ヨシダユウキの徒然なるままに

ヨシダユウキの徒然なるままに

日常や音楽のこと、思ったことを綴ります

今日は雨の中、世田谷美術館に行ってきた。

近くには砧公園や馬事公苑といった緑が生い茂ったエリアがあり、奥に進むとこんな感じで綺麗な建物が。




お目当ての展示はチバユウスケを撮り続けてきた新保勇樹氏の写真で、これまで何度もその写真を見ては、チバユウスケという人間の持つ魅力や気高さに惹かれてきた。現地では、これまで目にしたことのない写真もいくつか展示されていて、その場でしか味わえない空気を感じることができた。




雨で足元の悪い中でも、同じようにこの展示を目当てに来られている方がちらほらと。

ギャラリーの入り口には新保勇樹さんご本人もいらっしゃいました。



晴れている日に、何年ぶりかに砧公園を散歩がてら来たかったけど、今日は展示だけを目当てにぷらっと行ってみました。


普段は写真をじっくり見たり、こうした展示に足を運ぶことはあまりないんだけど、動画やライブとはまた違って、想像力をかき立てられるというか、余白があって、見る側に委ねられている感覚があった。


帰りも余韻に浸りたくなって雨にもかかわらず、そのまま歩いて帰った。こういう時こそついイヤホンを突っ込んで音楽を聴きながらってことが多いんだけど、なんとなく無の時間がほしくなって。

今日は雨だからか照りつける暑さはなかったけど、ずっと歩いていたからか無性に氷が食べたくなって、帰り道で小学生以来かアイスボックスを買ってしまった。アイスボックスを最後に食べたのは、両親と、その時飼っていたラブラドールレトリバーと一緒に駒沢公園へ行った時だった。あの日も暑かった記憶はあるけど、今の方がずっと暑いのかもしれない。


そんなチバユウスケとは全く関係のないことを思い返しながら、「これからもっと暑くなれば、アイスボックスを食べる度に毎年このことを思い出すのかもしれないな」と考えつつ、たくさん歩いた足を揉み、家に帰ってさらにガツンとみかんを食べる。そんな、なんでもない一日でした。


僕は忘れっぽい。


仕事においても細かいタスクをいつも予定表に書いて管理していたり、忘れっぽいと言っても短期記憶のそれでなく、一年前どこに行ったとか中学で友達と何をしたとか割と年単位のそれ。


それは自分の容量がいっぱいで、もう上限に達したら無条件に順不同で消えてっていると思っていた。外付けハードディスクが売っているなら何個でも買い足したい。なくなる前に買い溜めときたい。


でもどうしてだろう。小学校の時の友達の家の電話番号とか、今まで4, 5回は引っ越してるけど住んでたところの郵便番号とか住所、部屋番号まで全て覚えてる。


決して自分の興味がないことだけを忘れるというわけでもないのだ。そんな小学校の友達の家の電話番号なんてこの年になって覚えてて何もいいことなどないのだから、一刻も早くデリートしたい。神様、お願い。


今日は何年振りかに筆をとった。正確にはブログだから筆ではないのだが、元々日記をつけたり文字を書いたり、何か歌詞になりそうなこととか書き溜めるのは好きだったからまた日々節操もなく色々と綴ってみようと思う。僕の名前を漢字で知っている人がどれだけいるかはわからないが、名前にも記という文字が入っている。これは別に親が日記をつける人になるように願ってつけたわけではなく、画数とか云々かんぬん色々あるみたいだけどここでは割愛。


それより曲書けよって話もどこからかチラホラ聞こえてきたけど、それももちろん頭にあるんですよ。やっぱり人間ってもの思う葦でしょう。頭のモヤモヤを吐き出すにはまずは言葉に発してみて、記憶の断片を繋いでいく作業が何するにも必要かなって思った次第です。思ったが吉日。元々無意識的には習慣でやっていたのもあるんだけど、友人に触発されまして。


