<モンゴル訪問記Ⅱより>

 

ある国の歴史を総合的に知るには、その国の国立博物館に行くことだ。政府宮殿の西北、徒歩5分の所に位置するモンゴル国立民族歴史博物館。やや年季が入った施設で、外観的には地味だが、古代から現代まで、歴史の流れと詳細がよくわかる。

 モンゴル国立民族歴史博物館

 

館内展示物の説明はモンゴル語と英語だけだが、入り口の電光掲示板には施設名が、モンゴル語⇒英語⇒ロシア語⇒日本語⇒フランス語⇒韓国語…(このあと別の言語が続くのかどうかまでは未確認)で次々と表示されていた。

 

モンゴルの歴史を概観したパンフレットも英語、日本語、韓国語など多言語で販売されていたので、私は韓国語を、友人は日本語を買った。

 

モンゴル国立民族歴史博物館の一つ北のブロックにはチンギス・ハーン国立博物館がある。こちらはとても大きく新しくデザインも斬新だ。おしゃれなカフェもある。

 チンギス・ハーン国立博物館

 

引き付けられるように入って行ってみると、そこはその名の通りチンギス・ハーン率いるモンゴル帝国の偉大さを、これでもかというぐらいに知らしめる博物館だった。実物展示だけでなく映像やジオラマも多く使われ、美しく迫力ある展示室だ。ところが、解説文はなんとキリル文字とモンゴル文字のみ。キリル文字はロシア語と同じ文字体系で横書き、モンゴル文字は13世紀にできた文字で縦書き。両方ともモンゴル語の表記体系だ。意味が分からないので確証はないが、同じ内容を両文字で解説してあるようだ。

 上がモンゴル文字、下がキリル文字

 

英語のガイドツアーがあるらしいので、外国人もウェルカムなのだろうが、主な設置目的は、韓国の独立紀念館のような、国内向けの教育施設なのではないだろうか。

 

不思議なのは、民族歴史博物館のほうは、基本的に展示品を写真撮り放題、チンギス・ハーン博物館のほうは基本撮影不可で、撮影を希望する場合は入場料の倍ほどの料金が別に必要となることだ。そのため、普通料金で入場すると、モンゴル語をスマホで翻訳したくてもカメラを向けられないので、終始意味不明だった。後でわかったのは、各展示スペースにあるQRコードをスマホで読めば、英語の解説が表示されるとのこと。しかし、撮影不可のマークがあると、QRコードを利用しにくいのが現実。これは日本の展示施設でも時々あることだ。

 

ウランバートル市内の著名な観光施設として寺院や宮殿がある。市の西北に位置する①ガンダン・テクツェンリン寺、スフバートル広場の南200mほどのところにある②チョイジンラマ寺院博物館、そこからさらに3kmほど南のところにある③ボグド・ハーン宮殿。①は写真撮影OK、②③は写真撮影不可(撮影には追加費用が必要)

 

①は18世紀に建てられたが、20世紀中盤の社会主義時代に迫害を受け、民主化以降再興されて、現在も篤い信仰を受けるチベット仏教の中心的な寺だ。本尊は高さ25mの観音立像で、本堂の内外には多くのマニ車や五体投地の行うための板が置いてある。

 ガンダン・テクツェンリン寺観音像 

 

  マニ車

 

 五体投地の板

 

②は20世紀初め、後の皇帝の弟のために建てられた寺院だったが、やはり社会主義体制下で迫害を受け、民主化以降はツァム祭という伝統風習を受け継ぐだけの場所となった。普段は信者が訪れる宗教施設ではなく、チベット仏教の仏像や仏画、祭事の仏具などが展示される博物館となっている。

 チョイジンラマ寺院博物館

 

③はモンゴル国の皇帝ボグド・ハーンの「冬の宮殿」で、現在は②と同様、仏像、仏画などの仏教関係の遺物のほか、皇帝の居室や生活用品などが保存、展示される博物館である。ボグド・ハーンとは、チベット仏教でラマの化身と認められたジェブツンダンバ・ホトグト8世という人が、1911年に清朝から独立したモンゴル国の皇位に就いてからの名前。「冬の宮殿」と「夏の宮殿」があるが、「冬の宮殿」が現在のボグド・ハーン宮殿、「夏の宮殿」は現在の政府宮殿のある場所にあったという。

 ボグド・ハーン宮殿

 

 ここまでは写真OK

 

寺、寺院博物館、宮殿と、名称がいろいろで、その違いが分かりにくいが、いずれもチベット仏教をベースとしている点で共通しており、①は現役のお寺、②③はかつて仏教の最高位者である王族が起居する場所だったが、今は博物館だということだ。

 

<モンゴル訪問記Ⅳへ続く>