元旦に実家に帰り

母親と早速けんかした



母親の言い分は

私は我慢して周りのことを考えてやってきた

人と一緒に過ごすということは

自分が我慢して周りに合わせる

ということが必要では?



長男は出かけるとすぐ

ぐだぐだ言ってる

それは母親(私)に甘えたいからだ

母親が甘えさせないからだ



母親が自由にするのはやめて

子どもを甘えさせたり

子どものしたいことをさせなさい



私もおせち作りたくない

みんな来るのは大変だ

だけどみんなが喜んでくれると思ってやってる



だからゆうきだけ自由にしていいなー

ちょっとおかしい、都合がいい

そんな感じだった



だけど私は

自分に我慢させてやりたいことやめてまで

自己犠牲して子どもに尽くすのは

子供のためにならないと思ってる。

(だって子どもの頃、すげー嬉しくなかったからw)



でも子育ては

一概に絶対母親が我慢すべきでないとは

言い難いかなと思う(多少はあるから)



母親ができる範囲でできることをする

色々と手立てを使って頼って

自分のしたいこともしたらいいと思う



私はもうおせち作りたくないなら

作らなくて良いと思う

無理に作っていいことない

そう思ってしまったならそんな自分に降参してやめさせてあげることだ



やめたことで

私が作るようになるかもしれないし

買って楽しく過ごせるかもしれない



自分の欲に気持ちに正直に

全部○○するべきなんてことはないから

自由に感覚に従ってゆくのが

宇宙的にも自然なことだし

拡大してゆくと思ってる。



それと

自分に我慢させて嫌なこともさせてきた人は、自分も我慢してるんだからあなたも我慢しなさいという考えになりやすい。



我慢して当たり前でしょって

だって私も我慢してるんだから…

でも自分に優しく我慢せず

やりたいことやらせてたら

相手にも我慢せずやりたいこと 

やらせてあげられるようになる



我慢しないで旦那に頼る時は

旦那さんもどんな気持ちなのかは

もうちょっと聞いてみたい

そこに自己犠牲はないのか?

もしあるなら別の方法をとるとか…



母親は私が子育て嫌なら

子ども産まなかったらよかった

結婚しなければよかった

そんなことまで言ってきた



だけど子どもほしかったから結婚したし

産んだことに後悔なんてない



もうね

産んだだけで母親としての役割終了なのよ



あとは笑顔で見守ってたらいいよと思う

自己犠牲はエネルギー的にやばい

重い、伝わる

それなら母親の笑顔がみんなの幸せ



そんな過去まで溯って責めるなんて最低だね

自己受容できないんだろうな

(先祖代々の自分責めの癖😭断ち切りたい)



全部ここまできたことは正解で

全て最善



子どもがこうだから親が悪いとか

ここができてないからこうなるとか



責めてばかりは

自分が全然喜んでない



あなたのこと思って言ってるのよ

とかいわれたけど

そんなの全然思ってない

余計なお節介、口出し

邪魔でしかない、エゴ

拡大を止めてる



私のこと思ってるなら自由にさせて

辛かったら聞いてあげて

甘えさせるのが

正常な親だと思ってる



余計な口出しや

こうしたらいいという

勝手なエゴの道筋を立てなくていい

(自分満たすのが一番先)



ということで

今回は私も言いたいこと言えた。



自分の考えスタイルを伝えられたのは

私えらかったねと思う



いつもあなたの言う通りにはしないし

ならないし

コントロールされないし

誘導されないし

私は私の意志で生きていく


 

そんなことを思いました!



もう私は自己犠牲しないで

我慢しないで

罪悪感はいらなくて

好きなことで

楽しくいきてゆきます




だって過去より
今の方が断然楽しいもん