2/27に病院の方から連絡があり、肺炎が深刻な状況なので人口呼吸器を装着する事の確認と、装着の理由等のお話がありました。そのことについては、2/12頃に最初の説明あり、おおよその内容は確認していましたが、私(夫)が安易にその行為を支持できない事の胸のうちを主治医に話すと、2/27までの間に何度か先生とその事について話し会いました。
 ①彼女場合、呼吸器を装着している間に治療の可能性がある。
 ②私と本人の間では万が一そうなった時に彼女の意思の確認を聞いていない、どちらかと言うと否定的だったが絶対ではなかった。 
 ③私は装着や延命治療の絶対の確認は取っていないものの、彼女の夫であり何年かは一緒に生活していて、妻の性格と精神面や価値感などをいくらかは知っているつもりであり、そこから考えると②は否定的=望んでいなかっただ。少なくとも延命は望んでいなかったは分かる。
 ④しかし人間は誰でも苦痛を味わいたくないものでしょう。私でも同じ事を考えます。「様は寝ている間(麻酔か鎮静剤で)治療ができれば楽でいいよ」という意味彼女はYESだ。だからその意味で人口呼吸器装着を望んでいたともいえる。
 ⑤QOL・生活の質という観点から考えると、彼女はまさにその事を考えた人だと思うし、人間は死を直面にふれてやっと本当の生活のありがたさにきずくと言う。別に変な意味でいってはいないが「命が助かるならなんでもしてください」てのは簡単には彼女には通用しない。なぜなら、彼女は一度それを選び乗り越え、命や人生について何かを得て学んだのだろう。私も彼女の葛藤を見てきたしそれなりに分かっていたつもりだが、真は彼女にしかわからない。子供の事を考え、私たちの家族の事を考えて、みんなのことを考えてのことだから。お医者様もその事は重々承知で、この病気(骨髄異形成症候群急性骨髄性白血病)の場合は命があっても生活の質が非常に非常に悪いなら意味がないとはっきり言いました。普通の人には残酷な言葉かもしれませんが私たち二人にとっては重き貴重な言葉でした。それなら再移植せずに自宅に帰り余生を過ごすという選択もあったのも彼女は認識していたがそれでも再移植を望んだのだからその意思を貫くべきだという見方から呼吸器装着すべきとの考え方もできる。しかし、QOLは移植に関してはやってみないと現在の医学ではわからない部分が多く、QOLを考えるなら、一番良かったのは1回目の移植の前だろう。
 ⑥このブログに本人も書いているが意識もちょっと朦朧としているので本心かどうか分からない。

以上を話し合い結果、家族と医師の意見で2/27人口呼吸器を装着いたしました。本日も彼女は治療に励んでおります。
 医師は装着のとき人口呼吸器のことは彼女には精神面を考えて彼女には言わないでおきましょうと言いましたが。私は言いました(正確には先に言ってしまった)自分なりに彼女に伝えました。彼女はほとんどしゃべるのがつらい状況でしたから、伝えたあと彼女の目や感じを体感して装着の是非を決めようと本当は思っていました。私が感じとったのは彼女の「生」でした。「生きたい」そういう目をしていました。

彼女はあれ以来、ずっと眠っています。白血球3.0~4.4まで上昇しました。CRPもまだ高いです。血小板も低い数値ですが2~3キープです。生着はしているとおもいますが肺炎と感染症がまだおさまっていません。G-CFS注射、毎日しているので本当はWBC10.0以上きてほしいところです。ただ、レントゲンをみる限り肺炎は回復している傾向にあるみたいです。お医者様もBESTを尽くされているのが感じ取れます。
 3/9に子供たちを連れて彼女のとこにいきました。今の彼女の状態を子供たちに見せるのはどうかと一瞬思いましたが、いろいろ考え会いにいきました。子供が言ったのは「ママ、かわいそう・・・」だけでした。子供は正直ですね。本当に思いました。つい大人って子供に言わせたがるものです。私も子供に言ってしまいました。「ママがんばれっていってやって。」子供は言いませんでした。後で思いました「もうすでにがんばっている人にがんばれって・・・」そこらへんが当事者といくら夫とはいえ違いなのかなって。でもねやっぱり子供面会して本当によかったなと思います。今日までは子供たちにはママのことちょっとごまかしていたりしてましたが、長女が今日、帰ってから「ママたいへんやな」と急にいいました。6歳の子供でも何かを感じとって言ったんだと思います。早く良くなってまた彼女と話しがしたいです。私は運命とか宿命とかあまり信じていません、結果的に悪い方に行けばそういう言葉でかたずけられてしまうこともあるかもしれませんが、そこをねじかえてやりたいと信じております。

P.S.おっくん10時間唱題マジありがとう!