これから兄ちゃんが来る。で明日、彼は54歳になる。
明日朝イチでコストコご馳走買い物に連れて行ってもらうから、
せめてケーキを出そうと思った。
でも疲れるからいつものシフォン。
卵があまりに小さいから、量をどうしよっかなと考えたのだけれども。。。。
映画を観ながらやっていたら、粉をどれくらい入れたのか忘れてしまった💧
家族だけだからね。失敗したら捨ててもイイ。
お詫びに違うものも焼こうと思う。
自分の誕生日に妹家族にコストコゴチをする羽目になるなんてにいちゃんに申し訳ない
申し訳ないけれどもうちではおおよそ
贈り物か、にーちゃんが来た時しか牛肉は食べれないので
次男と亭主は昭和30年代の貧しい子供みたいに(多分それくらいの時代)楽しみにしているのだ。だから外せない。
そうそう、呑み会の話。
人はどうなのかな。
私は自分のホントのコンプレックスって絶対に人の目につくところには書けない。
でも今回は書く。恥だからオブラートに包んでだけれども。
私には「妬む」というのがよく分からない。
分からないけれど、その一歩手前はぼんやりと感じた。
私が特定の人を、自慢したり褒めたりするのは良いのだけれど、
違う人がその人だけを褒めることにちょっと悔しさを覚えた。
そしてそれを楽観していられない自分を卑下する。見苦しい。嫌いだ。恥ずかしい。
なんだろう。
私が認めるというのはいいのだ。でも
違う人がその人だけを、私の前で褒め続けると
なんだか私はダメだって言われてるような氣がしてくるのだ。
「マルちゃんも小雪(私のこと)も若いよね。
でもやっぱりマルちゃんの方がすごく若いかな」
そんなラインが長々と送られてくるから、
単に私はつけ足されてるんだなあってなる。
「マルちゃんってあんなに可愛かったんだ〜」
とダラダラとずうっと、なぜいちいち私に書いてくるんだろうと鬱陶しくなった。
なんだろう、こんなんで自分の心に波風が立つなんてって情けなくて嫌になる。
心底自分が醜いと思った。
そういう感情を持つ自分が
一番嫌だった。
あまりにマルちゃんばかりを褒めるセリフを書いて来るから、
「今度4人で呑んだ時、2件目はマルと2人にしてあげるよ」と切った。
で、「私はもう1人のベテランさんと二次会に行くから。それと
私にラインしてくるんじゃなくて、
ちゃんと本人にラインしなよ〜」
なんなんだろう。鬱陶しい。
もう辞めてくれって思った。
私は自分に自信が無い。
どれだけ頑張っても、望む人並みに乗れない。
でも一見すると、なんでもスイスイこなしているように思われる。
そしてそれを自分にも強いて居て、
できない分にまたダメ出しをするのだ。
被害妄想ってやつだな。書いていくと実にくだらない。
くだらないのに止まないこの感情がうっとおし〜。
昨日は仕事終わりに、、、、呑んだっ😆!
さいっこうだった💖
今年はこの茜にハマった✨
そのあとこれ
もらったひやおろしがまた、絶品だった✨
一番好きな日本酒は大雪渓なのだけれども、
この黒澤もまた、フルーティーでたまらない!
今日来るにいちゃんに残りはあげようと思っていたのだけれども
ダメだ。上げられないことが決定した。
嫌な感情も私の一部なんだよなあ。
僻みかな。これが僻みってやつかな。
私なんかって口では云いながら人に「そんなことないよ。すごくできてるよ」って云ってもらいたがってる。
いくつなんだよ、オバハンって自分に云う。
そうそう、そのマルちゃんばかりを褒める人は突然
「2人で呑むのは小雪と行きたいんだよ。ごめん、もうマルちゃんのことは言わないよ」と書いてきた。
えー…何?この人……
めんどくさい、断ろ
「遠慮すんな、ちゃんと惚れたマルと一緒に行って楽しい時間をすごすべき。
時間は有限なんだから、惰性で呑みに行く前にちゃんとした人と🍻を」
負の感情が湧き起こるのはもう御免だ。
自信がないところをグサグサと刺されているように感じてしまう。
貝にならなきゃ。
そのあともあれこれラインが送られてきたけれどシカトした。
ちゃんと大人になりたいな。
やり方がわからないから、
とりあえず沈黙は金ってことで
黙って静観しよう。