今日は夫、40回目の月命日
亡くなって3年4ヶ月
夫のいないお正月も今年で4回目
夫のいないお正月は私が生きてる限り続く…
今日は一日雨
午前中は強く降ったり…
朝、雨音を聞きながら今日は布団から出るの遅くてもいいや…
起きたら8時まわってる
いつもならさっさと着替えるのに今日は9時過ぎてもパジャマのまま
そしたらピンポーン
えぇっ
慌ててインターホンを見たらクロネコのお兄さん
恥ずかしいけどパジャマのままで受け取り
何かね~こういう時に限ってという言葉があるけど今日はまさにその言葉通り
友達から練り物の贈り物
冷蔵庫に入る
今年になって冷蔵庫整理してなかったので冷蔵庫整理
気になっていたから片付いてホッ
そしたらテーブルも気になって
ダイニングテーブルのカバーも替えて
木目調のカバーに
休憩
大好きな岩谷堂羊羹
2切は食べきれず…
食品棚の整理も
1ヶ月に1回はしないと
…夫の病気のことを詳しく書こうと過去何度も下書き保存したりしたけど
悔しさで胸がいっぱいになり綴ることができなくて…
2012年の健康診断で左肺に水が溜まってると
病院を紹介され、私が乳がんの手術を受けていた病院で数回水を抜いてもらってたけど
暮れ近く、静岡がんセンターへ
夫が悪性胸膜中皮腫と診断されたのは2013年3月
抗がん剤治療の後、8月中旬手術
兵庫医大から先生にきてもらい、静岡がんセンターでは初めてという胸膜を剥離する手術
主治医に動画を撮っても良いですかと聞かれ夫は快諾
俺たちも専門学校で亡くなった人たちの人体を見せてもらって勉強してきたから
お返しだよ…って
主治医に「もし、心臓など他の部位に転移してたら即閉じます」と
その時間が5時間後
午後3時を過ぎて時計を見て息子とお嫁さんの3人で「大丈夫だったね…」
10時間に及ぶ手術
ICUに運ばれた夫
手術した日の事は今でも昨日のことのようにはっきり覚えてる
なぜ兵庫医大の先生
と思ったりもしたけど…
阪神淡路大震災でアスベストの被害を受けた人たちが多くいたということ
年数を経て現れる…
その後、東日本大震災
そして能登沖地震
住民はもちろん、自衛隊・救助隊・ボランティアの方々の事が気がかりです
希少癌と言われ、治療薬も治療法も夫がいたころとあまり変わってない
ブログで知ったブロ友さんたちが生きるために頑張ってきたのに…
哀しい知らせを聞くたび胸が痛みます
…悪性胸膜中皮腫は癌だという事
私が住んでる地域の人たちも癌だと知らず…
説明して初めて癌だと知る人ばかり
なぜ、癌と言う病名がつかず悪性胸膜中皮腫なのか
ちょうど10年前
手術後、こたつに入ってテレビとお友達の夫に羊毛フェルトで作品を作ること勧めた私
冬
夫に留守番をお願いし、息子夫婦と北海道へ
前に夫と一緒に行った札幌ファクトリーにある羊毛フェルト専門のお店で羊毛フェルトを
それが夫の性に合って
コツコツ作品つくり
時々紹介しているけど今日も
最初の頃の作品
インコを飼っていたことがあったので
足が難しいと自分で台を作って
ベンチも夫作
シロクマも10匹近く
ヒツジは私が作ってとお願いして6匹だったかな
私が織物をやりたくて結婚して間もないころ「絵おりあ」という織り機を買って
織ってたんだけど織りものを習いに行き、織り機を買ったのでしまい込んでおいたのを
夫が「面白そう」と
夫の撮った写真を見ていたらこの写真が
自分で織っているの写真撮ってたんだね
この後
ネットでクローバーの「咲きおり」を自分で買って
羊毛フェルトで作品つくりをしながら織物も
小さいけどテーブルに
この作品、どこを探しても見つからない
咲きおりで夫が織ったデッキチェア
枠も夫が作ったもの
モデルの腕組みも夫が
デッキチェアもあちこちにプレゼント
今は孫ちゃんの分だけ
夫が自分の為にと織ったマフラー
これは甥っ子に
2016年
私が作ってとお願いし作り始めたピーターラビット
どれぐらい作った
残っているのは数体
息子にもう作ってもらえないものだからあげないでと言われ
最初の頃の作品
10体以上作るともらわれて行く前に必ず記念写真
受け取った人が幸せになりますようにと願いを込めて作っていると話してた
息子が小学1年生から3年生まで八ヶ岳縦走、北八ヶ岳縦走
泊まった山小屋の窓辺に本土リスがやってきたのを一緒に登った子たちが
大喜びしたこと夫に話し作ってもらったもの
本土リス
5体かな
これは誰にもあげず我が家に
今日はちょっこと新作お料理を作って夫に
夫の作品を眺めて
そんな一日
…夫
最初の頃の作品はよせって言ってるかも…
ちょうど1年前のブログ