『バスティーユの恋人』と言うミュージカルを見ました。神田沙也加さんや小池徹平さんが出ているミュージカルです。フランス革命がテーマのお話で、もともとはフランスのミュージカルだったみたいです。今「お話」と書きましたが、お話を見ていると言うのとはちょっと違うなと思いました。
「人には元々違いがある。高貴な血筋が、、」とか、「国王陛下に刃向かったらどうなるか、その見せしめにしてやろう」とか、とにかく徹頭徹尾、他の映画やドラマや小説などではありえないくらいベタで説明的な台詞が続きます。
ストーリーも、お父さんが撃たれたら、撃たれた瞬間に悲しいメロディーが流れて、息子が駆け寄って「父さん!父さん!」とすがりながら叫ぶ、みたいに、これまたかなりベタな内容です。
じゃあつまらないのかと言うと、そんな事はなく、終わった後、観客総立ちで拍手していました。
ミュージカルは歌が中心なのは、言わずもがなたど思うのだけど、『バスティーユの恋人』を見ていると、どうもそういう言い方では不充分に感じます。
村上龍さんが昔、「小説とは、情報ご物語に組み込まれたもの」と言っていましたが、ミュージカルは、音楽が物語に組み込まれたものではないなと思いました。
むしろ、音楽と音楽が簡易な物語で繋がれているようなイメージを持ちました。細い糸で輪になっている数珠の様なイメージです。ご利益があるのは玉(音楽)の方であって、糸(物語)ではなく、糸はむしろ細く目立たなく、引っかかりがない方が好ましい。極端に定型的過ぎて、むしろ抜けが良く、音楽で感動出来るよう、あくまでお膳立てするのが、ミュージカルにおける物語の役割なのかなと感じました。
ただ、マリー・アントワネットが、王宮に残る決断をするくだりは、物語で感動した場面でした。観客誰もが、彼女の末路を知っているので、アントワネット王妃の、その短命な覚醒に、健気さ、儚さを感じずにはいられませんでした。
王政を理論的に支えたキリスト教に関しては、中々感慨深いところがあったので、それは次のブログで。