最近はここには書けないことだけど色々あって、とにかく正念場に立たされてるとは自覚してます。ほんとに

でも人間すぐにはそう変わらないから、得意なこととか好きなことで少しずつ、自分の居場所とか気付きとかが生まれたらいいなと。


テーマはどうしても私の単純な思考回路から生み出される頭の中のこととか、ほっといたらギターとか音楽のことが多くなる気はするけど、猫、食レポ、あとは実は美容とか筋トレ系も最近は関心が高いのでその辺りになるかと。


ではまた。

眠れない夜は無機質に光る画面にこうして味気ない文字を打つ。





誰が読むのだろう。ベッドに横になって夢の入り口にいるやつの文章を。






小学校の時、好きな子に初めて書いたラブレターもこんな時間じゃなきゃ書けなかった。

朝起きたら、こんなの正気の沙汰じゃないと破り捨てた。親にもバレるのが恥ずかしいから証拠隠滅は徹底的に。






歌詞とかもこういう時じゃなきゃ書けないかもしれない。ランナーズハイとかともまた違うかもだけど、適度に力が抜けて無になった時に足が勝手に動くあの感じ。





そんな夜と醒めた朝のせめぎ合いで今日までやってきた。興奮と冷静さは紙一重で、興奮がないとつまらないし、醒めた感じも物足りない。






きっと明日にはここに何を書いたかなんて覚えていない。それくらいがちょうどいい。

そんなことの繰り返し。

こんなことを思い出したのも、昨夜ライジングサンロックフェスのYouTube配信があったからだ。



もちろんフェス自体は昨今のコロナ禍の状況で行われたわけではない。生でMCのトークがありつつ、昔のライブをオムニバス方式で振り返るといったものであった。



今日のおそらく4,5時あたりまで放送はあったみたいだが、確かBRAHMAN辺りで寝てしまった。。




なので見たかった永ちゃん、キヨシロー、ミッシェル、ナンバガとかまでは持たず。。徹夜はどうも出来ないタチなのである。




ライジングサンは先ほど書いたバンド仲間と行く予定だった。その人がまたさらに友達を連れてきて3人で見る予定だった。
しかしなぜか当日携帯が調子が悪かったか壊れてしまい、途中で連絡が取れなくなって結局一人で見ることになった。




だが、正直ホッとしていた自分がいた。携帯が壊れたソワソワよりもそちらが優っていた。
初めてのフェスなのに、まだそこまで親しくない人と、ペースを合わせて観るということが楽しめるか不安であった。
結果一人で観れて良かった。内心後ろめたさもあるものの、誰かと何かを共有する楽しみ、というのは本来はフェスはそちらに重きを置いている人が多いと思うが、自分はおそらくそちらのタイプでは楽しめないと思った。




学生時代の留学の経験から、なんだかんだで一人で動いた方が、自分の責任ではあるけど誰かのせいにしないし、気楽だし、純度を高く物事に触れられると思った。




歳を重ねるごとに、そうした気持ちも少しずつ変わってきて、誰かと何かを分かち合う歓びみたいなものも感じられるようにはなってきたが、人間の性質というのは根本的にはそこまで変わらないと思う。





バンドをやっているので、もちろんフェスへの憧れというものはあるけど、ファンと何かを分かち合いたいというものよりも、誰かの胸に刺さるようなものを作りたい、やりたいという気持ちの方が強いから、別にフェスに限らず単純に今よりも大勢の目の前でやれればどこでもいい。





すぐ何のためにやっているか、とかを考えてしまうのは癖だが、話をまとめるとフェスは涼しい部屋でパソコンで観るのも悪くないね、ってこと。




でもやっぱりフェス出たいな。
フェスということで思い出されるのは、やはり大学生活である。



何しろその期間にしか行っていないからだ。いや、正確には卒業してからも行ったものもある。



大学生がモラトリアムを拗らせて、音楽好きが昂じるとたどり着く境地、それがフェスだ。(勝手な偏見しかない)



しかしながらフェスというものの持つアウトドア要素を理解していないと痛い目にあう。リア充への憧れ、だけでは楽しめるものではない。少なくとも自分にはそうだった。



まだ、東京にほど近い、サマーソニック、ロックインジャパンくらいならディズニーランドに行く時のそれと似たような、日帰りでの手軽さで一人でも友達とでも、会社の同僚とでも楽しめるだろう。



