写真展「はじめての、牛腸茂雄。」が渋谷PARCO8Fの「ほぼ日曜日」で開催中。

奇しくも昨日、NHKで牛腸茂雄のドキュメンタリーが放送され、牛腸の持っていたハンディキャップ、それを取り巻く時代が多くの人に触れられるようになったことは嬉しい。

 

 

 

展示会場では、作品保護のためのアクリル板を介さずに、プリントの美しさを鑑賞することができるため、とにかく楽しい。私のはじめての、牛腸茂雄は、佐藤真によるドキュメンタリーを見たことが始まり。その写真の世界よりも、牛腸という人間のすがたから、入ったタイプだった。(このドキュメンタリーは傑作なので、ぜひ見ていただきたい)

 

牛腸が作品を発表した当時は、全共闘などで若者が燃えに燃えていた時代。そういった激しい社会に、相対するような写真の世界観が当時の批評家からはバッシングを受けたというが、現在のような、社会がますます体制側の思い通りになっていくような時代のなかで、そういった激しさに相対する「牛腸茂雄」の使われ方には、少しのいびつさを感じないこともない。牛腸の身体へのダイバーシティなまなざし、作品の芸術性など、いまの時代に求められる美しさが詰まっている展覧会だとも思うが、このギャラリーの母体のトップは、体制側と結びつきのある人間であることも事実だ。

 

牛腸茂雄の世界のすばらしさが、どのような文脈で使われているのか、すこし気がかりでもあった。

 

※展覧会内容は素晴らしいのでぜひ行ってください。11月13日まで。全作品集の販売も嬉しい。

 

11.07

ファインダーのむかふ側には俄雨(にわかあめ) 渋谷駅はまだバブルの夢をみてゐる

ゆきゆきブログ、なかなか更新できなかったので、今頃の告知となってしまいましたが、私の第二歌集『土地に呼ばれる』が、本阿弥書店から出版されました!

帯文は短歌を始めるきっかけとなった、俵万智さんです。

本当にありがたいです。

ご注文は本阿弥書店やAmazonでよろしくお願いします。


苦しみの中学時代に出会いし本の著者に帯文いただく未来/三原由起子




10年ほど前に、地元の大型ショッピングモールに、NHKテキスト「動物を日本画で描く」の教本が並んでいた。

 

講師は、竹内浩一氏。表紙を一眼見て、動物画の奥深さに惹かれた。日本画で美大に行った友人もあったことから、うっすらと興味が湧き、本を持ってレジに向かった。

 

ただ、買ったはいいが、道具を揃えるでもなく、なんなら読み込むわけでもなく、雑誌を買ったということだけで満足していた。私の中で、「芸事は遅くてもいいから、プロに習え」というのがあり、いつかやりたいなぁという状態が、10年ほど続いていた。

 

その教本が、実家の整理をした時に、ふと現れ、これはなにかの報せと思い、日本画を学ぼうと、美術教室を調べた。

 

すると、勤め先の近くに、ちょうどよく教室があるのが分かり、講師の描いている作品も好感が持てたため、毎週通えるなら、やれるかもしれないとようやく重い腰を上げた。

 

とはいっても、週一回のペースで、仕事終わりに

絵を3時間集中して書き続けるのは、強制的に習い事として始めるか、いっそ仕事でないと捻出するのは恐ろしく難しい。美大生が普通の仕事に就いた途端、創作を辞めてしまうのも当たり前のような気がする。


通い始めてから、半年が経ち、 ついに最初の作品が完成した。もし、ブログのネタに困ったら、進捗報告などして、とにかくサイクルを回そうと思う。(三原さんブログ停滞させてすいませんでした)

 

ちなみに完成した私の最初の日本画。モデルは、近所にある動物公園の子ヤギ、名前はおはぎちゃんだった気がする。

 

 

日本画は、骨描きや下塗りなど全体のプロセスなど理解すべきことが多いが、まぁ美大生では無いので描きたいものを描いて、自分の描きたい作品に必要な技術を重ねていくというのは、思ったより性に合っていたようだ。(それでも植物は難しい)


