ヨシダユウキの徒然なるままに

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日常や音楽のこと、思ったことを綴ります

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さて、ようやく飛行機でのWi-Fiがつながったので続きを書くとしよう。


今回ハンガリーに行くことになったのは完全に私的な理由である。親しい人には個人的に話している程度に留めていたが、ここで簡単に報告させていただきたく。


実は2年前に縁あってハンガリーの女性と結婚しました。「そんなタイプに見えなかった」とか「どうやって出会うの?」に対する返答はまた今度として、コロナ真っ盛りの2020年に籍を入れたため、結婚式はおろか、海外旅行の規制もあったりで向こうの親とも直接会うことも叶わず、ようやく今年少し兆しが見えてきた感があり、今回の旅行へと繋がった。


自分的にもこの2年は結婚前と後で特に変わることなく、平常運転を心掛けていたことと、式も挙げていないことから自分から話題を振らない限り、結婚の事実を伝えるタイミングもなく、かなりの事後報告となった。


とにもかくにも今回の旅行で向こうの両親や親族、友人など様々な人と会えて久しぶりに学生時代の留学生活を思い出したり、もちろん現地の美味しいものや観光スポットも駆け足ではあったが、堪能できたと思う。


ハンガリーと言えば、公用語がハンガリー語でなんとかアルファベットなので発音することはできても、意味を想像したりすることはほぼ不可能と言ってもいいくらいの言葉だ。聞くところによると、世界の難しい言語ランキングでもトップクラスだとか。中国語だったら漢字、スペイン語だったらかなり英語と近いフィーリングでのアプローチなのでなんとなく文脈とか単語で近い言葉から推測できるが、ことハンガリーはそうは問屋が卸さない。


そんなところにヒョンと私が一人現れても、向こうは英語を話せる人はせいぜい一、二割ほどで、お互いが私くらいの片言英語だったりしてコミュニケーションがかなり限定的になってしまう。

おかしい、私は留学をしたはずなのにこんなにもとっさに言葉が出てこなかったり、普段英語から離れた生活のせいか全く自信をなくしていた。


そんな私だが、幸い家内がハンガリー語はもちろんだが英語も日本語も話せるトリリンガルなので、家では結局日本語に怠けてしまい、英語の上達の機会を逸してしまっている。


今回の旅行を通じて、やはり英語はもっと頑張りたいなと思ったのと、ハンガリーの自分より若い人たちと会うことで、より政治、経済的にシビアな状況にあることからか、精神的自立を早くしているように感じて、ついこの前まで学生気分だった自分に喝を入れられた気分だった。


話は長くなったが、ハンガリー旅行のワケなどについてはこんなところだ。


さて、今はというと経由地のドーハから成田への飛行機に乗って機内食を食べ終えたところだ。

帰りの飛行機の座席が予約時は隣でやっていたはずなのに、なぜか発券すると前後バラバラの席となっており、直前に窓口に変えてもらった。

非常口の近くの席で足も伸び伸びできるし、今度からはこの席で予約したいと思う。

デメリットとしては航空会社によってはモニターがなかったり、トイレ近くのため乗客の溜まり場となってしまうことくらいだろうか。

↓参考に





明日から仕事と思うと時差ボケからくる適度な眠さも急にダルさに変わってきた。はぁ

ここ3年ほどはコロナ禍ということもあり、旅行に行こうと思っても、なかなか周りの目も気になり行くことが難しかったが、なんとか調整を重ねてハンガリーに行くことになった。


ハンガリーと聞いて日本の人は何をイメージするだろう。


首都のブダペスト、ヨーロッパに属すること、あとはせいぜいサッカーも多少強かったかな?くらいだった。それ以外で具体的なイメージが全くなかった。


そんなハンガリーだが、日本からはどう頑張っても飛行機一本で行くことはできない。同じヨーロッパでも非常に近いオーストラリアのウィーンやドイツのフランクフルトなどがある。しかし、今回は時間がかかるものの、航空会社が良さそうだからという理由でカタールのドーハ経由をあえて選択した。


