振り返って考えてみると、1971年のある時期から1973年のある時期までの約2年余というのは、幾つあるかわからない黄金製の椅子(高い値段で売れるアイドルの地位)を争う戦国時代の様相を呈した、混乱した、しかし、その混乱は総体的に見ると、新時代を作ろうとするエネルギーに満ちた時代だったのだと思う。そのことを手元にある、月刊誌の『平凡』の編集内容を紹介しながら、説明していこうと思う。

 

まず、女性タレント。登場人物の紹介である。本稿の基本テーマは《新御三家》の成立の話なのだが、これに雑誌企画として、複雑に女の子が絡む。あまり細かな話はしないが、省略は出来ない

 

《1971年デビュー組・1972年末時点で何歳だったかを付記》

○小柳ルミ子 1952年生まれ21歳 1971年4月「わたしの城下町」でデビュー

○南沙織   1954年生まれ18歳 1971年6月「17才」でデビュー

○天地真理  1951年生まれ22歳 1971年10月「水色の恋」でデビュー

《1972年デビュー組・1972年末時点で何歳だったかを付記》

○麻丘めぐみ 1955年生まれ17歳 1972年6月「めばえ」でデビュー

○森昌子   1958年生まれ15歳 1972年7月「せんせい」でデビュー

○アグネス・チャン 1955年生まれ17歳 1972年11月「ひなげしの花」でデビュー

 

これ以前に人気者だった人としては、藤圭子さん、岡崎友紀さん、吉沢京子さんなどがいるのだが、彼女たちは上記の新しく出てきた人たちに押し出される形で、月刊平凡の読者(中・高生中心のティーンエイジャー)の支持を失っていった。この人たちはみんな、デビュー曲をヒットさせて、幸運といっていいデビューをしているから、世の中が待っていた、と書いていいのではないかと思う。

 

それで、男性タレントである。これは次は新規で登場した有力な人物というのは四人しかいない。というのは、この四人以外は、五木ひろしや前川清のような演歌路線か「雨」をヒットさせた正調歌謡曲路線の三善英史みたいな人たちになるからだ。この人たちはアイドルというのとはちょっと違っている。

 《男性タレント》

 ○野口五郎 1956年2月生まれ 1971年5月「博多みれん」でデビュー。この曲 

  は不発。8月発売の2曲目「青いリンゴ」が大ヒット

 ○西城秀樹 1955年4月生まれ 1972年3月「恋する季節」でデビュー

 ○伊丹幸雄 1955年2月生まれ 1972年4月「青い麦」でデビュー

 ○郷ひろみ 1955年10月生まれ 1972年8月「男の子女の子」でデビュー

 

じつはこの時期の「平凡」には、かなりの数の歌手ではない人たちが登場している。森田健作(歌も歌っていたが、あまり上手ではなかった)、石橋正次(この人は歌もいけた。「夜明けの停車場」は絶品)、志垣太郎、沖雅也、村野武範などの面々なのだが、この人たちも、新御三家などの形で男性アイドル像が確立すると、退潮していった。また、この4人とは別格で、年齢が高いが、沢田研二、フォーリーブスが根強い人気を持っていたが、《新しさ》はなかった。

1972年の西城、伊丹、郷がデビューする段階では、黄金の椅子《当代の人気アイドルの椅子》がいくつあるのかわからなかったが、最初の一つを野口五郎が手に入れていたことだけはまちがいない。

1972年の12月号の「平凡」を読むと、二つのある部分ダブっている企画が存在していることに気が付く。

 

①特別対談  野口五郎対西城秀樹

②特集グラフ ヤング3の魅力比べ 郷ひろみ・西城秀樹・伊丹幸雄

西城秀樹は昨日のブログで紹介したゴローとの対談とこれと、両方の企画に参加しているのだ。同じ時期にデビューした三人で求められて《ヤング3》と呼ばれている。

2色グラビアの頁で、自分の下宿生活を見せている。

このとき、野口五郎はどういう状況かというと、ヒデキとの顔合わせの他に、

 ★自宅公開カラーグラビア「ゴローのニューホーム」 巻頭部分2頁

 ★旅のモノクログラビア 「長野 青いリンゴのふるさと」南沙織と2頁

などに登場している。雑誌企画的なところからいえば、西城はゴローとの友情でゴローにつづくポジションを獲得した、といえるかもしれない。

★★★★★

この号の表紙はご覧の通りの天地真理と郷ひろみ、伊丹幸雄の組み合わせである。

天地の露出を調べると、

  ★カラーグラビア 巻頭部分3頁

  ★活版 6頁 文字で書いた天地真理自画像(どうでもいいけど、これはシオザワ作品)

郷ひろみの露出を調べると、前出「ヤング3魅力比べ」のほかに、

  ★対談 南沙織・郷ひろみ 2色オフセット5頁

がある。南沙織は、モノクログラビアで野口五郎と、2色オフセットで郷ひろみと対談している。小柳ルミ子の露出を調べると、

 ★モノクログラビア 浅草ひとりぶらぶら散歩 3頁

 ★2色オフセット 一日付き人・イラストルポ 3頁

ということになっていて、こちらも一人だけの頁。マネジャーごとの考え方で、積極的に対談するタレントと人と一緒の頁を作るのをいやがるタレントもいたのかも知れない。

そして、伊丹幸雄だが、じつは彼はこの本のなかでは、西城、郷と作っている「ヤング3魅力比べ」と表紙以外に大きな見所がない。

天地真理さんは、この時期、彼女は人気絶頂で、本人忘れているだろうが、オレは「シオザワさん、プレゼント」といって、当時の値段で10万くらいした毛皮のコートを買ってもらった。この時期、「平凡」は発行部数150万部などというものすごい数字を持つ雑誌だったのだが、この近辺の表紙を誰が受け持ったかを調べると、こういうことである。