11.01 柚木

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■眼のなかにくらき木片の浮かびたつ山羊の淋しき首輪を塗れば

 

 

 

 

 

 

 

とうとうコロナにかかりまして、
2週間ほど自宅療養していました。

主な症状は発熱でしたが、完治に向かうまでに

困ったことや、その時のことを記録しました。


[1日目]

7時起床。明らかに発熱をしているのが
身体から感じられる。体感としては、
お風呂からあがった時の熱っぽさが
じっとり続いているような具合。

勤め先に、休みの連絡を入れ、
近所の病院に電話をかけるも、
PCR検査の準備がないとのこと。

体調は刻一刻と悪化しており、

自分で調べられる状況ではなかったため、
近隣で受け入れ可能な病院を

電話で紹介してもらう。


水曜日だったのも災いして、
隣町の病院まで行くこととなった。

夏の日差しのもと、徒歩の移動は無理と判断し、
タクシーで病院まで直行した。

運転手さんに申し訳なさを感じつつも
具合が悪いのを悟られないように
平静を装って、乗車するのも

なかなかにしんどい。

受付を済ませ、サーモメーターで
検温すると、既に38度5分。

数日前から、都内で陽性者が
5千人を超え始めたころだったが、
その当日は、発熱した患者が多すぎて、
病院に入れないという事態に・・・。

外は炎天下で、風こそ吹いていたものの
暑くて耐えられず、近くの日陰に避難。
立っていられず、座り込んで順番を待つことになった。

ところが、2時間経っても、

一向に呼び出される気配もなく
どんどん具合が悪くなっていく。

白昼夢を数回見た気がする。

意識がもうろうとしていたところ、

病院の看護師長らしき方が
私のところに歩いてきて、

やっと順番が来たかと思ったが、
「そこは私有地なんで移動してください!警察を呼ばれます!」
と、一喝して、再び病院に入って行ってしまった。

カッコーの巣の上での、ラチェット看護師長を
思わず、想起させてしまう迫力に満ちていた。

パンデミックになって「棄民」に舵切りされると
一個人がどんなにのたうちまわろうが、
従来通りのケアなど期待できないことが良くわかる。

熱中症で人が死んだら、どうなるとか
そういった状況では、もはや無い。
そんな良心は、存在しないのだ。

逃げ場の無い、夏の舗装路の上に立たされ、
もはや万事休すかと思われたところで、
順番が呼ばれた。実に、受付から3時間経ったところだった。

疑う余地なしの、コロナ症状に
苦しみながら、初めてのPCR検査を受けた。

鼻の奥に、ずるずると長い棒が入っていき、
前人未到の領域まで、ずぼっと突かれたが、

それまでの3時間待機によって、ほぼ
感覚が失われていたため、もう何でもいいから
早く終わらせて欲しいという一心だった。

PCR検査は、明日結果が出次第、
ショートメッセージで送ります、

と告げられた直後
検査の棒を渡されて「陽性」ですね。

と医師に宣言された。

PCR検査は明日の連絡では?