まだこれを書いている今日現在は往路のみだが、カタール航空(Qatar Airways)の口コミを信じて間違いなかった。飛行機に搭乗して離陸するまでのビデオでサッカーのネイマールや元ブラジル代表のカフーなども出てきて、お金がかかってるだけあって印象的なスタートから、何より機内食が美味しい。個人的なおすすめはマンゴージュースだ。100%のものは日本で購入すると値段もそれなりにしてしまうので、あまり縁がなかったがマンゴージュースは少しワイルドさがあるものの、ドロっとしていてそれがいい。帰りも間違いなく頼むだろう。


写真は以下の機内での様子






さて、なぜハンガリーにきたのか等、続きはヒマな機内か、日本に帰って落ち着いてから筆を執ることとしよう。

それは金と言う時もあれば、いや、黙っていたら何もわからないということもある。





その機をじっと待てばいいのだ。





わかってほしい。人間誰しもがそう思うだろう。





無理をして取り繕って、八方美人に振る舞ったり、嫌われないように接してもそこには何も生まれない。





言いたいように言う。やりたいようにやる。






小さい時に出来てたことが大人になってどんどん不自由になって。






言葉には出来ない衝動と、あの興奮のためだけにやる。





自分にはこれしかないから。



眠れない夜は無機質に光る画面にこうして味気ない文字を打つ。





誰が読むのだろう。ベッドに横になって夢の入り口にいるやつの文章を。






小学校の時、好きな子に初めて書いたラブレターもこんな時間じゃなきゃ書けなかった。

朝起きたら、こんなの正気の沙汰じゃないと破り捨てた。親にもバレるのが恥ずかしいから証拠隠滅は徹底的に。






歌詞とかもこういう時じゃなきゃ書けないかもしれない。ランナーズハイとかともまた違うかもだけど、適度に力が抜けて無になった時に足が勝手に動くあの感じ。





そんな夜と醒めた朝のせめぎ合いで今日までやってきた。興奮と冷静さは紙一重で、興奮がないとつまらないし、醒めた感じも物足りない。






きっと明日にはここに何を書いたかなんて覚えていない。それくらいがちょうどいい。

そんなことの繰り返し。

こんなことを思い出したのも、昨夜ライジングサンロックフェスのYouTube配信があったからだ。



もちろんフェス自体は昨今のコロナ禍の状況で行われたわけではない。生でMCのトークがありつつ、昔のライブをオムニバス方式で振り返るといったものであった。



今日のおそらく4,5時あたりまで放送はあったみたいだが、確かBRAHMAN辺りで寝てしまった。。




なので見たかった永ちゃん、キヨシロー、ミッシェル、ナンバガとかまでは持たず。。徹夜はどうも出来ないタチなのである。




ライジングサンは先ほど書いたバンド仲間と行く予定だった。その人がまたさらに友達を連れてきて3人で見る予定だった。
しかしなぜか当日携帯が調子が悪かったか壊れてしまい、途中で連絡が取れなくなって結局一人で見ることになった。




だが、正直ホッとしていた自分がいた。携帯が壊れたソワソワよりもそちらが優っていた。
初めてのフェスなのに、まだそこまで親しくない人と、ペースを合わせて観るということが楽しめるか不安であった。
結果一人で観れて良かった。内心後ろめたさもあるものの、誰かと何かを共有する楽しみ、というのは本来はフェスはそちらに重きを置いている人が多いと思うが、自分はおそらくそちらのタイプでは楽しめないと思った。




学生時代の留学の経験から、なんだかんだで一人で動いた方が、自分の責任ではあるけど誰かのせいにしないし、気楽だし、純度を高く物事に触れられると思った。




歳を重ねるごとに、そうした気持ちも少しずつ変わってきて、誰かと何かを分かち合う歓びみたいなものも感じられるようにはなってきたが、人間の性質というのは根本的にはそこまで変わらないと思う。





バンドをやっているので、もちろんフェスへの憧れというものはあるけど、ファンと何かを分かち合いたいというものよりも、誰かの胸に刺さるようなものを作りたい、やりたいという気持ちの方が強いから、別にフェスに限らず単純に今よりも大勢の目の前でやれればどこでもいい。