 

 ●1972年 7月号     天地真理と沢田研二

      8月号     小柳ルミ子と野口五郎

      9月号     天地真理と森田健作

      10月号   麻丘めぐみと野口五郎

      11月号   南沙織と石橋正次

      12月号   天地真理と郷ひろみと伊丹幸雄

  1973年1月号    南沙織と郷ひろみ

      2月号   天地真理と野口五郎

      3月号   森昌子と郷ひろみ

      4月号   麻丘めぐみと西城秀樹

      5月号   アグネス・チャンと野口五郎

      6月号   天地真理と郷ひろみ

      7月号   森昌子と西城秀樹

      8月号   浅田美代子と郷ひろみ

      9月号   浅田美代子と野口五郎

      10月号   天地真理と西城秀樹

      11月号   アグネス・チャンと郷ひろみ 

 

こうやって一年半あまりの表紙タレントを並べていくと、必然的に男性タレントが野口五郎、郷ひろみ、西城秀樹のローテーションで回り続けていたことがわかる。女の方は小柳ルミ子が表紙に登場しなくなり、この時期は天地真理を中心に、新しい女の子たちが続々登場している。1956年生まれで、1973年に『赤い風船』でデビューした浅田美代子が2号連続して表紙に登場しているのはすごい。

表紙になった男性タレントの中で、沢田、森田、石橋は新御三家とは別の評価を受けるランクや畑の違うタレントだったが、問題は、当初、同じ時期のデビューで《ヤング3》の呼称で括られていた伊丹幸雄が、西城、郷が野口の座っている三つしかなかった〝新御三家〟という《黄金の椅子》に坐ったことで、はじき出されて、忘れられていった形になったことだ。

伊丹のデビュー曲は『青い麦』という歌で、冷酷な書き方になるが、タイトルは野口五郎の『青いリンゴ』、『青い日曜日』の剽窃の匂いがして、歌の内容もオヨネーズの『麦畑』のようなとは書かないが、田舎の農作業をしている若者が歌う恋愛ソングのような歌で、町場で暮らしている若者に受け入れられるようなものではなかった(しばらくぶりにyoutubeで見て、そういう感じがした)。

伊丹が唯一表紙をつとめたのが上揭の47年12月号なのだが、これを見ると、郷ひろみによく似ていて、しかも郷ひろみよりクセのある顔をしている。これは推測だが、伊丹は天地真理と同じ、渡辺プロの所属で、表紙の写真を天地と郷で撮るという話になった時に、ナベプロから「伊丹も入れてやってくれないか」と頼まれたのかも知れない。この号は年末の賞レースにかかわる大事な本だったのだ。しかし、こうやって一緒に写真を撮って郷と伊丹を比較すると、伊丹は郷に見劣りすると書いたら可哀想だが、ファンの興味を郷ひろみに集める役目を果たしてしまったのではないか。郷と並べば並ぶほど郷のかわいさが目立ってしまうと言うような、残酷な話になったのではないか。そんな経緯があって「平凡」の表紙を三人交代、月替わりでつとめる《新御三家》の時代が自然な形でやってくるのである。

それで、じつは、前日のブログの野口・西城二人の対談にちょっと出て来る話だが、1947年の年末の賞レースがどうなったかというと、これはもう知っている人もいるだろうが、

   

★レコード大賞                歌唱賞     ・小柳ルミ子

                                                           ・沢田研二

              大衆賞     ・天地真理                 

             新人賞受賞者  ・青い三角定規

                     ・郷ひろみ

                             ・三善英史

                             ・森昌子

                             ・麻丘めぐみ(最優秀新人賞)

 

★紅白歌合戦初出場                    ・野口五郎(最年少出場)

 

ということになっている。

西城はこの年の年末、音楽祭の選からもれて無冠のママだった。

★★★★★

この体験がバネになって彼に本格的にエンジンがかかるのには、48年5月に発売になる『情熱の嵐』から。この曲で始めてオリコンのベストテン入り(6位)を果たす。声量があり、歌のスケールが大きい、これまで日本にいなかったタイプの歌手という評価を受け始め、48年『ちぎれた愛』(オリコン一位)、49年『傷だらけのローラ』(この曲もオリコン一位)と二年連続でレコード大賞の歌唱賞を受賞している。このあと、作詞家の阿久悠のつくった歌(『若き獅子たち』など)をうたい、野口五郎と並んで、高い歌唱力を認められ、本格的な評価を受けて、若手のアイドル歌手のトップの座に君臨しつづけることになる。

この位置関係に、伊丹をしのいで、新御三家入りした郷ひろみの立場は微妙で、野口と西城の親密な友愛関係に割って入ることも出来ず、それでもライバルとして対立的ではあっても一緒に存在しなければならず、そこのところは、前に[新御三家について]というブログで書いているからそちらを読んで欲しいのだが、郷ひろみは西城と野口という、音楽的才能に溢れたふたりの男と一つに括られる[宿命]を受け入れたところから彼の苦しい芸能人としての戦いを始めなければならなかったのである。

 

この話はここまで。 Fin.