しかし、ライジングサンとフジロックはまた別のカテゴリーで考えるべきだ。



まずはじめに距離感。これは言うまでもないが、ライジングサンは北海道の石狩、フジロックは新潟の苗場。石狩だなんて鍋以外で聞いたことのない異国の地だ。
きっと寒すぎて夏も鍋なんかを食べるような野蛮な場所なのだろう、そんなくらいにまで思っていたのは言い過ぎだが、それくらい北海道というのは旅行で札幌に行ったくらいで、当時はまだ飛行機でしか行けなかったし、同じ国内でも別の国くらいな認識であった。



これがひょんなきっかけで北海道に住むことになった私は、なんとそのハードルを軽く越えて、なんとライジングサン、はたまたJOIN ALIVEという少し小型のフェスもおまけで同じ年に2つ参加することとなった。最初はまずJOIN ALIVEというフェスから手慣らしで参加するわけだが、まぁ昼は炎天下で暑い。これは今考えれば当たり前なのだが、北海道だろうが真夏の炎天下ではせっかく塗った日焼け止めも数時間のフェスでは情け無用である。



そして何より天候の悪さ。昼間は晴れていたと思っていても、すぐに雨が降る。これはフェスあるあるなのだが、雨が降る→地面がぬかるむ→靴がドロドロなのである。今も変わらずだが、当時は365日コンバースかドクターマーチンしか履いていない自分は、フェスは軽装がいい、という思い込みでコンバースのオールスター(ローカット)で挑んだ。



惨敗である。



見るも無惨に、白黒のコンバースが終わりの頃にはもう泥も乾き切って元が何色かわからないくらいになっていた。



その時は確か斉藤和義と中村達也のユニット、MANNISH BOYSとクロマニヨンズ、あとはThe Birthdayとあとなんかちょこちょこ観たんだけど、結局このフェスは一人行ったんだっけな。いや、向こうで出来たバンド仲間(ドラマー)と行ったんだったな。




当時バンドをまだ組めていなかった自分は北海道でもメンバー募集をしていて、その時なんとか気が合いそうなドラマーを見つけたものの、どちらも歌をやらない2人だったから、スタジオでもインストでやってて甘酸っぱい思い出だな。



ちなみに当時やっていたのはゆらゆら帝国のバンドをやっている友達。この曲、別に嫌いじゃないんだけど、なぜかそれ以降全く聞いてないな。



おっと、閑話休題。




とにかくその延長でライジングサンに参戦するわけだが、その続きは次に!








日々を消耗しているような感覚






少し前までは時間が有り余ってて、早くおじさんになりたいと思っていた





限られた時間






いつそれが終わるかわからない怖さ






色んなことにに目を背けてきたけど






なんだろう、この気持ち






誰のためでもなく、自分のためにギターを弾きたいよ


Twitterでも報告させていただきましたが、バンドを抜けました。


Twitterで言えないことが100だとしたら、ここで繋がっている方には50くらいは言えるかなと。


あくまでここからは僕個人の思うことで、もちろん僕が全て正しいというわけではないし、僕の立場で言えば僕が正しいし、彼の立場で言えば彼が正しいのかもしれない。そういうものだと思う。


もちろん文字として表すと、人によってそのニュアンスの違いで受け取り方がまた違ってくるからこれはかなりデリケートなことなんだけど、少しでも僕の思っていることが伝わればなと。


まず端的に言って、バンドを脱退することって、理由は大きく言ったら、女とか金以外は、人間性か、音楽性の相違だと思うんです。
全てひっくるめて結局人間性ということになると思うのですが。


僕に関して言えば、今回に限らず前にいた某バンドももれなくそうなってしまうし、世の中のバンドの大体においてはそれでメンバーチェンジとかを繰り返していると思うんです。


バンドって大体週に一回や二回練習で顔を合わせて、プラスライブも週一とかでやっていたりすると、下手したら家族や友達より顔を合わせます。


これ、当たり前のことのようで結構すごいことなんです。もちろん気の合う人とならそれも苦じゃない、とおっしゃる方も多いと思うんですけど、逆だったらどうでしょう。


もちろん人間として気が合う合わない以前に、音楽をやっているのだからそこで相性がいい、とか尊敬できる部分があれば、どんなに人として付き合いにくくても少しのガマンとかは出来ると思うんです。