すぐ何のためにやっているか、とかを考えてしまうのは癖だが、話をまとめるとフェスは涼しい部屋でパソコンで観るのも悪くないね、ってこと。




でもやっぱりフェス出たいな。
フェスということで思い出されるのは、やはり大学生活である。



何しろその期間にしか行っていないからだ。いや、正確には卒業してからも行ったものもある。



大学生がモラトリアムを拗らせて、音楽好きが昂じるとたどり着く境地、それがフェスだ。(勝手な偏見しかない)



しかしながらフェスというものの持つアウトドア要素を理解していないと痛い目にあう。リア充への憧れ、だけでは楽しめるものではない。少なくとも自分にはそうだった。



まだ、東京にほど近い、サマーソニック、ロックインジャパンくらいならディズニーランドに行く時のそれと似たような、日帰りでの手軽さで一人でも友達とでも、会社の同僚とでも楽しめるだろう。



しかし、ライジングサンとフジロックはまた別のカテゴリーで考えるべきだ。



まずはじめに距離感。これは言うまでもないが、ライジングサンは北海道の石狩、フジロックは新潟の苗場。石狩だなんて鍋以外で聞いたことのない異国の地だ。
きっと寒すぎて夏も鍋なんかを食べるような野蛮な場所なのだろう、そんなくらいにまで思っていたのは言い過ぎだが、それくらい北海道というのは旅行で札幌に行ったくらいで、当時はまだ飛行機でしか行けなかったし、同じ国内でも別の国くらいな認識であった。



これがひょんなきっかけで北海道に住むことになった私は、なんとそのハードルを軽く越えて、なんとライジングサン、はたまたJOIN ALIVEという少し小型のフェスもおまけで同じ年に2つ参加することとなった。最初はまずJOIN ALIVEというフェスから手慣らしで参加するわけだが、まぁ昼は炎天下で暑い。これは今考えれば当たり前なのだが、北海道だろうが真夏の炎天下ではせっかく塗った日焼け止めも数時間のフェスでは情け無用である。



そして何より天候の悪さ。昼間は晴れていたと思っていても、すぐに雨が降る。これはフェスあるあるなのだが、雨が降る→地面がぬかるむ→靴がドロドロなのである。今も変わらずだが、当時は365日コンバースかドクターマーチンしか履いていない自分は、フェスは軽装がいい、という思い込みでコンバースのオールスター(ローカット)で挑んだ。



惨敗である。



見るも無惨に、白黒のコンバースが終わりの頃にはもう泥も乾き切って元が何色かわからないくらいになっていた。



その時は確か斉藤和義と中村達也のユニット、MANNISH BOYSとクロマニヨンズ、あとはThe Birthdayとあとなんかちょこちょこ観たんだけど、結局このフェスは一人行ったんだっけな。いや、向こうで出来たバンド仲間(ドラマー)と行ったんだったな。




当時バンドをまだ組めていなかった自分は北海道でもメンバー募集をしていて、その時なんとか気が合いそうなドラマーを見つけたものの、どちらも歌をやらない2人だったから、スタジオでもインストでやってて甘酸っぱい思い出だな。



ちなみに当時やっていたのはゆらゆら帝国のバンドをやっている友達。この曲、別に嫌いじゃないんだけど、なぜかそれ以降全く聞いてないな。



おっと、閑話休題。




とにかくその延長でライジングサンに参戦するわけだが、その続きは次に!








お久しぶりです。

 

 

 

暑かったり、急なゲリラ豪雨があったり例年の夏よりもなんだかしんどく感じるこの頃です。

マスク1枚でここまで不快指数が変わるものでしょうか。

 

 

 

さて、このブログを書くということは、いつも何かの節目であったり変化があるときにパソコンの前でカタカタすることが

多かったのですが、類にもれず今回もそうです笑

 

 

 

親しい友人数名にしか言っていないのですが、色々と変化がありました。これからあります。

 

 

 

心配ご無用。バンドは変わらず続けていますし、コロナ禍ではありますがアルバムも近日制作予定です。

 

 

 

じゃあ変化は何かって、引越しをします。

常にモノが多い自分でこういう機会でもないと断捨離をしないのですが、何しろ服とCD、レコード、本が多すぎる。。

 

 

 

もし興味がある人がこれを読んでくれている中にいたら喜んでお譲りします。特にCD!