いったい、陽性とは??
と、頭がパンクしそうになったが、

もはや発熱と疲労で頭が回らず、
はい、そうですか。と病室を後にした。

医師が説明不足なのは、

どうも私だけではなかったらしく
他の患者さんも、直ちに下された陽性判定が
いったい何なのか、問い詰めているのを聞いたところ、いま渡されたのはどうも、

「抗原検査」の結果らしい。

こういった全く血の通わない流れ作業で、

診察されるのがコロナ感染症のため

とにかく、対応が最悪でも激昂してはならない。

できるだけ、近所のコロナ検診が
できそうな病院を調べておくと

いざというとき困らない。

私は3時間、炎天下で待てば診療を

受けれたが、今後は診療すらかかれないほど

情勢が悪化するかもしれない。


さて、陽性の可能性がほぼ間違いなくなり、
いよいよ闘病開始となった。

コロナには特効薬もないため、
漢方薬や咳止め、解熱剤など
ほぼ補助的な薬類を処方されたが、


完全なフィジカルバトルに突入となった。
日頃の体力が試される。

もうこの時点でタクシーを呼べるほど
頭が働いていなかったため、無理矢理、

徒歩で帰宅。

帰り道に、水2リットルを2本、

ポカリスエットを2本買って帰る。
ここで、氷枕が2本家にない人は、氷枕を買い足した方が良い。


また、後述するが、熱を持つのは
頭部だけではないため、氷類も準備しておく必要がある。

帰宅時には、熱が39度台に突入。
とにかく、一秒でも早くベッドに倒れ込まないとならない状態になった。

熱が出始めたけれど、まだ体力のあるうちに
あらかたの用事は済ませておきたい。
とくに必要となる物は出来るだけ

ベッドの近くに集めておくとよい。


[2日目]

深夜の内に、39度の熱がいよいよピークタイムに突入。
主な症状は、本当に熱。それから下痢。
滝のような汗が出る。クーラーをつけないと熱中症になるが、
布団をかぶらないと、寝汗で風邪をひく。

枕元にタオルを数枚置いておき、
すぐに取り換えられるシーツも数枚準備しておけばよかったと後悔。

これを読んで、「起き上がって取りに行けばいいのでは?」と、
思うかもしれないが、そんな体力も気力も
驚くほど、根本から無くなってしまうのである。

布団には汗が染み、なんだかジメジメしている。
ただただ、不快感に耐えつつも、体内の免疫細胞が
未曾有の事態を処理してくれるのを待つしかない。

ここら辺で、一応、実家に連絡を入れた。
病状を深く聞かれたり、無駄に騒がれたりして
ますます体力を持っていかれたりするが、

いきなり容態が悪化した時に備えて
ひとまず状況を伝えておく。

2日目の記憶は本当にそれのみで、ただ
体力を、体内の免疫活動に充てるため
ただひたすらに寝る。

とても食事などできない。
ポカリスエットを適宜飲むようにした。

頭は氷枕で冷やしていたのだが、
全身が熱を帯び始め、特に股間辺りが
尋常ではないレベルまで、体温が上昇している。

このとき、私の精巣は終わった、、、と思った。
一応、保冷剤サイズの小さい氷をタオルにくるんで足に挟んでみたが、全く役に立たない。

凍傷になるかも、とひやひやしていたら
いつのまにか気絶していた。

熱中症のときに、全身の熱を下げるときには、脇や股など大きな血管が走っている部位をを冷やす必要があるが、
とくに男性陣は、股間を守った方が良い。

携帯には夕方ごろにPCR検査の結果が、
「陽性」であったという連絡が来る。


ここで、今後の対応は、保健所からの指示を待ってくださいと
メッセージが来るが、結論から言うと、
今の情勢では、保健所からの連絡は一切無い。

連絡が来るのは、「妊娠中の女性」のみ。
ここを、気の利いた病院なら教えてくれるのかもしれないが、
本当にマニュアル通りの、回答が
形式通り来るだけなので、文字通りのことを全く信用してはいけない。

この段階で、治療方針としては、
「自宅療養」か「ホテル療養」か、ということが選択できる。

どちらにもメリットとデメリットがあるのだが、

私は、症状が回復したら、洗濯や家事を進めたかったので

「自宅療養」を行うことにした。

[3日目]

いまだに熱が下がらず、39度台が続く。
この辺から、咳やのどの痛みが現れ始める。

私が感染したときには、世の中で流行っているコロナの症状が、
味覚や嗅覚を無くすといったタイプではなくなっていた。
看護師の妹曰く、いまはエアコンで喉が痛くなったと思ったら、
コロナだった。という、パターンが多いらしい。

最近は、高熱が出るタイプはむしろ珍しいんだとか。
(あくまで、雇われ看護師の私見だからなんの根拠にもならないが)

