エリトリアの国に行った時、
「ペンをくれ」と子供たちが群がってきた。
ペンなんていっぱいあるから、あるだけあげるよって思ったけど
絶対喧嘩になるだろうと思ったから「ないよ」といって渡さなかった。
でも近くでペンを渡した人がいた。
思った通り、そのペンをめぐって子供たちは髪引っ張り合い、殴り合いの本気の喧嘩をしていた。
とても苦しくなった。
日本からシャボン玉を見せてあげようとフーと吹いてみたお姉さんがいた。
とても心の優しいお姉さん。
そのシャボン玉を見た瞬間「なんだそれは!」というように
子供たちが群がってきた。
さっきのペンと同じく、我先にと取り合いの喧嘩になった。
喧嘩のあげく、シャボン玉の液がドボーッとこぼれてしまった。
5秒ぐらいの出来事・・・
でもそのシャボン玉の液が逆さになってこぼれるとき、スローモーションに見えた。
ものすごく悲しくて、切なくて、涙が出そうになった。
規模は全然違うけど戦争を見ているようだった。
笑顔で譲り合えたら、いっぱいいっぱいシャボン玉飛ばしてみんなで笑顔になれたのに・・・
貴重な水、私は水筒にいれて持ち歩いていた。
一緒にサッカーしてみんな喉カラカラ・・
仲良くなった子供たちと少しずつ分けて飲んだ。
ソッコー水筒の水は無くなってしまった・・・
でも私たちはその国のお金を持っていたから
水でも、手の届かないコーラでも、なんでも買えた。
全員にコーラを買ってあげたかった。
でもそれってなんの役にも手助けにもならない。
一緒に楽しく遊ぶことだけで精一杯だった。
戦争の跡地を裸足で駆け巡る子供たち。
サッカーボール1つでも目をキラキラさせて元気に駆け巡る子供たち。
物がなくても満たされた笑顔をしていた。
欲が人を狂わせるんだ。
一緒に踊った♪
ラジカセ持って音楽かけてくれたお兄さんがいて
みなノリノリで踊った。
私の踊りを気に入ってくれた男の子がいて、前へ前へと押し出された。
その踊りはなんだ!と子供たちは目を輝かせてニコニコしてくれた。
言葉なくても繋がれた瞬間だった。
踊りやってて良かったってすごく思った。
でもこの日は帰ってから本当に考えさせられた。
ものすっごく疲れてて、でもそれは炎天下や元気に遊んだからとかそういう理由じゃなくて。
自分のちっぽけな力でこの人たちの為に何ができるか?
なにが良くて何が正しくてなんてわからない。
しかもこんな小さな小さな力。。。
だから今自分に出来ることは、見たことや感じたことをリアルに伝えることだと思ってる。
行ってない人、違う場所にいた人が、自分のそばにいる感じでイメージしてもらう。
思うことは人それぞれだと思うから、それを伝えることでイメージして何か感じてもらえたらなって思う。
一方では悪いことが形を変えてどんどん良くなっていく、
もう一方では良かったことが形を変えてどんどん悪くなっていく。
せっかくこっちがよくなったのに・・・と、
ずっと反比例の繰り返しで
世界平和なんて望めないのかと、悲しくなった。
でも諦めたら何も始まらない。
不可能を可能にするには信じるしかないと思った。
このちっぽけな力が少しずつでも人の心に浸透して
水の波紋のように広がると信じたい。
その浸透した人が何かしらの形でそれぞれの場所から波紋を広げてくれると信じたい!