もちろん興味があって1度買ったモノなんだけど、CDって余程気に入らない限り何回もプレイヤーで聞かない。。

サブスク主流の現在わざわざ家でゆっくり聞くなんていう人も少なくなってきたのではないでしょうか。

 

 

そんな今だけど、いいものは残り続けるし、僕らもバンドをやっているからにはパッケージとして残したい。

サブスクには抗わずにジレンマとは戦いながら、次回作もCD、サブスク共にやる予定です。

 

 

 

少しでも自分たちのやっていることが誰かに刺さるように、面白いことをやっていくまでです。

最初のMVの反響が思ったよりもあったけど、自分としてはレコーディング終わったときにもっとあれで世界が変わるくらい思ってたから、まあこんなもんかって。

 

 

 

大体映画とかアルバムでも2作目で真価が問われると思っているから、次のアルバムとMVは楽しみにしてていいですよ!

(自分でハードル上げるスタイル)

 

 

 

この状況で変わったもの、たくさんあると思うけど、変わらないものを大切にしていきたいですね。

ではでは皆さん、残暑も厳しいようですがご自愛ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。





2020年なんてまだまだ先だと思ってたけど、あっという間ですね。


2019年はいかがでしたか?
時代の流れも目まぐるしいですが、個人的にもなかなか色々あった一年でした。


やはり一番は新たにバンドを始めたこと。
詳細は前のブログに書きましたが、これが一番大きな出来事でした。
この一年はライブもせずに、細々と曲作りやスタジオに明け暮れてましたが、ようやくその一年の集大成とも言うべき曲のミュージックビデオを作ることが出来ました。


‪It's Hurting - Ninny & Nooks 【Official Music Video】 






このバンドでのミュージックビデオはこの曲以外にもう一曲あるのですが、当時はまだ自分がギターではないので、早く名刺代わりのものが作りたい気持ちでした。



でも半端なものでは作りたくないし、バンドとしてのこれからにおいてとても重要な意味合いを持つと思っていたから、満を持しての作品となりました。



撮影、編集をしていただいた岡本崇さんには感謝です。張り詰めた曲の世界観を、スタイリッシュに表現していただきました。
曲自体もそうですが、シンプルにバンドの空気感が伝わる素晴らしい作品になっていて、自分の携わったものとして誇りに思います。



これを皮切りに今年からライブ活動始めます!

◼️1月7日(火)新代田FEVER
Ninny&Nooksは20:15〜
◼️1月14日(火)下北沢CLUB Que
◼️2月9日(日)南青山RED SHOES (自主企画)
◼️2月17日(月)渋谷La.mama
◼️2月27日(木)早稲田ZONE-B
◼️3月29日(日)One Man Live (後日解禁)




これ以外にもまたお知らせが近々あるので、楽しみにしててください。
2020年、これまでで一番動きます!






先月学生の頃からやってきたTwitterのアカウントを消した。


誕生日の何日か後だった。


特にこれといった強い意志はなかったけど、なんとなく無理をしている自分に気付いてしまった。


別にここで繋がっていなくても、大切な人はきっとまたすぐ会えるし、どうしても表面の数字で捉えてしまうSNSというものにうんざりしていたというのはある。


しかし1ヶ月経って、結局またはじめた。


やりたいことをやる。やりたいことをやるために。
カウントダウンが始まっている。




誰しもに平等に来るその時。









この世界から数字が消えたら。




そう一瞬でも思ってしまったのはこの頃だけではない。




人間が生み出した、数を表すための記号に過ぎないのだ。




そうだ、これはあくまであると何かと都合がいい記号を当てはめることで物事をわかりやすくしてるだけなんだ。




あの人がいくら営業で売り上げたって、年収がいくらだって、数字がなけりゃなんて事はない。




あんなのがあるから人は比べたがる。優越感に浸ったり、劣等感に苛まれたりする。




こんなものは後付けのものだ。恐るるに値しない。




と、1人虚勢を張ったところでそれは無情にも1つ増えてしまう。




誕生日、もうすぐだ。