個人的な体感としては、インフルエンザのような
症状であったため、もしかしたらコロナに加え、
インフルエンザも併発していたのかもしれない。

とにかく、元気なうちに
氷枕とシーツの買い足しはおすすめしておく。
タオル類も、数あれば本当に助かる。

ちなみに、発症からこの日まで、全くなにも食べていない状態。
本当におかゆやゼリーなどの半液状のものしか食べられない。
喉の痛みも若干あるが、固形物は「情報が多すぎる」のである。

熱で苦しんでいるときに、この数式を因数分解しろだの、積分がどうだの、命令されたら死んでしまうと思うが、身体の拒否感がそういった、情報を拒絶したがってるのがよく分かる。

物を食べるということは、頭脳にかなりのエネルギー負荷が
あったのだと、実感させられる。


食欲が無いというわけではないが、
食い物として「情報量が多すぎる」から、脳が拒否する
といった体験はいまだなかったため、とても驚いた。

携帯を見ると、安倍元首相が
手製の銃で撃たれて、意識不明というニュースが流れてくる。参院選を週末に控えた時期のため、民主主義政治への反逆とも、騒がれ、「今回の選挙は雪辱戦だ」など物騒な言葉が飛び交うようになり、精神衛生のため、一眠りした。

目を覚ましたときには、意識不明から一転、死去のニュースが報じられた。
ふとベッドの上で、天井を見上げたときに、安倍の見た最後の景色を思った。

厚顔無恥で、往生際が悪く、責任のかけらもない
最悪の執政者だったが、それでも同情してしまうほど哀れな死に方だった。
「生霊」というものがあることを思わずにはいられない。巻き込んだ因果の量に応じて、人生はどこかで落とし前が着くようにできているのかもしれない。

[4日目]

ここらへんになると熱も下がり、スープ類であれば
食べられるようになるが、病気になるのもいきなりなので、
食料の備蓄もなかったことに気付く。

東京都では、「うちさぽ」という、自宅療養のためのサポートが
受けられるサイトがあるので、コロナにかかったら出来るだけ
早めの体力があるうちに食料手配をしておくに越したことはない。

https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/corona_portal/shien/uchisapo_tokyo.html

食料は2箱+水1箱となっており、
スープ類やゼリー、レトルト製品や簡易ごはんなど、手厚い。
というより、単価として4〜5000円分の食料なので
これが、税金から出ていることを考えると、
「貰えない」ということが大損と考えた方がよいかもしれない。

私は、3日目に手配を依頼したため、到着はおそらく週明けとなる
お腹がすいてきたころにスムーズに届くためには、PCRの陽性発覚の
直後に申し込んでおくくらいが、ちょうど良いかもしれない。

こういった、税金が手厚いサポートとして正しく使われている例を目の当たりにすると、アベノマスクに消えた税金とは何だったのか不思議で仕方がない。

 

[5日目]

 

ようやく、おかゆなどが口に入れられるようになったが、胃や腸などは、ながらく休眠状態であったため、おにぎり一つ消化するのにも、労力がかかった。ここまで長く物を食べなかったのも、生まれて初めてかもしれない。


具合が悪くなってからは、まともにゴミ袋を捨ててない状態だったため、ゴミをまとめ始めると、途端に立ちくらみがするようになる。


熱は下がっているのだが、とにかく立っていられない。これが、数日間ほぼ寝たきりだったためか、後遺症の倦怠感なのか、全く分からない。


ただ、体力がかなり落ちていることは明白だったため、ベッドに横になりながら、なるべく頭を使わなくていいよう、海外ミュージシャンのMVを見続けた。


6日目以降は次回!


07.21 柚木

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◼️病院に入れず夏の土瀝青(アスファルト)に灼かれつつ待つコロナ棄民は


◼️DIY(ディーアイワイ)銃にて撃たれし執政者と同じすがたで夜ごと眠りをり


◼️すがたなき人こそ其処にゐるらしく幽霊未満の海べうべうと凪ぐ