

 

これについてガイドと話したんですが。

ガイド曰く、

 

「私たちは本当は知っている」

 

そう。

魂は本当は知っていて、わかっている。

自分を探すことそのものが、したいことだということ。

 

見ようとすると見えなくなる。

見ることを手放すと見える。

 

他人と関わることを通して、自分を知る。

それ自体がエキサイティングな営みだということ。

 

 

 

 

 

だから、自分がわからない、どうしよう、という時も、私たちは本当は楽しんでるんですよね。

その不安定な感じや心が揺れる感じを。

 

答えを見つけることそのものじゃなくて、探すことに意味を見出していたりするもの。

 

 

自分がどんな人なのか、は生涯をかけて見つけたいテーマ。

玉ねぎの皮みたいに、どんどん剥けて洗練されて、その奥の魂にいつか辿り着く。

 

今すぐに見つけなくちゃ、ではなくて。

見つけようとする旅そのものを楽しむこと。

 

そうやって手放したら、ふっと答えは見つかるもの。

正解は自分の中に必ずあるのだから、慌てなくても大丈夫。

 

 

答えに一直線に辿り着くのが正義、とは限らない。

見つかっていない今が楽しい、ということもあるんですよね。

 

 

 

 

 

見ようとすると見えない。

手放すと見える。

 

今日はとんちみたいなテーマ。

 

また更新しますね。

あなたが祝福と共にありますように。

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