いわゆる、サラリーマンがパワハラ上司に耐えながらも仕事で生活のためにそんなこと言ってられないと、必死に会社に行くのとはわけが違うんです。


音楽は音が苦になっては、お互いに気持ちよくないし、何よりセットで人が苦にもなってきます。


もちろん誇りをもって各々が音楽を作ること、やることを仕事だと思って臨むことは至極素晴らしいことだと思うのですが、僕はそういうスタンスでは全くなくて。


誤解を招きそうなので補足ですが、僕はまず各々が各々の音を楽しむこと、それがあって初めて調和とか、音楽性云々の話になると思っていて、それが希薄なまま、上辺だけで馴れ合いみたいな感じでやっていても、分かる人には分かるし、自ずと軋んでくるものだと思うんです。


僕はすごくわがままです。これは間違いない。


それゆえに、こうあってほしい、こういう音はカッコいい、こういうバンドになりたい、というものがすごくあります。もちろん自分自身にもありますが、それに追いつけなくて常にもがき苦しんでいます。


そういった自分の理想ばかりをぶつけることが正解でないとは思い、自分の中で咀嚼して、自然に各々が答えを導き出すことが一番バンドのためと思い、ヒントになるようなことは言いますが、直接的に思ったことをなんでも言う、というのは違うと考えています。もちろん理想を語り合う、ということはすごく素敵なことだと思うのですが、あまりにもベクトルが違う人たちが集まるとだれかが折れなくてはいけない。


僕はわがままだけど、結局人の顔色を伺って人に合わせてしまう節があります。その方が楽だし、その場でのいざこざはなくて済むから。でも結局それが積もりに積もるとそれが当たり前になって、引くに引けなくなってしまうんです。


そんな僕ですが、自己肯定感も限りなくゼロに近いので、どんなにフレーズとかを考えてもなかなかカッコいいと思えるものがポンポン出てくるわけでもなく、常に自分との戦いです。多かれ少なかれ少しでも音楽に携わる人なら誰しもがぶち当たる壁だとは思うのですが。


そんな状況の中で、人に依存するような姿勢(この場合金銭面でもバンドに関わる全てのことにおいて)や、曲作りに関しても素材を持ってきても、イメージの共有が出来るほど音楽的な共通言語がほとんどない中での信頼関係がない中で、納得のいくものがこの先出来る可能性が限りなく低いと思いました。


全ては人ありきだと思います。信頼あってのもの。それがなくなってしまったら、バンド云々の前に一緒にいることも苦痛にもなり得る。


今までの蓄積量が限界に達したからこのタイミング、というのではなく、むしろかなり初期の段階で違和感は感じていました。


でもバンドというものは不思議で、CDを作ったりPVを作って、応援してくれる人が出てくると、四人のものだったものが、その人たちのためっていう気持ちになったりするんですね。


そういうのは数の大小に関わらず、すごく原動力にもなるし、じゃあもうちょっと頑張ってみようとか、自分のやり方が悪いんだ、とか前向きになれることもあるんです。


でも、ふとした時に思うんです。


「これでいいのか。」と。


色々と書きましたが、結局一言で言うとまず音楽性云々の前に人間として付き合うのに疲れてしまいました。もちろん彼も彼なりに向き合う努力はしてくれたこともあったのでしょうが、全く相入れずに終わってしまったな、というのが本心です。


第一印象、フィーリングとは言いますが、そういうものはほとんどにおいて間違いないと思います。それが仮にバッチリだとしても、どんどん幻滅することもあれば、逆もあると思うのです一概には言えませんが、怖いもので大体において自分の直感ていうのは当たっていたりします。


いわゆる喧嘩別れというのではなく、最後に決まっている数本のライブは出る意向ではいたのですが、脱退の意向を伝えたところむしろ辞めるなら出ないでくれとのことだったのでこのような形になってしまったこと、大変申し訳なく思います。


