激しい雷が懐かしかった | 私の記録

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食に興味の無かった私が一転、妊娠7か月にいきなり過食脳が出来て爆発しました。
それから25年。未だに意味不明な過食脳に苦しみ中ではあります。が、
与えられたすべての人・環境・物に感謝心が湧くように成れてきました。だから幸せです。

昨日の晩飯。

 

忘れてた事だった。

昨午後、無茶苦茶な雷⚡️が比較的長く続いた。

それが本当に真上に来たかってくらい強くてデカい。

ゴロゴロどっかーんの時、家ごと揺れた。

そして真っ暗になる。

 

 

 

娘は15時まで模試だった。

「終わったら遊んでくると思うから、晩飯いらないかなー」

と云っていたのに、なんと15:20には帰って来た。

「雷が怖いから!」

と汗だくになっている。

「と云うことは、晩飯も喰うのか?」と聞くと

「喰う喰うクー」と云う。

焼きうどんにしようと思っていたのにあー足りない。で

炊飯器チャーハンに変更する。

 

 

そこから暑いだの眠いだの言いながら、やっぱり女子トークが始まる。

 

 

積極的に娘と友達トークをしたいなと憧れたことは一度もないけれど、

氣が付くと取り留めのない話をダラダラとしていることが多々ある。

平日は全く会わない。お互いに寝ている顔しか見られない。

でもそれによって娘が大きく崩れることも無く

かといって良い子ちゃんであることも無い。

「起きれなくてさーまた遅刻したんだー」

と云う。

「ふーん、なんとかして起きるしかないよねー」

と返すのみ。だって私は出勤してしまっているのだから。

 

正直彼女の人生だし、私に迷惑さえ掛けなければイイわって思う。

親失格。成績も知らない。私の中に興味が湧いてくれない。

良かったら良いなとは思う。ただそれだけで

良いとも思っていないし、まー卒業する程度には付いていくだろうと思っている。

 

彼女に掛けた分、無駄にしなかったら良い。

人の金を使っていくのだから、そこだけは強く云う。

でも中退とかになってもそれもアリかなと思う。

合わないとか苦しいとか、

物事はやってみないと分からないのだから、

やった結果で新しい何かが見出せたのならば

方向転換すればいい。ただ。

3人ともに掛けるお金は大体同じだから

次の何かは自分で稼いで時間を作って進め。

私らの援助はそこでストップするだけだ。

要は自活に結びつけばいいだけ。

一体の人間として生活すること。そこだけ。

 

 

私の役割は、産んだ子を一体の人間として成長させることで

ハイスペの大学でも就職先でも無い。

そんなところに行けたって、「クズ上司」とバカにされてる人を多く聞いている。

そっちの方が不幸で、我が子がそうだと大層悲しい。

 

抜け作平社員の長男は、慣れた職場で好きで無いのに呑み会は楽しみ、

バーベキューも毎年行き、他は🏀バスケに総合格闘技にと楽しんでいるらしい。

独身時代をちゃんと謳歌できているから私も嬉しい。

それで良いのだ。いや、それが良いのだと思う。

誰にも大きく迷惑を掛けたりしてはいない。

 

 

ドッカンドッカン鳴る雷に、猫と娘はものすごく騒いでいた。

あんたたちの方がうるさいよ…

そのドッカンドッカンの雷は、九州で生活している時、毎年経験したものだった。

やはり停電になり、ランタンを焚いて父と向き合ってニコニコと喋ったことがある。

忘れていた。でもその情景はそのまま私の瞼に焼き付いていて

今思い出してほんわかする。

 

いつか、なんでもないワンシーンを娘も思い出すのかな…

 

そう思うとちょっと幸せな氣持ちになる。

クソジジイと避けてきた父。私にはそればかりだと思っていた。

違ったんだな。

 

 

時空を超えた幸せが

家人らそれぞれにあると良いな。

なんかの時の力になると思うから。

後ろ向きな自分は好きじゃないけれど、

ノスタルジックな感じには惹かれる。

今のこの瞬間もそうなるのかな。

 

そう考えたら、

ちょっとした努力にも

手をつけてみるかって氣持ちに成れるね。