お久しぶりの投稿です。
2024年4月11日 18時50分ごろ。
mocoが息を引きとりました。
そのとき私はキッチンにいて、パパさんはカウンターで晩酌をしていて。
mocoは数日前から状態が悪くなっていて、その日の朝も大きな発作があったので、目の届く範囲にベッドを置いてすぐに様子を見られるようにしていました。
「ずいぶん気持ちよさそうに寝てるね☺️」なんて、mocoを見ながらふたりで話していて。
その後、手足を伸ばして硬直するような発作が起きたので急いで駆け寄り、「大丈夫かー?」と言いながらいつものように抱き上げて顔を覗き込むと、いつもとは違う顔をしてるmocoがいました。
目を見開いて、口を開けて、まるでびっくりしたような顔。
体からは力が抜けて、目がどんどん白くなって。
あ、これはダメだと…
私とパパさんがふたり揃って家にいるときに、私の腕の中で息を引きとるなんて、moco自身が旅立つタイミングを選んだとしか思えません。
mocoが最期に見た景色はきっと、覗き込む私とパパさんの顔だったはず。
飼い主孝行なmocoでした。
亡くなる1週間前くらいから、口臭、けいれん発作、食欲減退などの尿毒症の症状が出ていて。
もう長くはないと余命宣告はされていましたが、それでもできるだけ穏やかに旅立ってほしいと思い、栄養の点滴と吐き気止めの注射を続けてきました。
この日も午前中に病院に行って点滴と注射をし、先生や馴染みの看護師さんにたくさん撫でてもらって。
ただ、いつもは立って点滴をしていたのに、最後になったこの日は立っていられなくて…
もう体が限界だったのかもしれません。
離れて暮らす子どもたちにmocoが亡くなった連絡をしたところ、その日のうちに娘と娘の彼氏くん、娘の愛犬ししまるが来てくれました。
息子は、息子なりのmocoに対する考えがあり、帰省はしませんでした。
亡くなった翌日、毎日のように通った動物病院へ、旅立った報告をしに行きました。
先生に、びっくりした顔をして亡くなったと話すと、それは亡くなるときの生理的な反射なので、痛かったり苦しかったりということではないと言われて、とてもホッとしました。
無理な延命治療はしないけど、痛くなく、苦しくなく、自然な形で最期を迎えたいという、私たち家族の希望が叶ったんだなと。
寂しいけれど、やり切ることができたと、誇らしい気持ちにもなりました。
*****
亡くなってから1週間。
mocoがいないことには慣れてきたけど、心にぽっかり空いた穴が塞がるのはもう少し先になりそうです。
mocoの介護は、本格的に悪くなってから4日しかできなくて。
本音を言うと、もっとお世話をさせてもらいたかったなと。
もっと欲を言えば、4月23日の16歳のお誕生日を迎えたかったなと。
何度ももうダメかなと思ったときがあったmocoでしたが、そのたびに乗り越えて、一緒に生きてくれました。
かわいいけれど怒りん坊で、頑張り屋さんで、甘えん坊。
たくさんの思い出を残してくれたmocoに、感謝の気持ちでいっぱいです。
こちらのブログを読んでくださった皆様、ありがとうございました。