長くなってしまった上、とりとめもなく、少し悪口のような形にもなってしまったところもありお見苦しいかもしれませんが、ざっと僕の気持ちを書き連ねました。


まだまだ言い足りないことはたくさんありますが、直接的な表現は避けていくらかオブラートに包んだつもりです。

意外がられるけど、僕は野球をやっていた。




小学校の時から何となくテレビで見ていて、何となく友達と校庭でプラスチックバットとゴムボール、もしくはテニスボールを持ち寄って、ベースは砂を掃って作ってやり始めて。




それが段々と軟球になり、金属バットになり、小学校の先生にばれては怒られて、学校で野球をすることが禁止になり、またプラスチックバット、テニスボールのセットに戻ったり。




そんなこんなしてるうちに受験を終え、中学に入った。小学校の当時は結構これでも運動が出来る方だったから、自信があったのだけど、野球部に入ってみると自分より野球経験がある人が何人もいて、背丈も後ろから数える方が早かった。




さすがにレギュラーにはなれると思って臨んだ最初の試合は背番号10




結局10より小さい数字を見ることはなかった。




そうして不遇のまま中学の軟式野球を終えても、惰性で高校も野球をやることになった。




他にやりたいことがなかったのだ。




僕は中学時代ずっと外野をやっていたのだが、高校に入ってグローブを新調する際、なぜかサード用を買っていた。これは当時誰かのアドバイスで外野用としても使える長さがあるからだったのだが、今思うと中途半端な気がする。




背もぐんぐん伸びて、180cmは超え、筋肉も以前よりついてきて、中学の時にあった差もなんとなくなくなって、むしろ割とやれてるんじゃないのか?くらい思っていたのだが、ある日コーチから




「お前、明日からピッチャーやれ。ブルペン入ってみろ」





と言われて、焦るものの、夜寝る前にそのことを思い出すと楽しみで寝れなかった。





そのくらい男たるものピッチャーに憧れを抱くのだな、と言われて初めて気がついた。





何だかんだ外野は好きだけど、やっぱり男は目立ちたい!そういう気持ちが自分にもあったことに驚いた。





その数日後に神田のミズノに行って、ピッチャー用グローブを特注し、何だかんだ満更でもなかった。





しかし、いよいよ練習しようとしたらコーチに





「お前アンダースローでやってみろ」





と言われた。





?????





言われてしばらくこの状態になった。






結局それがイヤというのと、坊主にならなくてはいけないというのと、ほんとに野球をやるだけで高校生活を終えていいのかという葛藤が渦巻いてきて、野球は高校2年で辞めてしまうのだが、それっきり野球はあまりしてこなかった。





プロ野球を見るのもしばらくイヤになるくらい、野球に関わるものを封印していた。





大学になるともうそんなこともどうでもよくなって、とにかく体を動かしたいがために友達と河川敷で草野球したり、野球サークルに顔を出したりしていた。今に至るまでそんな程度の付き合いになってしまった。




しかし先日旧友と久しぶりに荒川で野球をしてみたら楽しいこと。やっぱり日本の夏は野球だなと思いださせてくれた。












社会人になって、働き始めると結局スポーツというとせいぜいジムに通うとか自分の家で筋トレ、ジョギングくらいになってしまう人が多いと思う。かくいう自分もそう。野球などのチームスポーツはなかなか人を集めるのが大変。




2人でキャッチボールは出来るけど、それだけじゃ何か物足りない。




たまにでいいから9人対9人の形式で何年振りかにやってみたいなと思うこの頃。


昨日3月18日、25歳にして初めて彼女が出来ました!















はい、嘘です。この行間にすごく罪悪感があったので、すんなり白状します。






人生で初めて、ギターを作ってもらいました。今まで中途半端なギターを買っては売りを繰り返してきた僕ですが、もう浮気も良くなかろう、ということで、腹を据えて今年1月、緊張しながらも1つの工房に足を運びました。







実は以前にも1度お邪魔したことはあったのですが、その時持っていったギター(20万ちょいのフェンダーテレキャス)がろくな状態ではなくて、





「これはもうダメですね」





の一言にショックと同時に、そういうものを見抜けないくせに高額な買い物をしてしまった自分への不甲斐なさを感じ、しばらくギターを買ったりするのを封印していました。





しかしながら、やはり僕も一人の男の子なので、とにかくモノが好き。なかでもギターはろくに弾けないのに、その見た目も色々あれば、音も同じ形でも全然違ったりするというところに惹かれ、結局懲りずに、色々買ってしまいました。






