こんにちは。

 

あべゆかです。

 

今日の話題は

「こうしなければいけない、を疑う」

 

よくあることではあるんですよね。

 

小さな頃から親に言われてきたこと、とか。

先生が言っていたこと、とか。

 

私たちはたくさんの「こうしなければいけない」に囲まれて生きているもの。

 



大人になった今、見直してみたいのは、その「こうしなければいけない」が絶対かどうか、ということ。

だいたいは絶対じゃないんですよ。

 

絶対はない。

 

ただ、私たちが無事に成長するために必要だった、というだけの話。

大人になって、もうそれが必要じゃなかったら、必要ない、と認めていいんです。

過去の話。

 

・・・それがなかなか難しいこともありますけどね。

 

大人になった私たちが見つけたいのは、

「どう生きるか」

 

これから先の自分の人生を、何を思ってどう進むか。

どこへ向かうか。

 

自分の人生にどう責任を取るか。

 

ここでの「責任」は、重苦しい嫌なものではなくて、自分が幸せに生きるために必要なもの、という意味。

自分を幸せにできるのは自分だけだから、私たちはいつも、自分の幸せに責任があるんです。

 

自分の幸せを誰かの責任にする、なんておかしな話ですからね。

 



 

 

ここで大事なことをちょっとお伝えすると。

 

私たちは言葉を使って、言葉の意味で何かを考えたり判断しようとするんだけど。


言葉は所詮言葉。

 

人によって捉え方も違うんですよね。

 

「責任」という言葉も。

「こうしなくちゃいけない」も。

 

その言葉にどういう意味をつけるかは人によって全然違うんです。

だからこそ、優れた芸術が生まれる、とも言えるんだけど。

 

言葉の持つ繊細さに、もっと意識的に生きてもいいのでは、なんて思うこの頃。

 

snsとか本当手軽だから。

スマホで変換したら出てくる単語とか。

音声入力で漢字が違ってても気づかないとか。

 

私たちは言葉にどう向きあうか、試されてるのかも、という気もします。

 

あなたはいかがですか。

 

 

また更新しますね。

あなたが祝福と共にありますように。

 

「繁栄のスピリチュアルメッセージセッション」

ただいま受付中♡


 あべゆか公式LINE