ずいぶんと前になるが「千二百羅漢の寺」と呼ばれる京都の愛宕念仏寺に行ったことがある。
このお寺には千二百の石像があるがそのひとつひとつが違う表情をしている。
一九八一年に五百体を目標に「昭和の羅漢彫り」が始まり、十年後に千二百体に達したという。
つまりこのお寺にある石像千二百体はすべて一般の参拝者が彫ったものだ。
ユニークな石仏が心を癒してくれる。
実は愛宕念仏寺は長渕剛氏のゆかりの地でもある。僕もこのお寺を知ったのは長渕剛の「人間」という曲のPVでこの場所が使われていたからだ。
ここに並ぶ石像と同じで人間もみんな「ユニーク」である。「ユニーク」っていうのは「変わり者」という意味じゃない。
それぞれが唯一無二の存在ということ。
きっと人間がみんなそれぞれユニークなのはそれぞれに果たす役割があるからじゃろう。
人間はドングリにようなものですべての人がひとつの種から始まる。その小さなドングリの中には可能性が圧縮されている。
我々はみんな同じようなドングリの種だが実際はそれぞれが違った種だ。だからそれぞれが独自の特徴を持ちユニークな個体として生まれているのじゃ。
どれもこれも同じじゃない。
同じじゃないからオモシロいしみんな違っているから楽しい。
みんな同じなのが「ふつう」じゃなくて、みんな違っているのが「ふつう」なんじゃよ。
だからそれぞれの違いを受け入れながらそれぞれの違いを楽しめば良し。
我々はみんな違っているけど違っていていいのじゃから。