結局手元にはエレキは二本しかなくて、でも僕はエレキでもテレキャスという種類のものに憧れがあって、何本も手にしてきたのですが、いまいちしっくりこなくて、テレキャスもういっかな?くらいに諦めていたんですね。なので、このギターが出来る前まではしばらくテレキャスから離れていたんですね。






でも他の種類を弾いていても、自分が最初に憧れたものへの、いわゆる初恋みたいなものを忘れられなくて、これはいつか信頼できる人にオーダーしよう、と思っていました。






そして去年末に、いわゆるギターのやらない人でも知っているようなフェンダー、ギブソンなどではなく、知る人ぞ知る小さな工房に行ったんですね。玉利屋さんというところで、玉利さんご夫婦二人でやられているお店です。






その時は当時持っていたテレキャスもどき(レゲエマスターという種類を改造したもの)を持っていって、ただメンテナンスくらいの軽い気持ちで行って






「これなんですけど。。」





と恐る恐る出したら、その見た目に、玉利さんはビックリされて






「あらあらあら。。」






今僕のプロフィール写真に載せている画像はその時のギターなのですが、色々お金はかけて改造したものの、結局自分の好きな音には近づけなくて、モヤモヤしていたんですね。






それで色々お話をさせていただいて、玉利さんの人柄と、ギター以外にも音楽を取り巻く全てのものへの飽くなき探求心と造詣の深さに、惹かれてしまい(もちろんギター作りへのこだわりにも)、僕のような半端なアマチュアプレイヤーにも温かく接していただいて、話の流れで自然と






「オーダーを来年あたりしたいんです」






そして、1月に製作に取り掛かっていただきました。今までFacebookの方で、その工程や、今どのくらい進んでいるのかを細かく教えていただいて、オーダーが初めての僕でも本当にわかりやすく丁寧に、徐々にわかることでワクワクが加速していくのが自分でも感じました。






そして先週、最後の確認で







「色はどうなさいますか?」








となって、僕はオーダーをお願いしたときは、一色しか見えていなかったのですが、色々と誘惑があって、ずっと頭の中でそのギターを持つ自分を妄想していたのですが、やはり直感を信じて、







「黒でお願いします!」






とお伝えしました。黒と言ってもこちらのギターは普通の黒とは少し違うので、ぜひライブとかで見てほしいのですが、本当にいい黒が出て、実際に色塗りのときにお邪魔かと思いながらも見学させていただいて、うわー、塗ってるーって思いながら、芸術だなーと感じました。無難な黒とはひと味違います。







もったいぶりましたが、写真はこれです。もうFacebookとかだとサムネイル的なので表示されていると思うけど、見た目はもっとカッコいいんですよ?彼女を紹介するような気持ちです。













いやー、出来たての時って、なんか触るのが人の物みたいで、恐る恐るなんですよね。本当に好きすぎて触れられないみたいな。まだ敬語なしでは失礼かなみたいな。昨日試奏させていただいた時もまだ自分のもののような気がしなくて。これから弾きまくっていきたいなぁ。次回ライブから使わせていただく予定です。







最後に玉利さん、僕の煮え切らない注文に応えていただいて、ありがとうございました。また他にも欲しい音が出てきたり、もっとこのギターを弾けるようになったら、また次もお願いしたいと思うので、これからも末長くよろしくお願い致します。色々とご相談させてください。とブログでのご挨拶で失礼しました。







昨日早速バンドで使って、今まで自分が悩んでいたところを感じさせずにストレスなく弾けるし、すごくこのギターでやることが明確になった気がします。そうとわかると本当に弾き手の裁量が試されるというか、気が引き締まる思いです。とにかく練習が楽しみだし、次のライブは彼共々よろしくお願いします!

