こんにちはうさぎ

いつもお読みくださり、ありがとうございます
 

私の娘(HSC)は中学生になって間もなく、学校に行かなくなりました。自分と向き合い、娘と向き合い、そして娘に寄り添った結果、2ヶ月で自分から学校に戻った娘。そしてその1年半後、2度目の不登校で私はうつ病を発症するも、娘は1か月半で学校に戻りました。

 

当時私が意識したことや、UMIで学んだ心のことなどを、これから綴っていきたいと思います。

 

必ずどなたかのお役に立てると信じてピンク薔薇

 


先日、某テレビ番組で、
とある中高一貫校の教育について
紹介されていました。



その中にあった話。
それは、学校内にあるルールを、コロナ禍において生徒が自主的に破った、という話。



ルールを破るというと聞こえが悪いですが、
捉え方を変えると、常識破りとか、規格外などという、特別な意味合いにもなります。



コロナもそうですが、今のご時世何が起こってもおかしくない。たとえ何も起こらなくても、世の中自体が、数年で移り変わる。



10年ひと昔、なんて死語ですよね。
私の感覚だと、2年ぐらい???



そんな中で時代の流れに付いていく力は必要で、
そのためにはルールだとかモラルだとか、そういうものはどんどん変えていかなければならないのも事実です。



ルールに付いていくのではなく、
ルールの先を行く潔さ、勇気、決断力。



それが何も考えずに自然と身についていたら、どんな災いが起きようが、自分主体の行動に出ることができるわけです。



自分主体の行動というのはつまり、
自分を守るため・幸せにするための行動です。



それが、この番組に出ていた生徒さんたちには、既に身に付いていました拍手



そもそもルールとは、いろんな人がいる中で皆が気持ちよく過ごすためにあるものではあるけれど、みんながみんな常識持って行動しているのであれば、本来は無くても良いもの。



より良くするために、とか、
迷惑をかけないために、と率先して考える力があれば、わざわざ窮屈なルールなんて要らないこともあるのです。



言い換えれば、一部の、ルールがなければ守れない人たちのためのものとも言えます。



…と難しい話を書きましたが、
何を言いたかったかというと、



不登校時代の娘は、主体性に欠けていた。
真面目でルールは守るけれど、臨機応変に自分で決める力がなかった。



私が留守の間にお腹が空いても、
勝手に冷蔵庫を開けて冷凍パスタやうどんをチンして食べておくとか、そういう機転が効かない。



他の子はできてるのに。



これを私は見逃しませんでした。



私の指示がないとこの子は動けないのかもしれない。指示待ち人間になっているのかも。



何かあった時に、娘は自分で自分を守れる?



それからは、
ルールやモラルは関係ない。
娘が言い出したことは否定せず、



そこには娘の"主体性"があると考えて、
何でも喜んで肯定したし、付き合いました。



わがままを許したのではなく、
主体性を伸ばしたんです。



そうこうしているうちに、
いろんなわがままを言うようになり、
それをまた受け入れることで、



主体性は伸び、
自己肯定感も上がりました。



もちろん、物理的にできないものはできないと言いましたよ。



イギリスのボーディングスクールに留学したいと言われたけど、年間で1000万かかると言われたので、ごめんねと断りました。



指示待ち人間って、ラクですよね。
自分で考えなくても間違えないんですから。
恵まれてる!!



でも、恵まれてる=幸せ、ではないです。



不登校になってから、何年も過ぎているお子さん。



自分のために自分で動く力はありますか?



お母さんはどうでしょうか?