「俺の言う通り」

 

「従うのです」

 

そう言い、典医寺のあの樹の影で

チュホンへ強引にウンスの躰を押し上げ、

ひらりとその背にまたがると

いつにも増した屈強な胸に

自分の女をしまい込み

疾風の如くここまで駆け抜けてきた

チェ・ヨン。

 

その途中、

ウンスから萌え立つ匂いの中に

あの香りのキオクを手繰り寄せてしまった

その一瞬

 

ウンスの小さな手の上から

手綱を握る大きく熱い手が

またもや

僅かに

小さく、そして冷たく

なってしまった。

 

その瞬間、

その男の頭は

不自然に左右に振られ

 

「だめだっ」

 

という言葉を吐き出そうとしたが

すぐ我に帰り

その唇を左の甲でねじ伏せた。

 

チェ・ヨンの大きく真っ白な前歯が

その手に突き刺さり

鮮血がじわりと滲む。

 

甲から流れる真っ赤な血が

滴り落ちそうになり

慌てて

ちろりと

舐める。

 

その男の真っ赤な

舌の先で。

 

 

前にも同じようなことがあった。

 

声を

封じるために。

 

 

決して聞かれてはいけないその場所で

どうしようもなく我慢できず

ウンスを自分のものにしていたその男は

 

思わず歓びの

感嘆の息を

大きく漏らしそうになり

 

その音、封じるために

慌てて自分の甲を噛み

こらえた。

 

そうせずには

いられなかった。

 

そうするしか……。

 

その男の声を

それまでに感じたことのなかった

初めての歓びを

そうすることでしか

封じることができなかったのだ。

 

 

だが、今は………。

 

 

「俺は、いったい何を」

 

「何をしているのだ」

 

 

と、くうを見上げた

チェ・ヨンの頬からは

一筋の懺悔の雫が

こぼれ落ちていた。

 

それを白指でとっさにすくった

ウンスのあの瞳からも

自然と大粒の雫がこぼれ落ちる。

 

二人のそれは

同時に

チュホンのたてがみへと

はらはらと

弧を描くように

落ちていく。

 

 

 

典医寺のあの樹の影で

チュホンの背中に荒々しく放り投げられ、

その先の温かく優しい背中に

またがった瞬間、

それとはまったく正反対の

強引で無謀で性急な愛の始まりを空想し

どうしようもなく

熱くなってしまっていた

ウンスのあの場所。

 

チェ・ヨンに不意に触れられ

つい満たし

落としてしまった

あの滴。

 

だが、今はその滴ではなく

瞳から落ちる頬を伝う雫が

チュホンのたて髪の間を

縫うように滴っていく。

 

 

 

 

典医寺の自分の部屋で

チェ・ヨンの手に

久しぶりに触れたその瞬間から

 

ウンスの躰は

何かもやもやとした

気持ちの悪い黒い不安に纏われ、

いつものように

右の小指のあの痺れを

感じていた。

 

それでも、そんなことあるはずないと

その気持ちを押し殺し

チェ・ヨンの愛を信じ

その男に身を任せようとしていたのに。

 

本当は

その真実は

年下の甘えん坊の

だが意地っ張りの

どうしようもないほど

愛しく若いその男が

 

「俺のいうとおりに」

 

「するのです」

 

そう、むきになって

男然として

命令するとおり

その男の急ぎ貪る愛に

呑まれようとしていたのに。

 

 

 

「やっぱり、だめだった」

 

「逃げたい」

 

「もう知らない」

 

「投げ出したい」

 

「一人になりたい」

 

「一人で布団にくるまり

一人で思う存分……」

 

「一人で………」

 

「お願い、一人にっ」

 

 

チュホンに乗っていることも

愛しすぎてしまった

高麗の武士、チェ・ヨンに

抱かれてることも

すべて頭から消え

真っ白になり

ただ、一人になりたいという

気持ち一つで

そう叫び

 

身を荒げ

滑り地面へ落ちようとした

ウンス。

 

慌てて身を反らすチュホン。

 

盛り上がる上腕をしなやかに

だが、荒々しく伸ばし

強引に厚すぎる胸へ

叩きつけるチェ・ヨン。

 

抱きしめる。

 

ぐっと。

一つになるように。

 

 

チェ・ヨンの胸の鼓動が

ウンスの

その男から逃げようと争う鼓動と

 

一心同体になるよう

捕まえ捉えて

自分のものにするよう

 

合わせる。

 

ぴたりと。

一分の隙もなく。

張り付くように。

 

その中に潜り込み

手で鷲掴み

自分の心臓に

それを置き換えるように

離すまいとする

チェ・ヨン。

 

だが、第一スリバン街の通りには

 

「離してっ」

 

「離してったら」

 

「やめてよっ」

 

というウンスの泣き叫ぶ声が

響き渡った。

 

 

慌ててその唇を

冷たく小さな手で

塞ぐチェ・ヨン。

 

見つめる。

その瞳を。

そこに、自分の瞳が

くっきりと映り込むまで。

 

 

「自分の胸の音を」

 

「聞いて」

 

と改めてその唇を

その中に抱いてやる。

 

 

ぎゅっと。

荒々しくしていた腕を

少し緩め

幼子の背中を優しく

さするように

なでる。

 

すぅぅぅぅぅ

すぅぅぅぅぅ

 

………と。

 

 

だが、それでも

ウンスは

 

「やめてっ」

「だからその手」

 

「触らないでっ」

 

そう、言ってしまった。

 

 

分かったのに。

 

一瞬聞こえた

チェ・ヨンの音が。

 

自分の音と

合わさろうとしている音。

重なろうとしている音。

一つになろうとしている

音が。

 

チェ・ヨンの温かくも熱い鼓動に

はっと気づいた時には

その言葉が口をついて

出てしまっていた。

 

 

「もう一度」

 

「その腕で、なでて」

 

「その腕で、抱いて」

 

「この胸の音、聞かせて」

 

その想いが頭を渦巻く。

 

 

 

「もういい」

「そんなこと、どうでもいい」

 

「ヨンがそうと言うなら」

「信じる」

 

そう、ようやく

思おうとしたのに。

この男の胸の鼓動が

そう言ってるのに。

 

 

だが、ウンスの口から

再び飛び出したその言葉に

チェ・ヨンの腕は

再びウンスを抱くのではなく

 

ぱたり

 

と力なく

落ちた。

 

 

「俺の言うこと」

 

「聞いてはくださらぬのか」

 

 

あの瞳で、

微かなその言葉を

落としながら。

 

 

イムジャ……。

 

俺の鼓動に

合わせてはくださらぬのか。

 

俺の言うこと

言おうとしていること

聞くことができぬのか。

 

だめなのか。

 

俺を、拒絶するのか。

 

俺のこと

信じては

 

くださらぬのか。

 

イムジャ……。

 

俺のこと、

それまでにしか

 

思っていなかったのか…。

 

イムジャ……。