突然ですが、みなさんはポールがお好きででしょうか。




僕はもちろんイエス。




この場合のポールは牧でもなければ、ダンスで使う棒でもなければ、スミスでもなく、マッカートニーの方。




僕くらいの年で、ポールが好きと言っても





「何をこの若造が!」




と怒られるかもしれない。実際に思い入れは、当時の旋風の真っただ中にいた人達よりないだろうし、その凄さを肌で感じた経験というのはないから致し方ない。




だけど僕には自慢できることがある。いや、本当なら自慢できることなのだが、残念ながらある事情で堂々と人に言うことが出来ない小ネタに成り下がってしまった。だから、せめてブログの中でだけでも。




時は僕がまだ物心がつく前の、2、3歳の時。




両親は特に音楽に精通しているというわけではないが、よくマイケル・ジャクソンなど海外の大物のアーティストに通い詰めていた、らしい。僕も当時はなんのこっちゃらわからないながらも、家に置いてくわけにもいかないので、連れられていたらしい。全く記憶がないのだが、これが僕のライブの原体験で、よく夢の中でライブのシーンばかりなのはこれが少なからず影響しているのかもしれない。




その流れで別にビートルズフリークではない両親が、ポールのソロの来日ライブにも僕を連れ出してくれた。




ライブ前、少し早めに着いたようで、会場近くを何となく歩いていた両親は、前方に明らかに一般人とは違うオーラを出している人を発見。





しかもボディガード、通訳つき。





さりげなく近づくと、それはこれからライブを観るポール本人。




すると、向こうから近づいてきて、





"Cute!"





と僕を指さして言った、らしい。その時の僕の格好と言えば、自分で選り好みするわけもなく、ただ可愛いからという理由で、イチゴの付いた帽子を被せられていたそう。



ちなみに当時の写真。









可愛くはないし、なんとふてぶてしいんだ。と思うけど、その時はうちの親が近づいたら、ボディーガードの人はすごく身構えたみたいだけど、ポールの一言で雰囲気が和んだみたい。




それで親が片言か、ボディランゲージでカメラを回していいか聞いてみたら、




「もちろん!」(sureかな?)



って言ってくれたそう。




しかしこの話、ベタなオチがちゃんとついていて、




なんと、父、緊張のあまり、動画を回していたつもりだったのだが、



ポールとお別れして、すぐ確認しようと見てみると、




何も残っていない。。





僕がその立場だったら、と考えるとそのときの絶望感といったら、なかなか日常の出来事では例えようがない。だってそれは非日常の出来事だから。



もちろん母にはしばらく責められた、と今でもたまにこぼしてますが、まぁ僕もその話を聞いた時は、むしろ知らない方が良かったくらい、なんて惜しい。。と思いました。




こんな話をしても、例えば飲みの席とかで、



「いやー、実はこんな僕でも唯一自慢できる話があってね。」




って切り出して、信憑性持たせたかったし、何しろ自分の記憶も後付けされたものだから、確固とした証拠が欲しかった。。




と悔やんでも悔やみきれないので、大きくなった僕はポールのライブ、また来月行ってきます!




去年の中止になったライブはたまたま行かなかったけど、一昨年は久々の再会(?)に心踊ったものです。






最後に僕が一番好きな曲。まぁカバーだし、ライブではなかなかやらないと思うけど、ポールの熱烈オファーで実現したギターのミックグリーン、デイビッドギルモモアとの豪華共演。
http://youtu.be/_u21AMRxQoQ



Run Devil Runというアルバムで聴けるのですが、ここでのポールの初期ビートルズの時のようなシャウトや、何より僕の好きなミックグリーン様がギターを弾いている。説明は不要なほどに、男気がムンムンです。デイビッドギルモアもピンク・フロイドの時のイメージとはちょっと違って、こういうのもやるんだ、と思いました。いやー、ポールはバラードとかもいいけど、根っこにはロックンロールがあるんだなと感じます。ポールは本当に何でも出来るんだなぁ。





替え玉説とかつい先週流れましたが、やはりデマというか、面白おかしく騒ぎ立てられたものみたいですね。ちょっとビックリはしましたが、100%あり得ない、とは言い切れないだけに興味はありました。




もし本当だったら、僕が会ったポールは既にニセモノの方かー、とか。




あー、ワクワクするなー。またライブレポートしますね